【コラム】綺麗に完結させたゲームの続編で前作の主人公を唐突に逝かせる→ユーザーが激怒して評価が急降下する事例が続出している件について

どうも!KENT(@kentworld2 )です!

綺麗に完結させたゲームの続編で前作の主人公を唐突に逝かせる。

ユーザーが激怒して評価が急降下。

最近、このような形で評価を落とすゲームを定期的に見かけます。

ゲームと言えども開発者はもう少しキャラクターを大切にできないのでしょうか?

本記事ではキャラクターを大切にしないゲームシリーズついて語っていきます。

思い出は綺麗なままで

綺麗に完結させた作品の続編で前作の主人公が唐突に逝ってしまう。

これのどこに問題があると思いますか?

ぼくは各ユーザーが持っていた綺麗な思い出をアッサリと否定されたからだと思っています。

例えばさっく~が大活躍する「さっく~クエスト」という作品があるとしましょう。

「さっく~クエスト」のストーリーは綺麗に幕を閉じるとします。

しかし、続編の「さっく~クエスト2」では一変。

前作の主人公であるさっく~が冒頭でライバルのざっく~に倒されてしまいます。

そして、主人公がライバルのざっく~になってしまいました。

どうでしょう?

さっく~に思い入れがあるユーザーは「前作の思い出は何だったんだ!」と激怒しないでしょうか?

