ゲームメーカーの歴史を振り返る特集コーナー。第三弾ではエニックスにスポットを当てて行きたいと思います。
「ドラゴンクエスト」だけが突出して目立っているゲームメーカーですが、30年間ずっと第一線を走ってきました。本記事ではファミコン時代から振り返っていきます。
1980年代前半
コンテストで優秀なクリエイターを発掘!
1980年代前半。この頃、エニックスはパソコンのゲームメーカーで、大々的なプログラムコンテストを行っていました。
賞金総額は300万円!優勝者には100万円を贈呈するという豪華なコンテストでしたが、このコンテストによってあの有名クリエイター、堀井雄二氏、中村光一氏を発掘したんです!
堀井雄二氏はみなさんご存知の通り、「ドラゴンクエスト」の生みの親。
中村光一氏は後にチュンソフトを立ち上げ「トルネコの大冒険」や「風来のシレン」シリーズを生み出しました。
このコンテストに入賞した両者は数年後、ファミコンで「ドアドア」、「ポートピア連続殺人事件」を発売。一躍知名度を上げました。
1980年代後半
ドラゴンクエストが社会現象に!
1986年には「ドラゴンクエスト」のシリーズ1作目が発売!
本作は家庭用ゲーム機では初となるRPG(ロールプレイングゲーム)でした。
それまでのRPGはとっつきが悪く、日本ではあまり知られていませんでしたが、分かりやすく噛み砕く堀井節やすぎやまこういち氏のインパクトあるBGM、「Dr.スランプ アラレちゃん」や「ドラゴンボール」で株を上げた鳥山明氏のキャラクターデザインのおかげもあって1作目から150万本の大ヒットを記録!
このヒットによって「ファイナルファンタジー」や「桃太郎伝説」、「女神転生」などファミコン向けに多数のRPGが発売され、「スーパーマリオブラザーズ」による2Dアクションゲームブームから新しい風を吹き込むことに成功しました。
多数のフォロワータイトルが発売される中、RPG人気は収まる事なく、「ドラゴンクエスト」シリーズの人気は作品を重ねる毎に上昇。
「ドラゴンクエストII 悪霊の神々」は240万本を超える売上を記録し、「ドラゴンクエストIII そして伝説へ…」に至っては380万本を超えるメガヒットを記録しました。
特に「ロト」シリーズ完結編と位置付けられた「ドラゴンクエストIII そして伝説へ…」は大容量ROMによる大作感を謳っていた事もあってユーザーの期待度が極めて高く、発売日が平日なのにも関わらず各地で行列が発生!
学校を無断欠席してまでソフトを買いに行く学生が続出し、購入したゲームソフトを恐喝する「ドラクエ狩り」が続出した事もあって社会現象/社会問題になりました。
この件によって「ドラゴンクエスト」シリーズは平日発売から土曜発売に変更。学生が休みの週末発売が定着しました。
1990年代前半
ドラクエはまだまだ人気!
1990年代に入っても「ドラゴンクエスト」は高い人気を維持し続けました。
1990年に発売されたFC「ドラゴンクエストIV 導かれし者たち」はシリーズ初の章仕立てに変更され、独自性をアピール。前作ほどではないものの300万本以上の大ヒットを記録しました。
1992年にはスーパーファミコンで「ドラゴンクエストV 天空の花嫁」が発売。親子3世代に渡るストーリーや重大な選択イベント、モンスター仲間システム、そしてシリーズ初の隠しダンジョンとこちらも意欲的な新要素が満載です。
ドラクエばかりが話題になる中、1991年には「いただきストリート」というボードゲームを発売。
「ドラゴンクエスト」の堀井雄二氏がゲームデザイナーを務める本作は「モノポリー」をベースにオリジナル要素を取り入れ、定期的に新作が発売される人気シリーズとなりました。
※エニックス発売になったのはシリーズ2作目からです。
安定した収益を得るため出版業を始動!
このように「ドラゴンクエスト」を始めとするヒット作を生み出したエニックスですが、1991年に月刊誌「月刊少年ガンガン」を創刊します。
当時のエニックスは「ドラゴンクエスト」に依存しており、収益が安定していませんでした。その打開策として出版事業を始めたんですね。
当初は「ドラゴンクエスト」頼みの展開でしたが、そのおかげもあって人気雑誌に発展。
「魔法陣グルグル」、「鋼の錬金術師」などのヒット作が誕生し、それらの作品をエニックス(スクウェア・エニックス)がゲーム化する例もありました。
1990年代後半
今度は携帯機ブームの波へ!
