「○○好きに悪い人はいない!」は本当なのか?趣味と人間性の関係性について考える

○○好きに悪い人はいない!

○○好きに悪い人はいない!

そんな言葉が存在するように、趣味は人間性を構築する一要素ではあると思います。

「○○好きに悪い人はいない!」とは言いますが、人それぞれ空白欄に入る言葉は異なるでしょう。

僕の場合は何なのか考えてみたところ「任天堂」になりました!笑

こんな事を書いたら「お前、まだ任天堂信者じゃねぇか!」なんて突っ込まれてしまいそうですが、実際、そう感じてしまうんですよ~。

何故かというと、任天堂好きって夢を持った少年のような心を胸に秘めていると思うんですよね。

任天堂ゲームは基本的にはおもちゃの延長線上で作られていますし、キャラクターも丸くて可愛いものばかりですから。

そのような物を愛せるのって夢を持った少年のような心を胸に秘めているからだと思ってしまうんです(特に成人男性の場合は)。

偏見なのは分かっていますが、自身の経験からどうしてもそう感じてしまうんですよね。

なので僕は「任天堂が好きです!」なんて目を輝かせている人と出会ったら一気に心を開いてしまいます。

実際趣味が同じ人と絡んでいると何かしらの共通点は見つかるので、傾向があるのは間違いないでしょうね。

人間性を構築するのは生まれ育った環境が第一

とは言え趣味が人間性のすべてを構築する事はないと思います。

例えば同じ任天堂ファンでも性格は「せっかち」「おっとり」など千差万別ですから。

これまでに数多くの任天堂ファンと接してきましたが、いくら趣向が近くても人間性の面で合う合わないは出てきました。

これは距離を近付ければ近付けるほど見えてくるものです。

この事から趣味は人間性を構築するための一要素に過ぎず、そこだけで人を判断してはいけないんだと思うようになりました。

では、人間性を構築するうえで一番重要な要素は何なのでしょうか?

僕は生まれ育った環境だと思います。

環境によってその人が経験する事は大きく変わっていき、そこから性格や信念が構築されて人間性が出来上がっていく物だと思いますから。

例えば同じ任天堂ファンでも貧困層と富裕層では価値観や性格など全然変わってくるでしょう。

逆もしかり

ここまでポジティブな方面で趣味と人間性の関連性を挙げてみましたが、逆もしかりだと思うんですよね。

恥ずかしながらも僕は「○○が好きな奴は性格が悪い」なんて思い込んでいた事も過去にはありました。

趣味が人間性を構築する一要素である事は確かなので多少の傾向は生まれると思いますが、前述の通り一番重要な要素ではないので今はこの考えは間違っていると思っています。

例え自分が嫌いなコンテンツの趣味を持った人と出会ったとしてもネガティブな先入観を持たず、実際に接して判断していきたいですね。

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「○○好きに悪い人はいない!」は一概にそうとは言えない

ここまで書いてきたように「○○好きに悪い人はいない!」とは一概には言えないと思うようになりました。

そもそもこの言葉は勢いで生まれた物だと思うのでまともに正誤を判断するのもどうかと思いますけどねw

今後も共通する趣味の人を探して交流を深めていきたいと思いますが、そこだけで人間性を判断せず、視野を広くしていきたいと思います。

まあ、人に危害を加える趣味を持った人は例外的にそこだけで判断しますけどね!

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20件のコメント

大いにわかりますなぁ^^;
ゲームだったり、海外ドラマだったり、今までも狭い趣味の世界でのオフ会のようなものに参加してきたけど、こっちが勝手に期待しているほど会話が盛り上がらない事も経験しましたよ。
どっちが悪いとかじゃないんですけどね。どちらかと言えば俺のような変なノリの人間に合わせてもらってるだけで感謝なんですけどw
そう、ノリなんですよねー、単純に。

自分の場合は他に音楽の現場が多くて、常に初めての人と知り合ったりするんですが、基本的にハイになる場である事が多いので、こちらのコミュニケーションは比較的楽だったりします。
「〜が好きな人に悪い人はいない」じゃないですけど、長く音楽の現場で生き抜いて来た人間同士は「お互い、過酷な世界でやってますなぁ」と言わんばかりに初めて会っても暗黙で信用しあうみたいなのはありますね。まあ、アンダーグラウンドな世界ですけど。でも、そんな感覚も嫌いではないです。

