バカ売れしたニンテンドーDSの歴史を振り返る

どうも!KENT(@kentworld2 )です!

今回は、バカ売れしたニンテンドーDSの歴史を振り返っていきます。

2004年に発売されたDSは国内だけで約3,300万台を売り上げました。

これはPS2、ゲームボーイを上回る数字で、日本国内では最も売れたゲーム機になるんですね。

しかし、DS発売前のイメージはあまり良いとは言えず、否定的な意見も目立っていました。

そんな状況を如何にしてひっくり返し、バカ売れするようになったのでしょうか?

ここからはDSの軌跡がよくわかるよう西暦順に振り返っていきますので、最後までご覧ください。

ニンテンドーDSとは?

ニンテンドーDS(以下、DS)とは、ゲームボーイアドバンスに続く任天堂の携帯ゲーム機で、2004年12月2日に発売されました。

最大の特徴が、2画面とタッチスクリーンです。

当時の携帯ゲーム機は1つの画面を見て楽しむのが基本で、画面が2つもある携帯ゲーム機になると、1980年代前半に発売された「ゲーム&ウオッチ」まで遡らないといけませんでした。

さらにDSの場合、下画面に感圧式のタッチスクリーンを採用。

専用のタッチペンを使って画面をなぞることで、まるで、文字や絵を書いているかのような感覚になり、今までにないゲーム体験を味わえるようになりました。

加えて

  • 音声を認識する「マイク機能」
  • ケーブルを使わずにデータ通信を楽しめる「ワイヤレス通信」

も採用。

「ワイヤレス通信」に関しては、ゲームソフトの体験版をダウンロードしたり、データ交換を楽しめたりとあらゆる用途で活躍します。

デザイン面では2003年に発売されたゲームボーイアドバンスSPと同じく折りたたみ式を採用。

電源は乾電池ではなく、内蔵リチウムイオンバッテリーを付属のACアダプターで充電する形式を採用することで乾電池を買い足さずにゲームを楽しめるようになりました。

マシンパワーは事実上の前世代機となったゲームボーイアドバンスよりも向上。

単純には比較できませんが、任天堂の据え置き機で表すとスーパーファミコンからN64レベルに引き上げられました。

このようにDSはゲームボーイアドバンスから様々な点がパワーアップしていますが、発売当時の評判はあまり良くなかったんですね。

そんなDSが一体、どのようにして国民機になれたのでしょうか?

ここからは西暦順に振り返っていきます。

目次へ戻る

2003年:異質なゲーム機を発表!

2003年8月、任天堂は異質なゲーム機を開発中であることをアナウンスします。

異質なゲーム機は後にニンテンドーDSであることが明かされますが、2003年8月と言えばゲームボーイアドバンス発売から2年しか経っておらず、後継機を発表するのはあまりにも早く感じます。

何故、任天堂はこのようなゲーム機を開発する必要があったのでしょうか?

そこには様々な理由がありました。

1つめは、ゲーム離れに対する危機感です。

2003年当時の家庭用ゲーム市場ではゲームソフトの重厚長大化、マンネリ化によってゲーム離れが加速し、ゲーム人口が減少傾向にあったんですね。

それは任天堂ゲーム市場だけではなく、プレイステーション、Xbox市場も例外ではなく、シリーズ物の多くは前作を下回る売上となり、新規タイトルも生まれにくい傾向にありました。

そこで、任天堂はゲームキューブ、ゲームボーイアドバンスに続く3本目の柱としてニンテンドーDSの開発を進めていたんですね。

2つめは、家庭用ゲーム市場における任天堂の存在感が薄れていたからです。

当時はプレイステーション2が市場の大半を占めており、任天堂のゲーム機ではゲームボーイアドバンスが健闘していた一方、据え置き機のゲームキューブは苦戦を強いられていました。

そんな中、SCEはプレイステーションブランドとしては初となる携帯ゲーム機、PSP(プレイステーション・ポータブル)を2003年6月に発表。

PS2に匹敵するほどの映像表現を実現し、動画・音声の視聴、画像の閲覧、Wi-Fi、Webブラウザも搭載したマルチメディア端末であることをアピールします。

この発表は当時の携帯ゲーム機市場に大きな衝撃を与えました。

というのも当時の携帯ゲーム市場ではゲームボーイアドバンスがトップシェアを占めていたんですが、同ハードはPS2よりも2世代も前となるスーパーファミコンレベルのマシンパワーに留まっていたんですね。

そのためプレイステーションは据え置き型ゲーム市場だけではなく携帯型ゲーム市場でもトップシェアを占めるという見方が強くなり、任天堂にとっては非常に分が悪い状況となりました。

だからこそ、このタイミングでマシンパワーも向上させた新しい携帯ゲーム機を開発したのだと思われます。

目次へ戻る

2004年:攻めの姿勢を見せる任天堂

畳み掛けるように発表から発売へ!

2004年1月、任天堂は異質なゲーム機が2画面であることを明かします。

当時の携帯ゲーム機は1画面がメインだったので、各所で話題になりました。

が、必ずしも良い意見ばかりではなく、

2画面でゲームが面白くなるのか?
人間は同時に2つの画面を見ることができないよ

など否定的な意見も目立っていました。

それは異質な商品であるが故の拒否反応でもあると思いますが、当時の任天堂はプレイステーションの後塵を拝する状況で、ゲームファンの間での評価があまり良くなかったことも影響しているように感じます。

2004年5月には異質なゲーム機の正体がニンテンドーDSであることを発表。

同時に2つある画面のうち1つにタッチスクリーン機能が搭載されていることを明かします。

対応ソフトも続々と発表。

人気シリーズの続編ものではなく、「キャッチ!タッチ!ヨッシー!」「パックピクス」など、2画面とタッチスクリーンを活かした全く新しい感覚で楽しめるゲームも発表されました。

しかし、これらの発表を持ってしてもゲームユーザーからは懐疑的な声が出てきます。

絶賛する人も見受けられましたが、新たに発表されたタッチ操作に対して

ボタン操作に比べて正確性に欠けるんじゃないか?