1996年にはSFC「スターオーシャン」を発売。
「テイルズオブ」シリーズのスタッフが集まったトライエース制作の本作は同シリーズと類似した点が多いものの、SFとファンタジーを融合した世界観や魅力的なキャラクターによって人気を確立。以降、続々とシリーズ作品が発売されます。
同時期、世間では「ポケットモンスター」が空前の爆ヒットを記録。それを受けて1998年にはGB「ドラゴンクエストモンスターズ テリーのワンダーランド」が発売。
本作はモンスターの育成を重点的に置いた作品で、本編とはまた異なる方向性でロングヒットを記録しました。
以降、「ポケットモンスター」シリーズ程ではないものの高い人気を維持。「ドラゴンクエスト」シリーズの派生作品としてはトップクラスの人気となりました。
さらに同時期には携帯ゲーム「ドラゴンクエスト あるくんです」。こちらは「たまごっち」ブームに便乗したゲームで、育成要素に歩数計の要素を加えていました。
このように「ドラゴンクエスト」は昔からヒットタイトルを独自にアレンジし、ブランド力の高さを活かして本家との住み分けを行う戦略に出ていたんですね。
2000代前半
ドラクエの舞台はプレイステーションへ!
2000年にはプレイステーションで「ドラゴンクエストVII エデンの戦士たち」が発売。
それまで任天堂ハードで展開されていた「ドラゴンクエスト」が、ここに来てプレイステーションへ以降しました。
「ドラゴンクエスト」シリーズの方針として、「一番普及しているハードに展開」するというものがあるから移行を決意したようです。
一見すると裏切り行為にも取れますが、エニックスは任天堂ハードでのソフト供給も止めず、ゲームボーイ向けに多数の「ドラゴンクエスト」シリーズを発売。
さらに1999年末に発売する予定だったPS1「ドラゴンクエストVII エデンの戦士たち」も任天堂の目玉タイトルとバッティングしないための配慮で延期(2000年8月)を決断。
後の合併するスクウェアとは違い、任天堂とは良好な関係を維持していました。
幾度もの延期の末に発売されたPS1「ドラゴンクエストVII エデンの戦士たち」はシリーズ最大のヒットを記録。プレイステーションへ移行しても「ドラゴンクエスト」人気は衰えていません。
続いてPS2へ移行!レベルファイブが一躍有名に!?
2002年にはPS2で「ドラゴンクエスト」シリーズを展開すると発表!
2004年に「V」のリメイク作。そしてナンバリング最新作の「ドラゴンクエストVIII 空と海と大地と呪われし姫君」を発売しました。
「ドラゴンクエスト」シリーズと言えば延期で有名ですが、「ドラゴンクエストVIII 空と海と大地と呪われし姫君」は珍しく全く延期しておらず、それでいて完成度が高いから凄いですね。
本作を開発したレベルファイブは後にパブリッシャー参入を果たし、数多くのメガヒットタイトルを生み出します。
このようにエニックスは「ドラゴンクエスト」やコンテンストを通じて今も昔も多数の優秀クリエイターを発掘したんですね。
2003年にはスクウェアと合併し、スクウェア・エニックスに。
出版事業を始めたとは言え「ドラゴンクエスト」シリーズ以外にメガヒットシリーズを持っていないエニックス。映画「ファイナルファンタジー」が大コケして窮地に陥ったスクウェアの両者にとって合併はWin-Winだったようです。
2000代後半
今度の舞台はDS!
2006年にはニンテンドーDSが空前の大ブームに。それを受けて「ドラゴンクエスト」シリーズの展開も大きく変わろうとしました。
なんと、ナンバリング最新作「ドラゴンクエストIX 星空の守り人」をニンテンドーDSで発売すると発表したんです!