「〜が好きな人に悪い人はいない」。これ、心のどこかでそう思って生きられる方が豊かな気持ちで生きられるからいいんじゃないですかね。

趣味が合うから話が合うとは限らないんですよね~。

確かDTさんも他の方におすすめされた方と思ったほど会話が盛り上がらなかったと話されていましたもんね。

ノリ!それはあると思います!w

僕も変なテンションで会話する事がありますので、みんながみんなそのノリに合わせられるとは限りませんから。ノリは盲点でした。

音楽の現場ってテンションを高めやすい印象です。確かにそういう場ではコミュニケーションを取りやすいのかも。

同じような環境を生き抜いた人間同士だと戦友みたいな関係になれますもんね。同じ趣味よりも同じ環境で育った人間同士の方が仲良くなりやすいのかも。

「〜が好きな人に悪い人はいない」という言葉の正誤は置いといて、豊かな気持ちになれる言葉ではありますね。

ベイスターズ好きな人に、悪い人はいない。

理由は、負けすぎて忍耐力がついてるからでした(笑)

なるほど・・・それは趣味というか環境も含まれますからあながち間違いではない?w

~いないと100%断言しちゃうと、いやアイツが悪いヤツじゃんって例外を一つ挙げるだけで反論されます。~好きにいい奴が「多い」という大まかな傾向なら、けっこう相関がある法則が見つかると思いますね。

世の中には色んな人が居ますもんね。「いない」と断言するのは危険な事に感じます。「多い」だったらまだ説得力が生まれて矛盾も起きにくいと思いますね。

自分の場合はヒーローとゲームってことになりますね、良い人と悪い人割合は大体5分ってとこですかねぇ・・・。ヒーロー好きで悪いやつってそれヒーローじゃなくてヴィラン(悪役)ですやん。

なるほど・・・ヒーローですか・・・ヒーローは正義ですもんね。正義を肯定するからには自身も正義!であって欲しいと思います。

『⚪︎⚪︎好きに悪い奴はいない』
経験上、この言葉をマジ顔で言う人は警戒してしまいます(笑

揶揄する意味で使うならアリですが、盲信で使うと危険な言葉と感じます。
エスカレートして『⚪︎⚪︎好きじゃない奴は悪』という考えになると『宗教怖い』としか(笑

仰る通り育った環境次第で価値観と文化が違うと思います
結局は⚪︎⚪︎好きの一個人ですからね。
共感しただけで、簡単に信用してしまうのは人を見誤る物差しにもなりかねないと思っとります。

僕も一時期はエスカレートして「⚪︎⚪︎好きじゃない奴は悪」みたいな感じになっていました笑

>共感しただけで簡単に信用してしまうのは人を見誤る物差しにもなりかねない

これは本当にそう思います。もっと広い視野で人間を見ていきたいですね。

酒の席の比喩表現であり、話半分同意する物かとは思っているな。
同じ趣味の同士の仲には通じるそこだけの正義とでも言うのかね。
それは鵜呑みは危険だと他の人の意見同様の事。

任天堂好きはまあ、昔のコアなセガファンに比べたらひよっ子の様にも感じるな。
良くも悪くもアーケードゲーム志向だけに向こうが凄すぎただけで、基本的に家庭用しかない任天堂は比べられるわけはないのだがね。

こちらは知ってか知らずか傷付けるのは得意なそうだ。

「○○好きに悪い人はいない!」は歴史を辿っていくと酒の席の揶揄表現になるんですね笑

それだったら勢いで生まれた言葉になるので話半分のようになるのも納得です。

え~任天堂好きをそんな風に見てしまうんですか~笑

まあ、セガ好きの固い信念には頭が下がりますよ笑

あそこまでの結束力は無いかもしれませんね・・・

いやまあ呆れさせて済まないな。
あくまで知合いの傾向としては方向性と温度差があると思っているに過ぎないがね。
こちらは新しい体感をマイペースに楽しめれば良いのでな、何処かに属しているようで何処にも属していない半端者からの視点は、別にどこ何に頑なにならなくても、とは思う。
反面、目的を持って動ける事にも羨ましさはあるのだがね。