倒されるまでの過程を丁寧に描いているのであればまだしも、唐突ですから。

ネタのように書いてしまいましたが、似たような形で過去作の人気キャラクター、もしくは主人公を簡単に逝かせる続編ものをここ数年に何回も見てきました。

ぼくが2019年にプレイした新作ゲームに限っても軽く3タイトルはありますw

そして、その度にネット上では激怒するユーザーが現れて「○○は駄作だ!」みたいな風潮が生まれるんですよ・・・。

ぼくはゲーム体験が楽しめたら満足するユーザーなので、過去作のキャラクターがないがしろにされてもそこまで大きな減点にはなりません。

むしろ、某アドベンチャーゲームでは「よくやった!」と褒めてしまいましたw

しかし、このような趣向を持ったユーザーはゲームコミュニティでも少数派だと認識しています。

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日本はキャラクター大国

ぼくが思うに日本という国はキャラクター大国に感じています。

どこの国よりも魅力的なキャラクターを生み出す能力に長けていて、架空のキャラクターに愛着を持つ国民性を持っているんじゃないかと。

スマホゲームの課金率が他国と比べても突出して高いのもキャラクター大国なのが影響しているのでしょう。

スマホゲームの課金ってキャラクター性が大きなウエイトを占めていますから。

絵が上手い人が多いのも架空のキャラクターに愛着を持つ国民性が影響しているのでしょう。

PS3「テイルズ オブ ゼスティリア」のユーザー評価が日本だけ極端に低いのも(ry

このように日本という国は考えれば考えるほどキャラクターありきであることが分かってきます。

これはゲームでも例外ではなく、多くのユーザーはキャラクター性が評価の大きなウエイトを占めているのでしょう。

「どんなにゲームとして面白くても納得できる形でキャラクターを描いていないとダメ!」

そんな人も多く感じます。

だからこそ、ゲーム開発者は自分たちが生み出したキャラクターを大事にした方が良いと思うんです。

架空のキャラクターだからと言って軽視せず、逝かせるのであれば丁寧に描かないとファンは納得しませんよ・・・。

これ以上キャラクター軽視でブランド崩壊するゲームシリーズを見たくない

前述の通りぼくはゲーム体験重視派なので、キャラクターに愛着を持つことはほとんどありません。

あったとしても一時的で、すぐに浮気してしまいますw

なのでぼく個人としてはストーリーに刺激が生まれるのであれば前作の人気キャラクターが唐突に逝っても気になりません。

しかし、このような展開を盛り込むことで世間の評価が下がってしまい、続編の売上に影響が出るのであれば勘弁してほしいです。

ただでさえ家庭用ゲーム機市場は縮小傾向で人気シリーズが減ってきていますから、これ以上ブランド崩壊するシリーズが生まれてほしくないのですよ・・・。

最近(2019年12月)、某大作ゲームで本記事に通ずることがあってネット上での評価が大きく下がっています。

どこまで影響があるのかは分かりませんが、次回作に良い影響を与えることはないでしょう。

ユーザー評価が低いタイトルの続編は大きく売上を落とす傾向にありますから。

※某大作ゲームについて思うことがある場合はレビュー記事のコメント欄にお願いします。

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開発者の気持ちも分かる

ここまで物申す感じで語ってみましたが、開発者が人気キャラクターを唐突に逝かせたくなる気持ちも分かります。

ぼくは中高生の頃、連作の漫画を描いていたんですが、ある時、レギュラークラスのキャラクターを逝かせてしまいました。

何故かと言うと話の流れがマンネリ化してしまったからです。

そんな中でレギュラークラスのキャラクターを逝かせたら新しい風を吹き込めるし読者も衝撃を受けると思ったんですよ。

このような経験から連作で人気キャラクターを逝かせるのはマンネリ打破の特効薬に感じています。

しかし、今思えば諸刃の剣になんじゃないかと思うようになりました。

もし、その漫画が一般公開されていたら読者から苦情が殺到していたことでしょうw

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全体のまとめ

以上!キャラクターを大切にしないゲームシリーズついて語ってみました!

ゲームは様々な要素の集合体ですが、こと日本ではキャラクターに大きなウエイトが置かれているのは間違いありません。

特にアドベンチャーゲームやRPGはキャラクターありきなのではないでしょうか?

だからこそ、ゲーム開発者は自らが生み出したキャラクターを大事にしてほしいと思うのです。

キャラクターを逝かせるのがダメな訳ではありません。

綺麗なままで終わったハズの思い出を唐突にぶっ壊すのがいけないんです。

逝かせるのであれば過程を丁寧に描いてユーザーが納得する形にしないといけません。

最後に3行まとめ
  • 綺麗に完結させた作品の続編で前作の人気キャラクターを唐突に逝かせる展開は禁じ手。
  • 日本はキャラクター大国であることをゲーム開発者はもっと理解するべき。
  • 人気キャラクターを逝かせるのはマンネリ打破には有効だが諸刃の剣。

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24件のコメント

あらら〜…?
某大作ゲームで旧シリーズのあのお方が出るのは知っていましたけど、調べてみたらモンスター化してるじゃんwww

僕はどちらかというと旧キャラがその後の物語で不幸な目にあって終わるのだとしたら、それはやめてほしいと思う派です。

逆裁4のダルホドくんは、別キャラな良かったのにと思いましたし、レベルファイブのゲーム作品でよくあるのですが、無計画に映画で豪華な俳優を声優に使った結果、シリーズ化すると大人の事情で声優が変わるのは嫌ですね?
声優さんの場合は亡くなってしまったり、数十年後に交代ならいいですけどね。

でも「あの旧キャラがあんなことに」という展開は諸刃の剣だと思います。
ユーザーの注目はバッチリ受けられますが、話運びが下手だとファンから反感を買いますからね。

でも作家目線になると確かにマンネリ打破の手立てでついついやりがちなんですよね。
僕も創作で、主人公が死んでしまう展開はよく思い耽ってたりしました。
しかしある時、自分が読み手になって好きなキャラが死ぬ展開をジャンプ系でよく目にするようになったのですが、自分が好きなキャラだと感情移入し過ぎて落ち込むことが毎度だったのですよ。
その上で実は「死んでません」とか「蘇れる」って展開になったときは「は?」って白けましたwww 蘇るなら最初から殺すなって思います?
「帰ってきた ドラえもん」もそうですが、せっかくの感動を返せ!ってなりますwww