などの意見も少なくなかったんですね。

同時期にはライバルとなるSCEからPSPの商品展開が発表。

本ハードの方がオーソドックスで高性能かつ当時、勢いのあったプレイステーションブランドであったことからゲームユーザーの間では評判が良かったのを覚えています。

畳み掛けるような情報ラッシュ!

2004年5月に発表されたDSは、ここから畳み掛けるような情報ラッシュであっという間に発売を迎えます。

9月には国内発売日・価格を発表。

10月には発表イベントを行い、11月には全国5都市で体験イベントを開催。

TVCMには当時、人気だった歌手の宇多田ヒカルさんを起用し、発売まで盛り上げていきます。

これは当時の任天堂としては異例の販売戦略でした。

当時の任天堂は開発の初期段階で新しいゲーム機・ソフトを発表する傾向にあり、その結果、当初の予定から発売時期が大幅にズレることが多くあったんですね。

例えばN64の場合、1993年8月に発表。

1995年に正式名称が発表されたものの、発売日は1995年末 → 1996年4月21日 → 1996年6月23日と延びに延びてしまいました。

それだけに一度も延期せず、正式発表から半年程度で発売されたのは当時としては異例の出来事に感じられ、任天堂は時代の流れと共に大きく変わろうとします。

ついに発売!

2004年12月2日。

DSがついに発売を迎えます。

任天堂からは

  • スーパーマリオ64 DS
  • さわるメイドインワリオ
  • 大合奏バンドブラザーズ
  • 直感ヒトフデ

の4タイトルを発売。

名作と名高いN64「スーパーマリオ64」のリメイク版、当時人気だった「メイドインワリオ」シリーズ最新作など幅広いラインナップで気合を感じられました。

発売週の売上は44.1万台を記録。

事実上の前世代機となるGBAの初週61.2万台を下回ってはいますが、同時期に発売され、品不足で供給が追いついていなかったPSPの初週16.6万台を大きく上回るスタートを切ります。

その後も順調に売れ続け、DSは瞬く間に100万台を販売。

「スーパーマリオ64 DS」「さわるメイドインワリオ」もミリオンセラーとなり、スタートダッシュを決めることに成功しました。

目次へ戻る

2005年:怒涛の快進撃で大ブレイク!

Touch!Generations爆誕!

好調なスタートを切ったDSですが、年明けからはやや雲行きが怪しくなります。

年末需要が落ち着いたこともあり、年明けからは週間販売台数がガクッと下がったんですね。

一方、供給が追いついてきたPSPは販売台数を伸ばしていき、週によってはDSを上回る週間販売台数を記録するようになりました。

しかし、そんな流れは「Touch!Generations」の登場によって大きく変わっていきます。

「Touch!Generations」はゲームの定義を拡大するために誕生した任天堂の新たなシリーズで、普段、ゲームをプレイされない方の間でも浸透するほどの人気を博しました。

最初にヒットしたのが、2005年4月に発売された「nintendogs(ニンテンドッグス)」です。

本作はタッチスクリーンやマイクを使ってリアルな子犬と遊ぶ新感覚のコミュニケーションゲームで、幅広い層に人気を博し、200万本以上の大ヒットを記録しました。

そして2005年5月には「脳を鍛える大人のDSトレーニング」が発売。

本作は脳の活性化を目的としたゲームで、簡単な計算問題や音読などをこなしていきます。

当初はGB時代に見られた「シカクいアタマをマルくする。」のような学習ゲームだと思われていました。

が、タッチペンを使って簡単な問題をスラスラと解いていく楽しさが口コミで広がり、従来のゲーマー層とは大きくかけ離れた層を取り込むことに成功。

発売週の売上こそは4万本と控えめでしたが、その後はジワジワと売上を伸ばし、100万本、200万本を超えていき、最終的には国内だけで380万本を超えるほどのメガヒットを記録します。

その人気は社会現象に達するレベルで、「脳トレ」という言葉が流行語として認知され、様々なTV・ラジオ番組で取り上げられ、DSのキラータイトルとなりました。

空前絶後の大ヒット!

2005年末、DSは空前絶後の大ブレイクを果たします。

当時のDSは「スーパーマリオ64DS」「さわるメイドインワリオ」などの発売によって任天堂ファンを取り込んでいたことに加え、「nintendogs」「脳トレ」のロングヒットによってライトユーザーからの注目度が高まっていました。

そんな中

  • N64やゲームキューブで人気を博していたコミュニケーションゲームシリーズの最新作、「おいでよ どうぶつの森」
  • 任天堂製の据え置き機では最も高い人気を博していたレースゲームシリーズの最新作、「マリオカートDS」
  • 大ヒットした「脳トレ」の続編となる「もっと脳を鍛える大人のDSトレーニング」

を2005年11月から12月にかけて発売します。

その結果、幅広い層へ訴求することに成功。

2005年12月第4週には本体の週間販売台数が61.5万台に達し、対応ソフトも飛ぶように売れ続けました。

本体の販売台数は瞬く間に400万台、500万台を突破し、発売14ヶ月間の売上はGBAやPS2を上回り、歴代最速を更新します。

↑こちらは2005年12月4~5週のゲームソフト売上ランキングです。

首位こそはPS2「キングダム ハーツII」となっていますが、TOP10中7タイトルがDSソフトとなっています。

しかも並んでいる数字は40万、50万と非常に高く、家庭用ゲーム市場が最も盛り上がっていた1997年末に匹敵するほど高い水準に達しました。

スポンサーリンク

目次へ戻る

2006年:無敵の勢いだった1年

時のゲーム機に

2005年末に大ブレイクを果たしたDS。

その勢いは年が明けても留まることを知らず、全国で品薄となってしまいます。

そして、この頃から任天堂に対するイメージが変わっていきました。

それまでの任天堂は子供向けというイメージが世間では強く根付いていたんですが、DSが大ブレイクして一般層にも人気を博すようになってからはそういう認識も薄れていったんですね。

2006年3月には新型のニンテンドーDS Liteを発売。

旧DSから軽量化を果たし、よりスタイリッシュなデザインへとリニューアルされました。

本ハードの登場によってDSはファッションアイテムの側面が増していき、販売台数はさらに上昇。

平常時でも週10万台ペースを維持し、それまでのゲーム機では見られなかった売上を記録するようになり、入荷をしてもあっという間に売り切れてしまうほどの状況となります。

そのためかDSを持っていることがステータスの1つとなり、一般誌で流行り物として扱われることも増えていき、「日経トレンディ」が選ぶ「2006年ヒット商品ベスト30」の1位にDS Liteや脳トレが選ばれました。

空前の大ヒット作が誕生!