当時は拘りすぎておりました汗

しかし、当時の環境があったからこそ自分の人間性は構築され、このブログが存在するので、あの頃を完全否定することは出来ないんですよね~。

信者と書くと頭が固いイメージですが、ファンや○○好きと書けば大分柔らかいイメージになると思います、これは日本では宗教について基本的にマイナスのイメージを持つ人が多いからではないかと思っています。あくまで推測ですが。

少し話がそれましたが、ゲーム会社にコアなファンが付くのは長期的には良い事だと思います、いい人か悪い人かは別にしてね。そういう人達はハードが進化して移り変わっても、変わらずに付いてきてくれますから。
現に自分がその口で、軌跡の最新作がでるからPS4を買った程のファンですから。
今では他の楽しいゲームにも出会えて満足しています。

確かに日本では宗教ってネガティブな印象がありますね・・・怖いと言うか。

ファルコム信者という言葉はよく聞きます。まあ、個人的には熱狂的なファン=信者という意味として捉えているので、ファルコム信者に関しては悪い印象は持たないんですけどね~。

任天堂信者に関してはネットの影響で悪いイメージのほうが先行しやすいかも汗

ファルコムユーザーって幅広いですよね。それこそ1980年代から付いてきている人もいれば2000年代に入ってからファンになった人も居て。

親子2世代に渡るファルコムファン同士の対談企画とかあったら読んでみたいです。

昔のアメリカのミュージシャンでレッドベリーという人がいたんですが、この人歌ってないと自ら進んで揉め事や犯罪に首を突っ込むタイプで、殺人、殺人未遂、恐喝などの罪で何度となく刑務所に収監されてるんですが(刑務所の中でもナイフで首を刺されてやり返したりもしている)、そのたびにありあまる歌の才能を惜しまれては釈放されてるんです。だから「◯◯が好きな人に悪い人はいない」というよりは、「◯◯が好きな人に悪い人はいない……と思いたい」というところが本当なんじゃないでしょうか。

かといって、レッドベリーが最初の収監で即座に処刑されていた方が良かったのかというと難しいんですよね…。そういう針の振り切れた因業の世界に行っちゃった人だからこそ見える世界があったんじゃないか。被害者の遺族はたまったもんじゃないでしょうけど。ともかく、この世は単純な善悪・正義だけで割り切れるものじゃないのは確かだなぁと。

>◯◯が好きな人に悪い人はいない……と思いたい

あぁ・・・それはあるかもしれませんね。

特に盲目的だった時はそう感じていました。そして、「思いたい」がいつの間にか無くなって「◯◯が好きな人に悪い人はいない!」になっていたんですね。

>この世は単純な善悪・正義だけで割り切れるものじゃない

白黒ハッキリ付けたくなる時はありますが、実際のところそうなんですよね・・・奥深い世の中です。

ん~自分にとっては趣味はあくまで話すツール(もっというと自分が相手に話したいこと)であるため、正直趣味で人を判断するというのは
以前kentさんが仰った通り「自分が好きなものが相手も好き=相手も自分と合うに違いない」という論理と同じだと思うんですよね…。

趣味が重なってたくさん話した知人もいますが、互いの人間性の食い違いでその場限りの関係で終わってしまったことも多々ありますし。

まあそんなわけで趣味は趣味、人は人と分けて考えるべきですね(kentさんと同じ結論)

(ちなみに、人間性の構築についてですが現代での見解は遺伝と環境がどちらも影響し合っているという説が一般的らしいです。どちらかだけ、ということはないそうです。どうでもいい話失礼しました。)

>趣味はあくまで話すツール

そうですね、共通の趣味を持っている人同士は話すきっかけが増えるから仲良くなりやすいだけであって、そこで人間性を判断する物ではないんですね。

僕もいくら趣味が被っても親しい関係になれなかった人は多く居ます。

まさに趣味は趣味。人は人ですね!

今回は人間性を構築する要素として環境を前面に押し出しましたが、それ以前に遺伝の影響は大きいと思います。