それがあってから、僕の創作では「主人公は絶対に死なせない」というルールができました。
またそれを蔑ろにする物語は僕はとても嫌いです。

「ユッキーとダイヨロ」でユッキーを死なせたら、怒りますよ?www

日本ではバッドエンディングって嫌われやすいですよねぇ。ストーリー的には意外性があり、リアリティも感じられますが。

最近は安易な刺激を盛り込もうと主人公を不幸にさせる作品がゲームでも増えてきました。

特にマンネリ感が蔓延しているシリーズに多い傾向です。

確かにマンネリは打破出来るかもしれませんが、それでブランド崩壊したら元も子もありません。

ちょっと違いますが、龍が如く7は主人公や戦闘システムが変わったので心配です。

「ユッキーとダイヨロ」ではさすがにユッキーは生き続けています。ただ、ユッキーの恋人は逝かせてしまいましたw

本編で死なすならわかるんですけどね
なんで続編で死なすの、って思います
そもそも人死には感情高める手段としては一番安直なのでそれに頼らざるを得ない時点で作者の力量不足の問題ですよね
主人公を変えるとかは別に良いと思います、作品の幅が広がることにもなるので(もちろんシナリオと演出次第ですが)
逆転4とかはむしろ上手かったですよ
落ちぶれたように見せかけて実は、という感じだし
アニメとかだと上手く主人公切り替えてつないでいる作品も多いことを考えると、ゲームのシナリオはまだまだ未熟な(とこが多い)んだなぁと思います

>本編で死なすならわかるんですけどね
>なんで続編で死なすの、って思います

そこがミソですよね。1作目から2作目の間にユーザーが個々で独自のエピローグを思い浮かべているでしょうから。

開発者が思っている以上にユーザーはキャラクターに思い入れを持つことをもっと知ってもらいたいです。

たしかにそういうのってありますよね。
某大作っていうのが自分はどの作品かはよくわからないですが。

ちょっと前だとGTA5でGTA4のスピンオフの主人公のジョナサン・クレビッツ「通称:ジョニー」がトレバーにあっけなく殺されるっていうのがありましたね。
GTAの作風的には、過去作の主人公だろうと容赦なく殺すという無情はあってはいるんですが、それでも愛着がある人だったら悲しんだり怒ったりしますよ。

自分もストーリー次第だと好きなんですがね、あまりに雑に過去作のキャラが死んだりするとそりゃ怒りますよ。
ゲームに限らずですけどね。

自分の考えもどちらかというと少数派なんでしょうね。
ストーリーにあっていればキャラが死んでも実はそんなに苦じゃない。
むしろ好みだったりすることも多いってくらいですからね。
まあ、「戰爭機器」(とあるゲームの中国語表記)の最新作ではちょっとショックではありましたがw
あれは選択制にして続編はどうする気なんだ・・・って本気で思いましたね。

って、なんでGTAの方は伏せないで某ゲームは「戰爭機器」って実質付せにしてるんだワシw

某大作は発売されたばかりでクリアしていない方も多いので名前を伏せさせて頂きました。

洋ゲーって割と容赦なくキャラクターを逝かせますよねw

ただ、和ゲーとは違ってリアリティを優先しているので、そこまで叩かれることはないように感じます。

和ゲーは良くも悪くもユーザーに感情移入をさせるのが上手くてキャラクターを掘り下げてきますから・・・

まあ、一種の栄枯盛衰病ですよね。
どんなに栄えたものでも必ず衰退する事を描いちゃう俺カッケー。が生み出す悲劇というか。

この思想にクリエイターは陥りやすいので、前作主人公が駄目人間になっていたり死んでいたり、あるいはその子供が邪悪に染まっていたりという手法はよく取られます。
しかし、それらの大体は不評です。

じゃあ、なぜそれらの手法が人気なのか。

新しいものを作りたい。でも、前作の威光は借りたい。
そう思った時、作者の多くは過去作の価値を落として新作の価値をあげようと考えます。

そこで用いられる手法がなんでも栄枯盛衰するものだ。前作主人公だってそうだ。という方便です。
これが絶妙に過去作を否定しつつ利用したいという作者のマインドとマッチします。

これが栄枯盛衰病の正体です。

前作を否定する俺カッケー病とも言われるこの病は、
作者的にはめちゃくちゃ高尚な事を書いてる気分になってとても気持ちがいいです。
逆にこの病気にかかると前作主人公がそのまま幸せな生活を送ってるというのはなんだか陳腐にすら感じてきます。