2006年5月、「New スーパーマリオブラザーズ」が発売され、空前の大ヒットを記録します。

本作は2Dマリオとしては実に16年ぶりとなる完全新作で、過去作を踏襲しつつ、グラフィックを3D調に一新。

それまでは高すぎた難易度も調整し、幅広い層が楽しめるようになりました。

そんな「New スーパーマリオブラザーズ」は圧倒的なネームバリューもあり、「Touch!Generations」から入った新規層・ゲーム回帰層にも訴求することに成功。

発売週だけで80万本以上を販売し、最終的には約640万本ものメガヒットを記録します。

これはファミコンの「スーパーマリオブラザーズ」に匹敵するほどの売上で、単品作品としては2000年代、1990年代に発売されたあらゆるゲームソフトの中で最も売れました。

本作のメガヒットによって家庭用ゲーム市場では本格的なリバイバルブームが発生。

任天堂からは2Dアクションの新作ゲームが続々と発売されるようになり、スクウェア・エニックスはスーパーファミコン時代の名作をDS向けに続々と移植・リメイクするようになります。



2006年9月には「ポケットモンスター ダイヤモンド・パール」が発売。

本作は「ポケットモンスター」シリーズの4作目で、「究極のポケットモンスター」として銘打たれました。

ポケモンシリーズと言えば任天堂の携帯機ではキラーコンテンツ。

ということで本作も例によって爆ヒットを記録。

一時期はDSで最も売れたゲームソフトとなり、「ポケットモンスター」シリーズとしては初めて前作を上回る売上となりました。

空前の任天堂バブルに!?

2006年12月2日には任天堂から据え置き機のWiiが発売。

DSの流れに沿った販売戦略を行ったことが功を奏して発売直後から爆発的な売上を記録します。

DSも勢いが衰えることはなく、前年に引き続き爆発的な売上を記録。

同時期にはPS3/Xbox 360といった次世代機も発売されていましたが、話題は完全に任天堂の方へ向くようになり、任天堂は再び家庭用ゲーム市場での王者へと成し上がります。

そして、DSはこの頃からゲームの枠を超えたソフトが多数発売され、ゲーム機の枠を超えた展開が目立ってきました。

誰でも料理を作れてしまう実践クッキングナビゲーションの「しゃべる!DSお料理ナビ」。

付属品のトランプを使用してマジックを演じる「マジック大全」。

日本の著名文学者が執筆した本をDSで読んでいく「DS文学全集」。

インターネットサーフィンを楽しむ「ニンテンドーDSブラウザー」など、ゲームソフトの枠を超えたタイトルが多数発売されます。

任天堂の業績も過去最高を更新し、2007年3月期の売上高は1兆6,724億円。

営業利益は4,872億円を計上し、任天堂は日本を代表とする大企業へと成し上がりました。

岩田聡氏、勇者となる

僅か1年で状況を一変させた任天堂。

その大きな立役者となったのが、2002年に社長へ就任した故・岩田聡氏でした。

岩田社長はとても計算高いお方で、なんでも分析をして行動に取りかかる人だったんですね。

DSを発足するうえではゲーム人口の拡大を当初から掲げていました。

彼が見ていたのは対 SCE & PSPなんて短絡的なものではなく、衰退する家庭用ゲーム市場を再び盛り上げるという広い視野でものごとを見ていたんですね。

彼が公の場でPSPなどのライバルゲーム機について記者から見解を述べられた時、「戦う土俵が違う」と話していたことはよく覚えています。

据え置き機<携帯機に

DSが大ブレイクしてから1年。

この頃から据え置き機と携帯機のパワーバランスが変化していきます。

それまでは据え置き機が主戦場で、携帯機はサブ的な位置付けでした。

ところが携帯機の性能が高騰し、DSの大ブレイクによって立場が逆転します。

それを象徴するのが2006年12月12日に行われた「ドラゴンクエストIX」の製作発表会です。

この発表会では「ドラゴンクエスト」シリーズの最新作、「IX」が発表され、発売ハードがDSであることが明かされました。

「ドラゴンクエスト」シリーズは据え置き機で生まれたこともあり、ナンバリングの本編は据え置き機で発売し、携帯機向けには派生作・移植作しか展開しないのがお決まりだったので、当時としては衝撃的な発表だったんですね。

同時期にはファミ通の発売スケジュールにも変化が起きます。

それまでは据え置き機向けのタイトルを真っ先に挙げていましたが、2006年頃から携帯機向けのタイトルを先に挙げるようになったんですね。

スポンサーリンク

目次へ戻る

2007年:DS市場に新星が誕生

飛ぶ鳥を落とす勢いで突っ走った2006年のDSですが、2007年頃から問題点が徐々に表面化していきます。

代表的なのが、従来型ゲームが影を潜め、「脳トレ」を始めとする知育ゲームが目立ってきたことです。

任天堂はもちろん、あのスクウェア・エニックスからも発売されるようになり、ゲームショップのDSコーナーはもはやゲームソフトの売り場ではなくなっていったんですね。

このような流れを受けて従来型ゲーム愛好家の間では不満が爆発。

新たに「ゲームらしいゲーム」という不思議な言葉が生まれました。

そんな中でレベルファイブという新たな新星がDS市場に誕生します。

レベルファイブは元々、PS2向けの大作RPGを下請けで開発していましたが、2007年からはパブリッシャーとなり、自社のオリジナルタイトルを展開するようになったんですね。

第一弾となったのがDS「レイトン教授と不思議な町」。

本作は「脳トレ」のような脳を活性化させるナゾトキを楽しむゲームですが、ストーリーや世界観を作り込み、アニメを収録することで差別化を図ることに成功します。

売上の方は国内だけで100万本を販売し、一躍レベルファイブを人気ゲームメーカーとして成しあげました。

レベルファイブは間髪入れず「レイトン教授と悪魔の箱」「レイトン教授と最後の時間旅行」をDS向けに展開。

さらに育成サッカーRPG、DS「イナズマイレブン」を発売し、若年層を中心に爆発的な人気を得ることにも成功します。

任天堂ハードでは任天堂ばかりが目立ってしまい、サードパーティは埋もれてしまう傾向にありましたが、レベルファイブはポジションを確立することに成功しました。

目次へ戻る

2008年:DSiで延命を図る!?

