スーパーファミコンがみんなに愛され続ける7つの理由【30周年】

どうも!KENT(@kentworld2 )です!

今回は、スーパーファミコンがみんなに愛されている理由を語っていきます。

1990年に発売されたスーパーファミコン。

略してスーファミは発売から30年を迎えた今でも多くのゲームユーザーに愛され、@niftyニュース のアンケートではニンテンドーDSを抑えて1位になりました!

また、2017年に発売されたスーファミのミニチュアモデル「ニンテンドークラシックミニ スーパーファミコン」は発売週に37万台を売り上げるなどの大ヒットを記録。

これは昔のゲーム機をミニチュア化した歴代復刻ミニシリーズの中では最も高い売上で、予約開始日には行列ができたという話もあったりします。

何故、スーファミは多くのゲームユーザーに愛されているのでしょうか?

ここからはぼくの観点からスーファミが多くのユーザーに愛されている理由を語っていきますので、最後までご覧ください。

スーパーファミコンとは?

スーパーファミコンとは、ファミリーコンピュータに続く任天堂の据え置き機で、1990年11月21日に発売されました。

最大の特徴が、16ビットCPUを搭載し、ファミリーコンピュータ、略してファミコンを大きく上回る描写能力を持っていることです。

ファミコンの場合、52色の中から25色しか同時に表示することしかできませんでした。

一方、スーファミの場合、32768色の中から256色を同時に表示することができるようになりました。

さらには

  • ソニーのDSPによるPCM音源の採用によって実現したサウンド面の強化
  • 同時に表示できるキャラクター、オブジェクト量の増加
  • 背景の多重スクロール、回転・拡大・縮小表示、モザイク機能の追加

など、あらゆる部分がファミコンから大幅に強化されました。

コントローラには「X」「Y」「L」「R」ボタンが追加。

ファミコンよりもボタンの数が大幅に増えたことでより複雑なシステムのゲームを作りやすくなります。

そんなスーファミは国内だけで1,717万台。

全世界累計で4,910万台を売り上げ、大ヒットを記録しました。

しかし、35年以上の歴史を誇る日本の家庭用ゲーム史上の中では特別売れたゲーム機という訳ではなく、国内では8番目。

全世界では14番目に多く売れたゲーム機だったりします。

が、先程も触れたように、ユーザーが好きなゲーム機ランキングでは1位になるほど愛されているんですよね。

何故、スーファミは多くの人に愛されるのでしょうか?

ここからは理由を挙げていきます。

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スーパーファミコンが愛され続ける理由

その1:BGMが名曲揃い

スーファミが愛され続ける理由の1つとして、BGMの力が大きく感じます。

音楽とは、思い出と共に残るものです。

みなさんは昔、よく聴いていた音楽を久しぶりに聴いた時、当時の思い出が蘇って来たことはないでしょうか?

音楽は心のアルバムで、知らないうちにぼくらの思い出を保管してくれるんですね。

スーファミの場合、名曲が生まれやすい環境にありました。

理由としては大きく分けて2つあると思っています。

1つめは、内蔵音源による影響です。

スーファミは同時に8チャンネルから音を鳴らせるようになり、音質も向上しましたが、後に発売されたゲーム機はもっと沢山の音を同時に鳴らせるようになりましたし、音質もさらに良くなりました。