それまでのコンシューマーゲーム市場は据え置き機メインで携帯機はサブのような感じでした。
そのため据え置き機で本編を展開していたシリーズ作品が携帯機に移行するような例はそれまで全く見られず、しかも「ドラゴンクエスト」が移行するのだから当時としては衝撃的だったんです。
例によって延期に次ぐ延期で発売は2009年夏までずれ込んだ本作はすれちがい通信を使ったシステムが各地で社会現象を巻き起こしました。
本編としてはストーリーやキャラクター性が低く、難易度が低いので賛否両論でしたが、シリーズ最大のヒットを記録。商業的には成功を収めました。
2010代前半
今度はオンラインゲーム!?
2011年には「ドラゴンクエスト」シリーズの次回作はオンラインゲーム、それもWii向けに展開すると発表。
「ファイナルファンタジー」シリーズのナンバリングタイトルがオンラインゲームになった例があるとは言え、こちらも各地で衝撃が走りました。
オンラインゲームになる事での拡張やソーシャル要素を喜ぶ人がいる一方、特有のゲームバランスや課金制に拒否反応を示す人。そして対応ハード。
前作に続いて賛否両論でしたが、オンラインゲームとしては国内最大級のヒットなり、展開から5年以上が経った今でも高い人気を維持しています。
ドラクエが再びプレイステーションへ!
DS/Wiiブームによって再び任天堂ハードメインでの展開になった「ドラゴンクエスト」。
PSハードでは2006年のPS2「ドラゴンクエスト 少年ヤンガスと不思議のダンジョン」以来、ずっと展開されていませんでした。
2000年代前半は多数のシリーズ作品が展開されていただけにその流れに不満を持つユーザーもいましたが、2014年の「SCEJA Press Conference 2014」で衝撃的な発表があったんです!
なんと、アクションRPG「ドラゴンクエストヒーローズ 闇竜と世界樹の城」がPS4/PS3向けに発表されました。
HD機向けの本格的なアクションゲームはシリーズ初だったので派生作品とは言え話題性は高く、そのインパクトは2014年ゲームニュースの中でもトップクラスだったと思います。
その後はすぐに続編がPSハード向けに展開され、さらに「ドラゴンクエストビルダーズ アレフガルドを復活せよ」という「マインクラフト」をベースにした派生作品も展開されて完全にPSハード復帰をしました。
2010代後半
今度はスマホに注力!
2010年代後半に入り、今度はスマートフォンでゲームを遊ぶのが主流になってきました。
そんな中でエニックスは「パズル&ドラゴンズ」をベースにした「ドラクエモンスターズ スーパーライト」を展開。ブランド力の高さを活かし、大ヒットを記録しました。
2015年には「星のドラゴンクエスト」を展開。こちらは完全スマホオリジナルコンテンツとしてリリースされ、DS「ドラゴンクエストIX 星空の守り人」のコンセプトを引き継いだような作りになっています。
さらにナンバリングタイトル8作全てをスマホ向けに移植すると発表。時代の流れに合わせて「ドラゴンクエスト」シリーズもスマホに肩入れをするようになります。
しかし、前述のすれ違い通信、オンラインと古くからのユーザーが求めている「ドラゴンクエスト」とは乖離してきたのも事実で、不満を感じていた人も一定数いました。そんなある日・・・
まさかの2機種展開!そして原点回帰へ!


2015年にはPS4/3DS向けに「ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて」を展開すると発表!
同世代間でのマルチタイトルではなく、性能や方向性が全く異なるハードで展開する事からこちらも話題になりました。
しかもPS4版は正統進化。3DS版はお手軽さやレトロ感をセールスポイントとし、ユーザーのニーズに合った展開をしてきたので賛否両論ではなく、賞賛ムードとなったんです。
それから2年後の2017年。目まぐるしく時代が移り変わる中、原点を見つめ直し、正当なシリーズ最新作として発売されようとします。
日本のRPG市場を作り上げたエニックスと「ドラゴンクエスト」。これからも基本を忘れず、RPG市場を盛り上げて欲しいです。
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ポートピアは当時学校でどこまで進んだか報告し合う程に僕の周りでは人気がありました。
ドラクエも当時思い付きで夜中に自転車で駆けつけてトポス(ダイエー系)並ぼうとしたら大行列でビビった記憶があります。
当時は情報も少なく熱気が今では考えられない程凄かったんです。だからドラクエ11は僕ら世代にはある種のノスタルジーがあるんじゃないでしょうか。
まあ僕はガンガンの表紙が「とある魔術の禁書目録」に思わず反応しました。インデックスのマウスパット欲しいですよ。