時は流れて2008年11月。

2度目となる新モデルのニンテンドーDSiが発売されます。

本ハードは見た目が変わっただけではなく、新たに

  • カメラ機能
  • 内臓メモリ
  • SDメモリーカードスロット
  • インターネット機能

を搭載。

DSがカメラの機能を果たすほか、専用のストアでゲームソフトなどをダウンロードすることができるようになりました。

何故、このような新モデルが発売されたのかと言うと、当時の時点でDSは他機種と比べて性能や機能の面で劣っていたからなんですね。

同時期に発売されたゲーム機はDSよりも描写能力が優れていたことに加え、インターネット機能を標準搭載しており、追加データ・ゲームソフトのダウンロードも当たり前のようにできました。

そんな中でDSは出来なかったので、マイナーチェンジ機のDSiを発売して追い付こうとしたものだと見られます。

また、当時はiPhoneが台頭していた頃で、携帯型メディアプレイヤーのパラダイムシフトが巻き起こっていました。

DSiはそういったことも視野に入れて発売したのだと思われます。

↑こちらは当時DSiの「うごくメモ帳」で描いたgifイラスト。

目次へ戻る

2009年:ソーシャルブームが幕開け!?

ドラクエIXが社会現象に!?

マイナーチェンジ機のDSiを発売し、延命を図ってから1年後の2009年。

この年には前年以上に大ヒット作が発売されました。

代表的なのが「ドラゴンクエストIX 星空の守り人」。

2006年の発表から遅れに遅れてしまいましたが、発売を迎えると400万本以上を売り上げシリーズ最大のヒットを記録。

ゲーム内に搭載されていた「すれちがい通信」による通信要素は大流行を果たし、2009年夏頃には「ドラゴンクエストIX」のゲームカードが挿入されたDSをカバンに持ち歩く方が都内に続出するほどの社会現象となりました。

同時期には「トモダチコレクション」が任天堂から発売。

本作はMii(アバター)同士のコミュニケーションを眺める新感覚のゲームで、登場するMiiは自分が好きなように変えることができます。

この高い自由度が遊びの幅を広めていて、プレイしたユーザーの間では自分だけのアフターストーリーを作るなどして人気を博しました。

これらのタイトルに共通して言えることは、人との繋がりを楽しむ側面が強いことです。

同時期には携帯電話向けに「怪盗ロワイヤル」が大ヒットを記録し、Twitterの人気にも火が付き始め、あらゆる分野で人との繋がりを楽しむソーシャル要素に注目が集まるようになります。

そんな中、2009年11月に任天堂からニンテンドーDSiLLという新モデルが発売されました。

本ハードは従来のDSiから画面が大型化し、大きな画面で楽しめるようになりましたが、当時は小型化の流れが進んでいたので、当初は時代の流れに逆行した商品だと見られていたんですね。

ところが予想以上のヒットを記録し、後継機となる3DSでもLLモデルは続投。

3DS世代になるとLLモデルの方が売れるようになりました。

同時期にはタブレット型端末のiPadが発売され、スマートフォンも大型化の流れが進んだので、今、思えばDSiLLは時代を逆行するどころか先取りしていたように感じます。

目次へ戻る

2010年:DS市場に見られる光と影


2010年9月。

DS向けとしては2作目となる「ポケットモンスター」の完全新作、「ポケットモンスター ブラック・ホワイト」が発売されました。

本作はシリーズのマンネリを打破すべく、ゲームクリア前は新ポケモンばかりが出現するように調整。

ストーリーはシリアス寄りになり、従来の作品よりもやや上の層をターゲットに発売します。

それが功を奏してか発売週の売上は255万本を記録し、前作を大幅に上回る初週売上となりました。

このようにDSは発売6年目もメガヒット作を生み出しましたが、かつてほどの勢いがあったのかというと必ずしもそうではなく、iPhone、PSPといった携帯機器の台頭によってウカウカしてはいられませんでした。

iPhoneはアップル製のスマートフォンで、専用のストアから様々な用途に使えるアプリを低価格。

もしくは無料でダウンロードすることが可能で、iPhoneさえあれば電話はもちろん、インターネット、カメラ、写真、音楽、地図。

ありとあらゆるものの代用ができるようになり、2010年頃から爆発的な人気を博し、様々な業界に大きな影響を与えました。

DS市場も例外ではなく、iPhoneの登場によってかつて人気を博していた知育ゲームが全く売れなくなっていったんですね。

例えば任天堂が2010年2月に発売した「大人の恋愛小説 DSハーレクインセレクション」は初週に2,900本しか売れず、かつての「脳トレ」には遠く及ばない売上に終わってしまいました。

PSPは当初、DSに大きく水を開けられていましたが、「モンスターハンターポータブル」シリーズの大ヒットで人気が爆発。

2010年頃になると「モンスターハンター」のフォロワータイトルがサードパーティから多数発売されるようになり、DSよりもPSPのソフト開発に力を入れる会社が増えていきました。

販売台数も日本国内では右肩上がりで、2010年にはDSに匹敵するほどの売上を記録します。

目次へ戻る

2011年:3DSへバトンタッチ

iPhone、PSP。

様々な携帯機器が勢い付くなか、任天堂は2011年2月26日。

DSの後継機となるニンテンドー3DSが発売し、DSから3DSへバトンタッチを果たそうとします。

が、3DSは様々な要因によって販売台数が鈍化。

思うようにDSから3DSへの移行ができなくなりましたが、2011年8月11日に大幅値下げを決行。

DSLの16,800円よりも安い15,000円で販売することにします。

その影響でDSから3DSへの移行が急速に進み、DSソフトの発売本数は大幅に減少していきました。

目次へ戻る

2012年:ポケモンで有終の美を飾る!


