今回から新企画として特定のゲームメーカーにスポットを当てた振り返り記事を書いていきたいと思います。
第一弾はハドソンです。「ボンバーマン」、「桃太郎電鉄」などの人気シリーズを生み出したメーカーとして知られるハドソンを個人的な観点で語って行きます。
目次
1980年代前半:任天堂初のサードパーティ
ハドソンは元々、パソコンのソフトメーカーでした。そのため当時としては技術力が高く、任天堂とは「ファミリーベーシック」というファミコン向けの周辺機器を作っていたようです。
これがきっかけでハドソンはファミコンソフトの開発を開始。数多くの大ヒットタイトルを生み出します。
まず、誕生したのが「ロードランナー」。アメリカで展開されたアクションパズルゲームの移植作ですが、100万本を超えるミリオンセラーとなりました。
「忍者ハットリくん」、「ドラえもん」といったキャラクターゲームのヒットも印象的です。
特に「忍者ハットリくん」は150万本を超える大ヒットとなり、1998年のGB「遊☆戯☆王デュエルモンスターズ」まではずーっとキャラクターゲーム最大のヒット作として記録に残っていました。今では信じられない話ですね。
1980年代中盤:高橋名人が大ブレイク!
1980年代中盤、ハドソンの広報が思わぬ人気になります。それが今でも知名度が高い高橋名人です。
「ゲームは1日1時間」という名言を生み出し、1秒間に16回押す16連射が強烈で、当時の子供たちから絶大な支持を集めていました。
僕も高橋名人には憧れていましたね。名人のようにゲームが上手くなりたい!ファミコンソフトをプレイしながらそう思っていたものです。
名人が主人公の「高橋名人の冒険島」も1作目は100万本を超える大ヒットとなりました。当時の作品らしく難易度は高かったけど、個人的には「スーパーマリオブラザーズ」と並ぶほど好きな2Dアクションゲームでしたね。
ただ、名言の「ゲームは1日1時間」には当時、苦しめられました。
この名言が生まれてしまったために家庭内で「ゲームは1日1時間」のルールが生まれたもんだから家でゲームをプレイする時は親にストップウォッチでプレイ時間を計測され、1時間経ったら強制的に電源を切られてしまいましたから・・・。
「高橋名人の冒険島」は大ハマリしましたが、名言の「ゲームは1日1時間」は嫌いでした。
ちなみに高橋名人とは実際に会った事があります。子供の頃から憧れだった高橋名人に会えた時は嬉しかったなぁ。過去にタイムスリップして子供の頃の自分に会えた事を伝えたらどんな反応をするんだろう?
1980年代後半:PCエンジンの誕生


1987年、ハドソンは日本電気ホームエレクトロニクスと共同開発して新型ゲーム機、PCエンジンを生み出しました。
PCエンジンはファミコンよりも遥かに性能が高く、一世代進んだ高性能ゲーム機で少し上の層を中心に人気を獲得。ファミコンでは実現不可能な高い表現力の作品が数多く生まれました。
特に有名なのが1992年に発売された大作RPG、「天外魔境II 卍MARU」です。SUPER CD-ROM2というPCエンジンの周辺機器が必要でしたが、プレイしたユーザーの間では評価が高く、50万本前後の大ヒットを記録。
その人気は今も根強く、ユーザーが選ぶ歴代ゲームランキングではそれなりに高い位置にランクインしています。
このようにPCエンジンは一定の支持を得ることに成功しましたが、興味深いのが、ハドソンは本ハード発売以降もファミコンにソフト供給をしていた事です。
ファミコンを踏み台にしてPCエンジン市場を生み出したのではなく、共存の道を歩んだんですね。
当時としては技術力が高かったハドソンはファミコンでのソフト開発だけでは物足りなかったようで、独自に日本電気ホームエレクトロニクスと高性能ゲーム機を共同開発してそちらでも好きなように作っていたようです。
1990年代前半:スーパーファミコンでもヒット作を連発!


時は流れて1990年代前半、ハドソンはこの頃も元気でした。
「ドラゴンクエスト」人気に便乗して生まれたRPGの「桃太郎伝説」は派生作品の「桃太郎電鉄」が思わぬ人気になり、シリーズ初のスーパーファミコンソフトとなった「スーパー桃太郎電鉄III」は100万本を販売。
1980年代からシリーズが続いていた「ボンバーマン」は1990年に発売されたゲームボーイ版、PCエンジン版で対戦プレイが可能になり、年に2~3作は発売される定番タイトルになりました。
どちらも対戦プレイが面白いので、当時は家に友達を集まったら「桃太郎電鉄」や「ボンバーマン」シリーズを遊ぶのが定着していたもんです。熱くなりすぎて友情崩壊しかけた事もありましたが、それも今となっては良い思い出。