だから、前作主人公殺っちゃってもいいよねBY作者(だめだよBY読者)

このような精神状態なので、この手の前作をレイプする作品が後を絶たないというわけです。

仰る通りだと思います。過去作品の否定はブランド崩壊に繋がるので、これ以上は増えないことを祈ります。

自分はこういう展開があってもそんなに傷つかないタイプです。色んな作品で観てきたから耐性が付いて来てしまったという事もありますし、作り手側の事情でシナリオを変えてしまうのは理解できます。
どんなに考えても前作の主役が死ななければ話が出来上がらないと決まったのであれば、仕方ないと受け止めてます。

後、これもよくある展開なんですが「死んだと思っていたら生きていた!」という流れもあります。実は自分、今批判されている某ゲームはその流れを作りたいからそうしたのでは?と思っています。
もし続編が決まり、今度は前作のキャラの活躍も描きますよーとなったら購買意欲が上がる人もいますからね。なんかそんな匂いを感じるのは私だけでしょうかね?

あぁ、確かに某ゲームはその線もありますね。ご都合主義なところも目立っている作品ですから。

問題なのは、もう少し旧作ファンに希望を持たせるような終わり方をしていないことですね。

確かにそういう設定は嫌ですよね。何度となく話題に出しているタイトルですが、PS2の「正義の味方」ってゲームは大傑作だと思うんですけど、悪の組織のボスが主人公の前に街を守っていたヒーローだったという設定だけにはいまだに納得がいきません。

恐らく、こういう設定にも何か元ネタになった作品があるんだろうなと思います。何なんでしょうね?

ほにょさんもこのような設定は苦手ですか。

「正義の味方」にはそのような設定があるのですか!?それは考えさせられる設定です。

もし、「正義の味方」がシリーズ2作目で1作目の主人公が悪の組織のボスだったら叩かれていただろうなぁ・・・

「正義の味方」の悪の組織であるゲネスはコミカルな悪事を働くことも多くて、遊ぶ側もあまりシリアスにならずに楽しんでいたと思うんですよね。それだけに、ラスト前のエピソードで普通の怪人と同じように倒したのが只野市を守っていたヒーローのパートナーだったヒロインだとわかったときの衝撃はでかかったです。

かつて輝いていたキャラクターが駄目になっていったりバッドエンドを迎えたりする展開を全否定するつもりはないけど、人一倍慎重にやんないと駄目だと思います。確実に読者を傷付ける展開ですからね。インパクトを残すためにあえてバッサリ斬る人もいますけど、そういう人こそ本当は大胆なように見せて繊細です。でないと今回のような大惨事になっちゃう。そういう面でもライターの書く力が落ちているんだなと思います。

日本人は物語やキャラに対しての共感力が高いのかなと思います。だからこそゲームという物語を進めるなかで、少しづつただのデータにすぎないキャラや世界観に対して、ある種の生命感という存在感を感じやすくなっているのだと思います。
そうした思い入れがある存在に対して、急にそれをなかったことにされてはやはりそれは受け入れがたい面があるのかもしれません。
別に主人公とかがいなくなってもいいとは思いますが、そこに至るまでの物語はある程度欲しいですし、難しければパラレルワールドとか、時間軸をかなり先に進めるとかに何かしらの対処があってもいいのかなと思います。
最近ですとバイオハザード2のリメイク作品がとても評価を受けています。あれも、シリーズを通じて成長しすぎてしまった主人公に対して、主人公を安易に消して続編を作らず、完全に新作に近いようなリメイク作品を作ることで本編のリスペクトをしつつ、マンネリを打破して新たなる境地を開いています。安易に設定を捨てず作品に対して向き合う姿勢があるからこそユーザーの支持も集まるのだと思います。

某大作ゲームも出来はいいですが、やはり世界観の設定や主人公の扱いでかなり苦労していたかなと作成者側の苦労が伝わってきます。だからこそ中途半端な扱いよりは、作品の世界観やゲームとしての根幹部分を大事にしつつ、完全にパラレルでやってもらった方が、今後の続編をつくるに当たっても縛りが無くなり、より作品の質が上がったのではないかと思いました。

それはありますね!