2012年6月、3DSが発売されてから1年が経過し、DS市場は終焉に向かいつつありました。

そんな中で「ポケットモンスター ブラック2・ホワイト2」がDS向けに発売されるという異例の事態が発生します。

本作は「ポケットモンスター ブラック・ホワイト」の続編で、それまでの追加バージョンとは異なり、新規のストーリーを楽しめることが特徴となっていました。

何故、ポケモンの新作を今更DS向けに発売したたのかと言うと、ポケモンがコミュニケーションツールでもある関係上、普及台数の多いゲーム機で発売することを優先したかったからなんですね。

販売本数は前作ほど高くはありませんが、それでも300万本以上の大ヒットを記録。

DSソフトとしては最後の大ヒットとなりました。

その3ヵ月後には最後のDSソフトとなる「特命戦隊ゴーバスターズ」が発売。

ダウンロード専売タイトルも2015年には発売されなくなり、DSは完全に3DSへバトンタッチを果たします。

スポンサーリンク

目次へ戻る

ニンテンドーDSの歴史まとめ

ここまでニンテンドーDSの歴史を振り返ってみました!

こうして振り返ってみると、DSは様々な記録を打ち立てた伝説のゲーム機であることがわかりますね。

さすがにiPhoneのような存在にはなれませんでしたが、それでも国内で3,300万台以上も売り上げた功績は大きく感じます。

本記事の動画版

 

歴代ゲーム機ヒストリー記事のリンク一覧
FC SFC N64
GC Wii Wii U
Switch GB GBA
DS 3DS 64DD
PS1 PS2 PS3
PS4 PSP PSVITA
MD SS DC
Xbox Xbox 360 Xbox One
PCE WS





33件のコメント

DSは自分は最初に「クラッシュ・バンディクー フェスティバル」を購入しましたねw しばらくそれだけですw
クラッシュ以外はしばらくGBAソフトで済んでたっていうのがあったので。

それからマリオカートDSにポケモンのダイヤモンドとHGSS、タッチカービィ以外のカービィにあとはDS-10買いましたねw DS-10は動画見てほしくなったんでw
個人的にマリオカートはDSが一番好きです。直ドリが批判されやすいですけどあの仕様が凄い好きなんですよ。どうもクラッシュ・バンディクーレーシングをやりまくっていたせいか、テクニックを重視するレースゲームが好みになっていたみたいでw

レイトン教授は3DSのソフトが発売されてから手を出した感じなんですよね。ブームに乗らないスタイルっていうかなんて言うかw

初代DSは本体にひびが入ったっていうのがあって(液晶はほぼ無傷w)途中からDS Liteにしてましたね。
DSiは正直GBAソフトができないってことで買わなかったんですよね・・・。
いつまでも互換重視スタイルな自分ですw

またまたゲーム遍歴の紹介をありがとうございます!

こうして見ると、DSは結構稼働した方なんじゃないでしょうか?

テクニックによって差を付けられるゲームはそれはそれで良いと思いますが、マリオカートのコンセプトを考えるとね・・・

でも、1人でプレイする分にはテクニック重視の方がぼくも好きです。

互換機能ってマイナーチェンジ機で外されるケースが多いように感じます。

GBAもミクロではGBソフトが非対応になりましたし。

DSはライトが出てからの長い長い品薄状態が印象深いですね。
近年ではSwitchが発売から年末まで品薄期間が続きましたが、DSライトは毎週10万台以上売れているのに全く品薄が解消されないという状態が1年以上続いていたような記憶があります。
自分も当時はノーマルDSからDSライトに買い替えたくて、探すのに結構苦労しました。

個人的にはDSよりも3DSの方が好きな作品は多いですが、脳トレブームやドラクエ9でのすれ違い通信ブームといった社会現象が何度も起きていたDSはやはり凄かったと思いますし、今になって振り返ってみると任天堂の携帯ゲーム機の歴史のピークがDSだったと言えそうです。

DSLの頃は入手困難でしたよね~!

ぼくは発売前に何店も回って必死で予約しようとしていましたw

あれだけ出荷しているのに供給が需要に追いつかないとは・・・

DSほど社会現象となるゲーム機は今後現れるのかどうか?

それだけの勢いがありましたもんね。

もはやDSはレジェンドハードですね〜。
ポケモン本編の時期しか買ってくれないバカ親父にものすごくねだって「タッチ!カービィ」の時期にDSを買ってもらえたのはいい思い出♪
マシンパワー的にはPS1っぽいかな。CGはローポリ過ぎましたが、ドットはGBAからよりブラッシュアップされた印象です。

この時代にも反発意見はあったのですねwww かくいう僕も当時は今後はタッチ主体のゲームばかりになるのかなと幼いながら思ったものです。
その時代はもう少し先の未来でしたがwww

当時の僕はSCE=悪でしたので、当時はDSやWiiをめちゃくちゃ応援したものです。

タッチジェネレーションでは、電子辞書を買ってもらうまではDS楽引辞典にとてもお世話になってました。
スマホがない時代の古き良きソフトでしたよ〜。

DSライトは半年以上、家で失くしたのもいい思い出ですwww

Newマリ1はすごいわくわくしたなぁ。このNewマリ1が僕にとってのベストNewマリですよ!思い出補正によって最新作のNewマリUDXでも敵いません。

スクエニのリバイバルもとてもお世話になりましたよ!クロノにDQIV〜VI、FFⅢ、サガ2などどれもおもしろかったなぁ〜。

ポケモンDPはGBAのポケモンほどおもしろいとは思いませんでしたが、金銀リメイクのHGSSやBW以降は楽しめましたよ。

今までナンバリングは据え置きでという風潮で携帯機は外伝作やリメイクしか出さないものでしたが、DQIXが固定概念をぶち壊してくれました!
DQIXはローポリのせいで今遊ぶとキツいものがありますが、是非DQVIIIのように現行機やスマホでリメイクしてほしいです!キャラメイクができるのでゲーム性としてはDQIXが一番好きかな。

レイトンも最初の3部作はおもしろかったなぁ。以降は蛇足ですけどねwww スマホに1を移植してくれてよかったですよ。

DSiウェアのスタートでシャンティの復活やスチームワールドシリーズの登場など将来的にインディーズ作品の先駆けになったと思うのでこれも放っておけません!