でも、あまりにも同時に音が鳴ると誤魔化しができてしまい、主体となるメロディがボヤケてしまうと思うんですよね。

一方、スーファミの場合はまだまだ制約が多くあったので、主体となるメロディをキッチリ作らないと良い曲が生まれない環境にありました。

だからこそ、耳に残る曲が多いんじゃないかと思っています。

2つめは、今も活躍される有名な作曲家の方々がスーファミ時代に名曲を生み出すようになったことです。

「クロノ・トリガー」の光田康典(みつだ やすのり)さん。

「スーパーマリオRPG」の下村陽子(しもむら ようこ)さん。

「ロマンシング・サガ」の伊藤賢治(いとう けんじ)さん。

さらにはファミコン時代から沢山の名曲を生み出していた「ドラゴンクエスト」のすぎやまこういちさん。

「ファイナルファンタジー」の植松伸夫(うえまつ のぶお)さん。

「スーパードンキーコング」のデビッド・ワイズさんもこの時代に数多くの名曲を生み出しました。

「クロノ・トリガー」の「遥かなる時の彼方へ」とか、「ファイナルファンタジーVI」の「仲間を求めて」は多くのプレイヤーの思い出として胸に刻まれているのではないでしょうか?

個人的に好きなスーファミのBGMは色々ありますが、あえて挙げるなら「スーパードンキーコング2」の「Stickerbrush Symphony (スティッカーブラッシュ・シンフォニー)」。

通称、「とげとげタルめいろ」です。

デビッド・ワイズという海外の方が作曲されているので、日本人とは異なる感性で作られていると思うんですが、聴いていると物凄く切なくなるんですよね。

ゲーム音楽を聴いてこんなにも感情を揺さぶられたのは初めてだったので、よく覚えていますよ。

やがて、「スーパードンキーコング2」というゲームの思い出とシンクロするようになり、ぼくの心に眠るアルバムとして今もなお残っています。

ファミコンのゲームをプレイしていた時も良い曲に沢山出会えましたが、スーファミはそれ以上に出会えましたね。

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その2:数多くの名作RPGが誕生した

スーファミ時代には数多くの名作RPGが誕生しました。

特にスクウェアの勢いが凄まじく、「ファイナルファンタジー」はもちろん、

  • 聖剣伝説
  • ロマンシング・サガ
  • クロノ・トリガー

など、次から次へと大ヒットRPGを生み出して日本を代表とするゲームメーカーへと成し上がりました。

また、ファミコン時代に誕生した「ドラゴンクエスト」シリーズの人気も衰えず、1992年に発売された「V」はシリーズの中でも1.2を争うほど高く評価されています。

元々、ファミコンなどはゲームセンターの人気タイトルを家庭でも遊べる点をセールスポイントにしており、名前も家庭用ゲーム機でくくられていました。

しかし、1980年代後半に突入するとファミコンの性能が不足。

ゲームセンターの人気タイトルを満足に移植できなくなったことから、オリジナルのRPGやシミュレーションゲームの発売が増えていきます。

そんな流れの中で発売されたスーファミはCPUの処理速度よりもグラフィックやサウンドの面を重視したマシン設計を実現。

RPGを作りやすい環境になり、様々な名作が発売されていきました。

世の中には色んなジャンルのゲームがありますが、記憶に残る、心に残るという意味ではRPGって有利なジャンルだと思うんですよ。

RPGでは沢山の敵を倒して経験値を稼ぎ、主人公たちを強くしていきます。

そして、笑いあり感動ありの物語が名曲と合わせて展開されていきます。

時には強敵に破れてしまうなどの辛い展開もありますが、クリアする頃にはそういった辛さも浄化されていき、思い出として残るようになっているんですね。

そういったRPGのお決まりがこの時代に確立され、多くのゲームユーザーにとっての原点になったことが、スーファミが愛され続ける理由に繋がっているのではないでしょうか?

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その3:対戦ゲームが充実している

スーファミが愛され続ける理由の1つとしては、対戦ゲームが充実していることも大きく感じます。

アイテムを使ったドタバタレースを楽しめる「スーパーマリオカート」

格闘ゲームというジャンルを築き上げた「ストリートファイターII」

爆弾の爆風を当てて戦う「スーパーボンバーマン」

ボードゲーム形式で鉄道会社の運営をしていく「スーパー桃太郎電鉄」

これらのゲームを子供の頃、兄弟や姉妹、友達と一緒に楽しみ、今もなお思い出として刻み込まれている人も多いんじゃないでしょうか?