もっとゲーム開発者は日本人の国民性を理解したほうが良いんじゃないかと思います。

ぼくが想像している以上にキャラクターへ思い入れを持つ方が多いように感じますから。

某大作ゲームは色々変えようとしているのは伝わってきましたが、脇が甘かった。

前主人公の死亡というのはたしかに印象に残るし話題にもなりやすい。
それに新作の敵があのキャラが勝てないほどの強敵なんだと思わせる事もできますが、自分はやっぱりあまり好きではないですね。
前作がハッピーエンドで終わったのならそれなりに平和に暮らしていて欲しいんですよ。
普段は表に出ないけどいざという時には頼りになったり、主人公を導く師匠的なポジションの話の方が好きです。
とはいえ前主人公が活躍しすぎるとガンダムSEEDみたいな事にもなりかねないのでやっぱり扱いは難しそうですね。

おそらく、大多数の方が同じように考えていると思います。

目先のインパクトだけで行うのは危険な戦法ですよね。

人間にハッピーエンドはないんですよ、みんな死にます。だけれど映画などでは美しく終わらせることができるんです。そして、ハッピーエンドで完結を宣言したらその後はファンの自由な想像に任せないとダメだと思います。
〇〇〇〇の話のなにがダメかというと、10年以上前に完結させた作品のキャラのその後をめちゃくちゃにしたことです。旧作の声優さんがシナリオ読んで新作への参加を何回か断ったという気持ちもわかりますね。
こういうやり方で大成功した作品は映画でもマンガでもゲームでも思いつきませんね。たとえばスターウォーズ新シリーズが最初のシリーズを超えたという評価は、ほぼないでしょう。

確かにこのようなやり方で成功した作品はありませんね。にも関わらず未だにこの方法を選択するゲームが跡を絶たないのは何故なのでしょうか(汗)

前作の主人公だけじゃなくて主要キャラコロすのはユーザーが納得できてストーリー上外せない、意味があったと感じるなら別にいい
パロムとポロムが石化するとことか子供ながらに泣いたけど解除できない理由含めて納得できたし

たんに話に起伏を持たせたくて何となく…みたいなパターンが多いから批判されてると思う
FF10の小説とか…、今回の○○とか
そういう作品ってストーリーの稚拙さが目立つし大風呂敷を広げたはいいけど話畳めてなかったりコロすとこだけじゃなく全体的に杜撰だから続編作るなら時間かかってももっと話練った方がいい
むしろ核の部分だから映像、描写よりもよっぽど時間かけた方がいい

>たんに話に起伏を持たせたくて何となく…みたいなパターンが多いから批判されてると思う

これはよくわかります!ぼくも同じような形でキャラを逝かせたことがありますのでw

世に出したらキャラクターは作者だけの物ではなくなっているのですね・・・

ゲーム、特にRPGだと主人公はプレイヤーが何時間もかけてラスボスや裏ボスを倒せるくらいに強くするからこそ、続編であっけなくやられてしまうと前作で費やした自分の時間がないがしろにされたような気分になる‥というのも不評になる理由の一つかなぁ
シリーズものの続編は同じ世界線で前作のキャラがでてきてほしいと思う反面、無碍な扱いはされてほしくないなぁと思いますよ

ただ、ADV好きとしてはうまーく調理された場合悔しいと騙されたー!に悩まされてドーパミンばしばしでそうですけどね!

それもあるでしょうね。ゲームのインタラクティブ性が感情移入の度合いを強めていますから。

アドベンチャーゲームは緻密なストーリーを描きやすいジャンルなので、例え主人公が逝っても納得がいく描写をしやすく感じます。

だからこそ、この道を行こうとする作品が跡を絶たないのかなぁ。

例の大作は
前作主人公の退場に加えて
・所謂レインボー系である新キャラの「サービスシーン」を入れてしまって(幸い日本版ではカット)「マジョリティ」の人から大反感
・退社した元ノーティのスタッフの告発によるセクハラや給料未払などのノーティのブラック企業疑惑
・政治的思想とかが絡んで問題が複雑化

と複数の要素がからんでここまで炎上してると思いますね…