DSiLLがLLシリーズの始まりでしたね〜。この後、LLが主流になるとは思いもしませんでしたよ。

これだけ爆発的に売れたゲーム機はいまだかつてありません。

タッチ!カービィの時期は一時的なDS氷河期でした。でも、その後すぐ上昇気流に乗って年末にブレイクしたんですよねぇ。

新しい物が出たら否定する人って必ず居ると思うんですよ。むしろ、それが健全なのかもしれない。

DS楽引辞典は欲しかったけど買いませんでした。あれは勉強の時に重宝しそうだったんですけどね~。今となってはスマホアプリで片付けられてしまうのが悲しい。

DSLはコンパクトですが、半年以上も失くしていましたかw 見つけた時はさぞ嬉しかったでしょうね。

Newマリオ1は正直なところ肩透かしだったんですが、今作でゲームを始めた人も多いでしょうし、そういう方にとっては神ゲーだと思います。本作に関しては多角的に見ないと分からない良さを感じました。

ドラクエIXの影響力は相当なものだったと思います。本作が携帯機に移行したことがきっかけでそれまでの固定観念が崩れましたから。IXのリメイクはスマホでするのが最適でしょうね。

レイトンは売れすぎたせいで4作目以降が決まったんですよね。

DSiウェアは触れなくてすみません(汗) DSiやDSiLLは3DSの中継ぎとなる存在でしたね。

DSはもうとにかくLRが壊れやすかったイメージしかないですねw
僕の使い方が悪かったのか壊れやすいのか知りませんが、3回修理して3回ともLRが壊れましたw

初代DSの頃はまだダウンロード専用ソフトという概念がなかったから小粒のソフトも何でもかんでも全部パッケージで発売されていて売り場が賑やかで楽しかった。ダウンロード専用も手軽で良いんだけど、中古で色んなDSソフトを漁るのもそれはそれで好き。

あぁ、すっごい分かります!

何でもかんでもパッケージタイトルになっていたからこそのごった煮感。ぼくも好きなんですよ~♪

自分がDSを買ったのはDSの市場が絶頂期を過ぎたあとだったので、正直、DSについて語れる事はあまりないという(^_^;)
たしか無性にメタルマックス2リローデットがやりたくなって、DSを買ったんですよ。
そのあとDSで出てた神宮寺シリーズを一通りプレイしたりして楽しんでました。「きえないこころ」は名作でした。

この間、中古屋のDSソフトコーナーでサクラ大戦のダンジョンRPG系のソフトを買うかちょっと迷ったり、アソビ大全を見つけて「これkentさんがレビューしてたソフトだ!」とウキウキしたりしてました。
DSソフトコーナーの探索もなかなか楽しいです。

kojiさんがメタルマックス2リローデットの頃に初めてDSに手を出したのは今となっては意外な事実ですね~。

DSもかなりのタイトルが発売されたので、売り場で隠れた名作を発掘するのは楽しいです♪

アソビ大全はかなり気に入っていますが、レビューしているところは少ないでしょうねw

社長は人を蹴っちゃいかんだろう。

画面の大型化は情報量の増加に伴う。
スマホは、初めはメール程度にしか使わない為に必要性が薄いガラケーの3インチより大きい4インチ程度に十分と感じる訳だ。
そして色々なアプリを持ち出せるイノベーションに満足していたが、次第に情報密度が多いことに気づき、画面の小ささが気になる様になり、本来丈にあったサイズが求められる様になった結果かと。
DSはそれがLLだったと言うことだな。
まあ個人的には教育系ソフトでのタッチペンの書き味的にLLが正解だと思った。
漢字がDSDSLDSi画面でのペンの精度に追い付かない。

そしてDSiは中途半端だったな。
DSi専用アプリを使っているユーザーは別にそれはそれで良いと思う。
問題はDSソフト。
DSLiteより微妙なサイズで画面が大きくなっているため比べると見た目が悪くなってしまうことだな。
LLは倍加が巧いからか粗さは目立つが違和感がない。
因みにPSPはgoで見た方が小さくされるため粗が目立たなくなる。

DSは今でも稀に教育系や脳トレソフトを使っている人を見掛けることもある。
やはり需要としては終始この方面の道具のイメージであったのだろうな。

失礼しました。誤字が多かったので訂正しておきました。

情報量が多いからこそ画面は大型化するんですよね。据え置き機のタイトルが大画面推奨になったのも同じようなものだと思います。

DSの場合は大画面の方がタッチペンで文字を描きやすいというのはあるかも。

DSiは色々と中途半端でしたねぇ。当時からあまり高く評価されていませんでした。

まあ、3DSの橋掛けとなったのは事実ですし、うごくメモ帳はすごく楽しみましたが。次回はPSPの特集をする予定で、そこではgoについても触れますよ~。

DS=脳トレのイメージは強いですね。発表当時は想像も出来ませんでした。

字を書く枠を意識できるユーザーと言うかゲーマーなのだろうか、この辺りは小さくともスイスイ書けるみたいだが、小さい子やドリル等をやっていない層はまず枠を意識しない状態だった。
教えても中々理解して貰えなかったりな。
LLを触らせると物理的に大きくなる枠のお陰でハマるようだった。
うごメモも恐らく味は良くなったのではないだろうか。

PSPはやらない方が、いや何でもない。

なるほど、枠を意識出来ない層も居るのですね。そういうのは自然と身に付いてしまうものなので参考になりました。

LLモデルを買ったのは3DSからなんですよ~。今やLLに馴染んでいるので、DSの頃から手を出しても良かったと思います。

え?PSPをやったらヤバイですかね?w

当時は携帯ゲーム機が全盛期でしたね。GBAまでは子供のものというイメージが強かったと思いますが、DSの頃は老若男女が電車でゲームやってましたね。懐かしい。
DSはシリーズもの以外も充実してましたね。タシテンやプロジェクトハッカーなどは後に中古で買って楽しみました。
本体ではDSiが一番好きでした。デザイン、大きさ、重さ、ボタンの押し心地など最高でした。ただボタンの調子が悪くなりがちで、初めて修理に出した任天堂ゲーム機でした。

今となってはGBA以前の風潮が信じられないくらいです。それだけDSは流れを変えてくれました。

売れたゲーム機だけあって新しい試みのタイトルが満載でしたよね!