かくいうぼくもスーファミの対戦ゲームは当時、友達と楽しんだ記憶が未だに強く残っており、たまに「あの頃は楽しかったなぁ」と振り返ることがあります。

特筆したいのが、「スーパーマリオカート」と「ストリートファイターII」の大ヒットです。

「スーパーマリオカート」はマリオファミリーが活躍するレースゲームで、アイテムを使って相手をお邪魔できる点。

コース上に沢山の仕掛けが設置されている点が人気を博し、スーファミソフトとしては最高の売上となる382万本を記録しました。

「ストリートファイターII」は1対1で戦いを繰り広げていく格闘ゲームで、個性豊かなキャラクターによる駆け引きが人気を博し、社会現象を巻き起こします。

その勢いは対戦型格闘ゲームブームを巻き起こすレベルで、本作のゲームシステムを参考にしたゲームが大量に発売されるほどのものでした。

対戦ゲームほどは多くありませんが、協力プレイのゲームも忘れてはいけません。

敵キャラクターを2Pとして操作できた「星のカービィ スーパーデラックス」。

攻撃と移動を分担できる「おんぶ」ができた「がんばれゴエモン」シリーズ。

そして最大3人同時プレイに対応した「聖剣伝説2」などもこの時代に人気を博しました。

この手のゲームは1つの画面を相手と共有することになる関係上、共闘感が生まれやすく、相手との絆を深めるためのコミュニケーションツールとしても重宝したものです。

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その4:豊富なソフトラインナップ

スーファミはRPGや対戦ゲーム以外にも数多くのゲームが発売されました。

その数は実に1,447タイトルに及び、1252タイトルが発売されたファミコンを上回っています。

発売ペースも早く、1994年に至っては370タイトルも発売されたのだから凄いですね。

これだけのタイトルが発売されたこともあってラインナップはバラエティ豊かで、芸能人を起用したゲームから懸賞限定のゲーム。

さらにはとんでもないクソゲーが発売され、様々な趣向を持ったユーザーの期待に応えてくれました。

ちなみにぼくがスーファミで購入して最も後悔したのが「クレヨンしんちゃん2 大魔王の逆襲」です。

このゲーム、2Dアクションとしての出来は悪くないんですが、8ステージしか用意されておらず、30分でクリアできてしまうんですよ。

複数の難易度が用意されていたので周回プレイも楽しめましたが、1994年に約7,000円で販売するゲームにしてはあまりにも内容が薄く、親にねだって買ってもらったのを後悔しています。

発売タイトルが増えると、こういうガッカリゲームが出てくるのもまた一興ですねw

豊富なソフトラインナップという意味では、別売りの「スーパーゲームボーイ」を使用することでゲームボーイソフトが遊べたのも見逃せません。

ゲームボーイは1989年に発売され、「ポケットモンスター」「テトリス」などの大ヒットを作を生み出しました。

しかし、当時の携帯ゲーム機は残像が激しくてバックライトが付いておらず、目に負担が掛かることから「ゲームボーイを遊ぶと目が悪くなる」という風潮があったんですね。

そこで役に立ったのが「スーパーゲームボーイ」で、これをスーファミに接続することでゲームボーイソフトをテレビで遊ぶことができました。

ということは数百、数千ものゲームボーイソフトをスーファミで遊べるということなので、稼働率の向上にも繋がったということになります。

ぼくの家庭では携帯ゲーム機は禁止されていたので、ゲームボーイソフトは主にスーファミで遊んでいました。

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その5:2Dゲームの完成形に達した

スーファミが愛され続ける理由の1つとして、2Dゲームの完成形に達したことも大きく感じます。

スーファミになって描写能力が飛躍的に上がり、様々な映像技術が使えるようになりました。

そして、「スーパーFXチップ」など特殊チップをカセットに搭載することでさらに派手な表現が実現できるようになり、2Dグラフィックとしては1つの完成形に達します。

CG調で描かれている「スーパードンキーコング」の大自然なんかは当時、度肝を抜かれましたが、発売から25年以上が経った今でも十分に美しいと思うレベルで、全く色褪せていません。