DSってどのモデルも一長一短あるので一番は決めにくいですが、デザイン的にはDSLが一番かな~

DSの頃から完全にゲームから距離をおくようになったこともありますが、GBAのときにも書いたように僕の中でのDSの評価はあまり高くありません。正直、2画面とタッチパネルというハードの特徴をちゃんと生かし切ったソフトってそんなにあったかなぁと、不勉強な僕は思ってしまいます。

もちろんNintendogsや川島教授の脳トレソフトは大ヒットしましたし、単なるゲーム機以上の幅広い可能性を示したと思います。個人的にはシンセサイザーの名機の音源がまるまる入っていて作曲ができたり、楽器の音合わせに使うチューナーやメトロノームなどのアプリがセットになっているソフトが面白いと思いました。でも結局は携帯ゲーム機とスマホ/PDAの境界線を自ら壊しに行ったことで、成功とは裏腹に携帯ゲーム機というジャンルそのものを消滅に導いてしまったような気がします。

印象に残っているゲームソフトは、ルナシリーズの最新作である「ルナ~ジェネシス~」やジャレコ最後のソフトとなった「ワイズマンズワールド」、ディズニーが作ったポケモンと言える「スペクトロブス」シリーズとかですね。RPGばっかりですが。NEC-HEの残党が作った「くまたんち」は近所の家電量販店にあったんですが、買おうと思っているうちにそこが閉店になってしまって。次に見かけたときにはおいそれと手を出せないほどプレミアが付いていました。惜しいことをしたと思います。

2画面とタッチパネルの使い方に四苦八苦したメーカーが多かった記憶です。

初期の頃は安易に使用して駄作を生み出してしまうケースが多かったですし。Wiiにも通ずる話なんですが、任天堂でさえもハードの特徴を使い切るのに苦労されていましたから。

そんな中でnintendogsや脳トレは上手く生かしていたと思います。スマホ/PDAの境界線を自ら崩しに行った。それはあるかもしれませんね。

ソフトの多様性はあると思うので、ゲームショップ巡りをしたらきっとほにょさんが好むタイトルは沢山眠っていると思います。それらを発掘するのも楽しいと思いますよ~。

DSは画期的で前例のない素晴らしいハードでしたが、あまりにも売れ過ぎましたね
ロンチでも年末商戦期でもないのにハードが週販10万とか20万とか幾らなんでも売れすぎです
流石の任天堂もここまで売れるとは思っていなかったのでしょう
そのためにあらゆる計画が狂ってしまい後継機の投入が遅れて次世代機市場で苦戦する結果になったと思います
DSi、3DSともにあと2年早く投入していれば市場の流れは全然違ったでしょう
ただDSの世界的な大ブームによりスマホが登場したのは間違いないでしょうし、そう考えるとゲーム史だけでなく人類史上に大きな影響を及ぼしたハードだと言えるのではないでしょうか

DSの売れ方を見ていると常に年末商戦なのかと錯覚してしまいますw

売れすぎた故の弊害はありましたねぇ・・・

スマホが登場したのはDSがきっかけ。

考えたことはありませんでしたが、そう考えると本当に凄いゲーム機なんだと思います。

DSですか〜
僕が初めて買った携帯機は3dsだったのですが、Newスーパーマリオブラザーズとトモダチコレクションがやりたくて、いとこに借りてやってました~( ^∀^)
DSはタッチパネルや知育ゲームなど、ゲームの歴史を塗り替えたと言って過言ではないようなステキなハードでした(๑˃̵ᴗ˂̵)

DSの思い出をありがとうございます!

いとこから借りてプレイしていましたか。なんだか微笑ましいエピソードですね♪

仰るとおりDSはゲームの様々な歴史を塗り替えました。

こんにちは。
DSは、初期の「君のためなら死ねる」「パックピクス」
の印象が強いですね~
初代DSからDSiLLに買い替えましたが、
DSiLLは今も気に入っていて、
DSのゲームはDSiLLで遊んでいますし、
DSiウェアは3DSにお引越しさせずに
DSiLLに入れたままにしています(笑)

ぼくも初期の頃によく出ていたデモンストレーション的なタイトルが印象に残っていますw

DSiウェアは安価で販売出来ることもあって比較的攻めた意欲作が多かった印象です。

うちは3DSに移行させてしまいましたがw

DSvsPSPのあの感じはもう味わえないんだろうなぁ
私の回りではWiiとDSとPSPは基本装備でしたねw
カービィは遊びまくりました

まるでPS VS SSを彷彿するような熱い争いでしたよねぇ。

次があるとすればPS5 VS Xbox720ですが、日本じゃ厳しいか。

当時携帯機の時代が本当に到来するとは思ってもませんでした、DSと言えば二画面やタッチ操作に目が行きがちでしばらくの間性能はGBAに毛が生えた程度だと思ってましたけど64クラスまで上がってたのですね。

DSを購入した動機は実は親が脳トレをしたいということでした、多分続かないと思っていましたから自分でプレイするソフトということでピクロスDSも一緒に購入しました、案の定脳トレはあまり長く続きませんでしたからピクロスも買っておいて良かったです。

その後懸賞でDSiが当たってしまいました、せっかくなので立体ピクロスを買いました。DSiはGBAの互換が切られてたのに値段が高くなってたのはカメラの追加などで原価が高くなったのかな。2010年頃にDSiウェアを色々買い漁っていました、その中で比較的高かったけどミニミニ再行進にハマりました、あとこのブログでオススメのDSiウェアの記事でアッタコレダが紹介されていてこのソフトに興味が出てきました。何気にDS iウェアのアイコンはアニメーションするんですね、その中でソリティアの勝数表示はうまい使い方でした。

DSを手に入れた頃はゲーム熱は消火状態でリハビリの為にピクロスなどのパズルゲームを中心にプレイしていて3DS発売までに他に持っていたのはウルトラスーパーデラックスやマリルイ3くらいでした、なので自分の中では3DSやswitchまでの繋ぎのポジションになりました、3DS以上に隠れた名作が眠っていそうなのでDSソフトも探して見たいと思います。

今年でDS発売15周年ですね、この時代からの携帯機の進化には驚かされました。

ぼくもDS以前の携帯機はサブポジション的な立ち位置だったので、DSから立場が逆転したことに驚きました!

スーパーマリオ64をオリジナル版以上のクオリティで出せていることから実際にはN64以上の性能はあったんじゃないかと思います。GBAからの流れで2Dゲームが目立っていましたけどね。

ピクロスDSはタッチ操作が快適でしたが、複雑なステージになるとやりにくかった記憶が。

立体ピクロスは良かったですね!あれはDSの名作だと思います。

DSiウェアの記事、懐かしい!アッタコレダはジャイロセンサーを使ったゲームの先駆けなんじゃないかと思います。

DSiウェアのアイコンはアニメーションするから地味にお気に入り。

DSソフトの発掘も面白いと思います。3DS以上に沢山の隠れた名作がゲームショップに眠っているでしょうからね~。

このゲーム機ではまず、あのレジェンド64タイトルのリメイク版を、親にクリスマスプレゼントして貰いました。因みに中2です。広大で膨大なあの探索ゲームのリメイクは、ボリュームも十分。後に一本道物ブームになってしまい生まれたあの3Dマリオとはかなりのボリューム違いです。まあ、3DSのあれも、斬新だったのでよしとしていますが。
受験生の時期を挟んだ為一年間ゲームは買えず。そして2006年春には、黄色い星の王子様のアクションゲーム第4弾を買いました。背景が3Dポリゴンで表現されるようになり、かなり感動したのを覚えています。難易度が「低過ぎる」カービィもこの年に発売。ネズミ盗賊団を追いかける話で、ストーリーもドタバタで、色々滅茶滅茶な部分もありました(笑)そして!忘れちゃいけない、あのフル3Dグラフィックの2Dマリオ第1弾が発売!DSソフト売り上げ一位を記録!あの作品はやってて普通に楽しく、Wiiでも楽しく、3DSもぶっ飛んでて楽しめましたが、Wii Uではソフト状況の芳しくなさとSNSによるいざこざ等の事もあり、楽しい思い出は…あんまり無い 汗 でも、Switchに移植されそっちは楽しめました。
翌年には、赤ちゃん乗せて恐竜が旅するアレの第2弾。しかし、楽しいアイテム無し、ミニゲームも報酬が1UPだけ、綿の敵に触れたら音楽が面白くなるという要素も無し、難易度鬼畜、など色々あり、飽きるのは早めでした。3DSにもあの感じ、受け継がれてしまい、こちらも飽きは早めでした(笑)結論!あのシリーズで一番はスーファミ!GBA版でもなく、スーファミ一択!僕としては。
更に翌年には、上記の星の王子様のゲームの最終作品発売。ボスのBGMがしつこい感じではなくなり、割と聞いてて飽きない物に変わりました。年末。桜井氏が出したスーファミカービィのリメイクが発売。これもボリューミーで、ずっと遊んでました。最後に買ったDSソフトは、3DS発売後に出た「ピクミンみたいなカービィ」。Wiiのミッキーと同じ日に確か出たと思いました。因みにSwitchに出たメルルもこの年でしたね。印象的なゲームは普通に多く、思い出のハードです。

スーパーマリオ64DSは、クリスマスプレゼントにひったりなボリューム感がありましたね。ぼくも当時は楽しんでいましたよ~。

1年間ゲームを買えなかったのは辛かったと思いますが、その分、たっぷり楽しめたと思います。

この頃はDSの2Dアクションゲームを色々買われていたのですね。

これだけプレイされていると、Wii Uのあの作品は飽きてしまうかもw

Wiiのミッキー発売週は気になるゲームが目白押しだった記憶です。あつめて!カービィもその一本でした・・・

DSが発表されたときに最初に思ったことは正直に言うと裏切られたです。あの頃の僕はGBAでロックマンエクゼシリーズを楽しんでおり、まだまだGBAの時代が続くのだと思っておりもう次世代機が出るのかと少し納得ができませんでした。またタッチスクリーンや2画面などにもあまりいい印象を持てず失敗に終わりそうだなと勝手に思っていました。しかしその浅はかな僕の予想とは対し、DSは大ヒットしブームに便乗して僕もDSの初期型を買うことになります。
任天堂携帯機の中でも誰もが一番成功したハードと認めるニンテンドーDSですが大きな欠点も二つあります。まず一つ目にはPSPより性能そのものはわりと低いということです。この性能差は大きくモンスターハンターシリーズはDSで開発することができず、終盤戦になると性能不足を感じたゲームメーカーがより高性能なPSPでソフトを開発し始めることになりDSは後半少しソフトが不足してしまいます。でもPSPは高性能であるがゆえに長い間赤字でSCEが販売していたのに対し、任天堂は自社ソフトの大ヒットなどにより過去最高利益を計上していたので結果的には任天堂の販売戦略のほうが正しかっととも思います。3DSで性能の不足は概ね解消されモンスターハンターシリーズも3DSで発売され日本の家庭用ゲーム業界はしばらくニンテンドー3DS一強の時代が続きます。
また二つ目の大きな欠点は、DSシリーズは独自規格が強すぎるということです。2画面とタッチスクリーンというほかのハードに比べ我が道を行く特徴を持つDSシリーズのリマスター作品や移植作品を発売するためには、PSハードで発売されたゲームよりも相当な変更点を加えないと現行機で開発すらできません。そのため世界樹の迷宮やイナズマイレブンなどDSシリーズの特徴をフルに活用したソフトのスイッチでの展開は我々が思っている以上に難しいのだと思います。
しかし、任天堂の目標であるゲーム人口の拡大はマンネリ化そして衰退しつつあったゲーム業界に素晴らしい流れを作ることができたと思います。脳を鍛える大人のDSトレーニングを始めとした数々の知育ゲームが、様々な年齢層のユーザーを獲得に成功できたのは疑いの余地がなく、世間のゲームに対するイメージの改善につながったことは間違いないと思います。もしDSシリーズがヒットせずゲーム人口を拡大できなかったらもしかしたら日本の家庭用ゲーム業界はソーシャルゲーム業界に壊滅させられていたかもしれないなと僕は思います。