スーファミ一強の時代が終わりつつあった1990年代中盤。

ゲーム業界では3Dポリゴンを使った3Dゲームがブームとなり、3Dグラフィックを採用することが1つのステータスとなりました。

しかし、当時は3Dゲーム黎明期だったこともあり、同時期の2Dゲームと比べたら無機質で、今となっては逆に古臭く見えてしまいます。

一方、2Dゲームはスーファミ後期に1つの完成形に達し、グラフィックはもちろん、ゲームバランスなども今でも通用するほどのレベルに感じます。

ぼくはSwitchやPS5などの最新ゲームをバリバリ楽しむような現役ゲーマーです。

そんな者がミニ スーファミやスーパーファミコン Nintendo Switch Onlineなどでスーファミのゲームを久しぶりに触っても普通に楽しめました。

特に任天堂が発売する2Dアクションゲームの多くは全く色褪せておらず、普遍的な面白さを持っているんだなと思いましたね。

そのためか後に発売されたゲームボーイアドバンスなどの携帯ゲーム機ではスーファミの2Dゲームをお手本にして作られたゲームが目立ちました。

その流れは今もインディーズゲームを中心に継承されており、スーファミは多くのゲームクリエイターさんにとっての原点であることが伺えます。

スーファミの2Dグラフィックって、独特な暖かさがあると思うんですよね。

特にトップビューで展開されるRPGのグラフィックはザ・スーファミって感じがします。

デフォルメされた二頭身のキャラクター、色彩豊かな風景。

個人的にはこれだけで50点は加点したくなってしまいます。

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その6:現役の期間が長かった

スーファミが愛され続ける理由の1つとして、現役の期間が長かったというのもあります。

スーファミは1990年に発売され、2000年までの10年間に渡ってソフトが発売され続けました。

スーファミの後継機となるN64が1996年から2001年までの5年間しかソフトが発売されなかったことを考えると倍近くも長生きしたことになるんですね。

要因としては、スーファミが人気だったことに加え、当時の任天堂が苦境に立たされていたことも大きく感じます。

1990年代中盤、ゲーム業界ではプレイステーション、セガサターンなどのCD-ROM機が台頭し、任天堂の影響力が徐々に薄れていきました。

そんな中で任天堂は1995年にはバーチャルボーイを。1996年にはN64。略してロクヨンを投入しますが、いずれも苦戦を強いられてしまいます。

バーチャルボーイは左右の画面に異なる映像を表示させることで立体画面を実現し、話題になりましたが、国内での売上は僅か15万台と大苦戦。

ゲームソフトも1年程度で発売されなくなってしまいました。

ロクヨンはスーファミの後継機として売り出され、次世代機戦争の本命と思われていました。

が、ソフト開発の難しさから思うように有力タイトルを発売できず、先行するプレイステーションやセガサターンに大きく水を開けられてしまいます。

任天堂はその打開策としてスーファミの延命策に打ち出しました。

ロクヨンの発売直前にはスーファミ本体が4,000円安く購入できるクーポン券を「星のカービィ スーパーデラックス」などの人気タイトルに封入。

1996年8月14日には希望小売価格を9,800円にまで引き下げ、1998年3月27日には廉価モデルの「スーパーファミコンジュニア」を発売します。

さらには

  • ゲームボーイソフトをテレビで遊べるうえに対戦・通信機能にも対応した「スーパーゲームボーイ2」
  • ローソンに設置されているLoppiを使ってゲームソフトの書き換えを行う「ニンテンドーパワー」

といった周辺機器・サービスをN64が発売された後に展開。

ゲームソフトも

  • 星のカービィ3
  • ファイアーエムブレム トラキア776

など、本来ならロクヨン向けに展開するべきタイトルをスーファミ向けに投入しました。

その結果、スーファミは入門機として定着。

発売から10年以上が経過しても高い稼働率を維持するようになり、世代を超えて愛されるようになります。

スーファミが発売されてから11年以上が経過した2001年当時。

たまたま近所の子の家に訪問したところ、みんなでスーファミを楽しんでいたので驚いたのをよく覚えています。

2001年と言えばロクヨンが第一線から退き、後継機となるゲームキューブが発売されるような時代です。

そんな時代でもスーファミが現役の家庭も少なくなかったのだから凄いですね。

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その7:耐久性が高く扱いやすい

スーファミが愛され続ける理由の1つとして、耐久性が高く、扱いやすいというのもあると思います。

この時代の任天堂製品は耐久性が異常なくらい高く、ちょっとやそっとじゃ壊れませんでした。

こちらはぼくが持っているスーファミです。

年季が入っていますが、未だに稼働するのだから凄いですね。

また、供給媒体がロムカセットである関係上、子供でも扱いやすく、ロード時間がほぼ存在しないのも人気の秘訣なんじゃないかと思います。

1990年代中盤に入ると光ディスクを供給媒体にするゲーム機が増加し、ロード時間が長くなったほか、別売りのメモリーカードを使用しないとゲームソフトのデータを保存することができませんでした。

スーファミの場合、カセットにバッテリーバックアップ機能を搭載することでメモリーカードなしでデータセーブができたので、子供に優しく感じます。

読み込み時間がほぼ存在せず、電源を入れたら一瞬でゲームソフトを始められたので、ホント、良い時代でしたよ。

まあ、カセットを差し込んでも接触不良でなかなか起動しなかったり、セーブデータが頻繁に消えて泣きましたけどねw

消えたら消えたでまた最初からやり直し、同じゲームでも何周も楽しんだのをよく覚えています。

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全体のまとめ

ここまでスーファミが多くユーザーに愛されている理由を語っていきました。

スーファミは数多くの要因が重なって今もなお愛されているんですね。

発売から30年が経過したということで、実機を動かせなくなっているご家庭も多いと思いますが、スーファミの遺伝子は今も継承され、多くのゲームユーザー・クリエイターの心に残り続けています。

ぼくにとってもスーファミは原点の1つなので、これからもスーファミ ミニやスーパーファミコン Nintendo Switch Online、バーチャルコンソールなどでスーファミソフトを楽しもうと思います。

長くなりましたが、スーパーファミコン、30周年、おめでとうございます!

本記事の動画版

 




2件のコメント

長らくゲームピコピコファミコンと言う周知度があり、圧倒的に普及していたSFCは家に転がっている物であったのが大きい。
ゲーム機はそうそう新商品に買い換える物でもない為、強烈な価格競争があったPSとSSは2年ほどで2万円程度の価格になったとは言え直ぐにSFCを捨てる事はない家庭の方が多い。
一般層にはFF7やバイオ等の続々ラインナップで3年目頃次世代機訴求力に結び付いた訳で、実質的に発売から17年ほどはSFCの蔵書稼働期間でもあったと考えられる。
アーリーアダプタゲーマー的にはバーチャやリッジ等の出た時点で、SFC年数は14年とスパッと切っているやも知れんがね。

後はまああの頃はゲームショップが沢山あり、旧世代機を廉価販売に当てていたのもSFCの再利用継続利用として一般層が買いやすかったのも大きいな。
2000年前後頃はポケモンから広がっていた携帯機の周知度で本体もソフトも安かったのがイメージされ、購買意欲においても重視されていたしな。
お陰でN64やGCは安くないからと声を聞いていたが、売れ行きが鈍ってしまっていた原因の一つではありそうだ。
まあ結局SFCが長くなったのはそう言う所だろうな。

17年14年は10年引いて読んで貰いたい。
Wiiがある中になる訳で、そう言う家庭もあるやも知れんしデタラメとは限らないがいくら何でも長すぎだな。