余談ですが、「ボンバーマン」から派生して「ビーダマン」というホビーが1990年代中盤に生まれました。
人形にビー玉を詰め込んで発射する遊びを発展させたホビーですが、独自にシリーズを重ねていき、特に「スーパービーダマン」シリーズは月刊コロコロコミックとのタイアップによってミニ四駆やハイパーヨーヨー、ポケモンカードゲームと並ぶ人気を獲得。
販売や開発はタカラトミーになりますが、こんなところでもハドソンのコンテンツが人気を見せていたんですね。
1990年代後半:3D化の流れに乗れず、第一線から後退
1994年、PCエンジンの後継機となるPC-FXが発売されました。しかし、前ハードのPCエンジンとは異なり、販売台数は大苦戦。
大きな要因として挙げられるのがキラータイトルの不足に加え、当時のトレンドだった3Dポリゴン機能を搭載していなかった事です。
同世代期のプレイステーションは「リッジレーサー」や「鉄拳」で。セガサターンは「バーチャファイター」で。N64は「スーパーマリオ64」で派手な3Dゲームを展開しており、2Dゲームは時代遅れと見られていたので大多数のユーザーにPC-FXは地味に映ってしまったんですね。
僕も当時は3Dゲームに目が行ってしまい、2Dなだけで興味を失っていたもんです。
本ハードを最後にハドソンはハード開発から撤退。サードパーティに戻る事になり、1996年にセガサターンへ。1997年にプレイステーションやN64に参入を果たす訳ですが、時既に遅し。
PC-FXの開発に費やした2~3年のタイムロスは大きく、最先端となる3Dゲームを作る事はなかなか出来ませんでした。
当時発売されたファミ通のクロスレビューを見てもハドソンのゲームで高評価な事は少なくなっていましたからね。
僕は1980年代のハドソンを知っていたので、クロスレビューの低評価を見て「あれ?ハドソンってこんな凡作を生み出すメーカーだったっけ?」と思ったものです。
同時期、メインバンクだった北海道拓殖銀行の破綻により資金繰りが悪化。ハドソンの経営状況はますます悪くなっていきます。
2000年代前半:マリオパーティで首の皮が繋がる
2000年代前半、この頃になると「桃太郎電鉄」シリーズなどごく一部のヒット作しか生み出せなくなりました。
同じく看板タイトルだった「ボンバーマン」は2000年辺りから人気が低下。知名度とは裏腹にヒット作は生まれなくなりました。
そんなハドソンを支えていたのが開発を担当していた「マリオパーティ」シリーズです。本シリーズは毎年発売され、「桃太郎電鉄」シリーズ以上の人気を獲得していました。
任天堂との付き合いはこの時点で20年以上になりますが、ますます絆が深まるばかりですね。
余談ですが、ハドソンはファミコンやN64で最後にゲームソフトを発売したメーカーでもあります。この事からも任天堂との関係の厚さを感じさせますね。
関連記事:各ゲームハードで最後に出たゲームソフト
2000年代後半:Wii人気に便乗!
2000年代後半、ハドソンから大ヒットタイトルが生まれます。
それがWii「DECA SPORTA Wiiでスポーツ”10″種目!」。まるで「Wii Sports」の続編かのように見える本作は国内で22万本。全世界で277万本を記録する大ヒットとなり、ハドソンの経営危機を支えました。
それ以外にもハドソンはWiiで「めざせ!!釣りマスター」、「カラオケJOYSOUND Wii」、「桃太郎電鉄2010 戦国・維新のヒーロー大集合!の巻」などをヒットさせる事に成功。
Wii市場に馴染めないサードパーティが多くいたなか、比較的上手くやっていました。
しかし、それも長くは続かず、「DECA SPORTA」はユーザー評価の低さによって2作目以降は売上激減。それ以外の作品も「桃太郎電鉄」を除くと一発屋に終わってしまいました。
2010年代前半:ハドソンブランドの終焉へ
ハドソンは2005年からコナミの子会社となっていました。この頃から社風が変化していたようで、徐々に主要人物が退社。
2011年にはついに高橋名人もハドソンを退社してしまいました。同時期には「桃太郎電鉄」シリーズのさくまあきらさんも決別。
頼みの綱だった「マリオパーティ」シリーズも主要メンバーがエヌディキューブへと移籍し、開発はそちらが担当する事になりました。
2012年にはコナミデジタルエンタテインメントに吸収合併する形で法人としてのハドソンが消滅。もう、新作ゲームであのハチ助ロゴを見る事は出来なくなりました。
コナミがハドソンブランドを有効に活用してくれたらまだ良かったんですが、当時からソーシャルゲームへの注力が始まり、コンシューマー向けにはほとんど新作を発売しなくなります。
このままハドソンは消えてしまうのか?誰もがそう思っていた中、奇跡が起きます。
2010年代後半:看板タイトルが復活!


多くのユーザーからハドソンの名前が消えていた2016年。ニンテンドー3DS向けに「桃太郎電鉄2017 たちあがれ日本!!」が任天堂から発売される事になりました。
任天堂がコナミにライセンスを支払い、「桃太郎電鉄」シリーズのスタッフが在籍しているヴァルハラゲームスタジオが開発を担当するという形で奇跡的な復活を遂げたんですね。
久しぶりに発売された事もあって本作は30万本近いヒットを記録。存在感を見せつけました。
さらに、2017年にはニンテンドースイッチで「スーパーボンバーマン R」がコナミから発売。
こちらは久しぶりの新作による待望感に加え、ハードコンセプトとの相性の良さで全世界で50万本以上の大ヒットを記録。
サードパーティのニンテンドースイッチ向けタイトルとしては最も成功した例に挙げられるほどの結果を残しました。
どちらもユーザー評価は低めですが、ハドソンは子供の頃からお世話になっている思い入れのあるメーカーなので、こうしてまた元気な姿を見せてくれたのは嬉しいですね。
全体のまとめ
振り返ってみるとハドソンは任天堂との関係が熱く、親友のような仲ですね。ハドソンがいなかったら任天堂のサードパーティ市場も大きく変わってきたと思います。
残念ながらハドソンは今もコナミの手の中なので全盛期のような活躍はもう不可能だとは思いますが、「桃太郎電鉄」や「ボンバーマン」シリーズの面白さは永遠に不滅で、今後も何らかの形で生き続けてくれると嬉しいです。
▼ゲームメーカーヒストリー記事一覧
ロードランナーはYouTubeでプレイ映像を何度か観ました。あと、続編のアーケードゲームが街中のゲームセンターにあった記憶があります。
高橋名人は先日、「しくじり先生」に出てましたね、それを受けてのこの記事ですね?ちなみに、僕は名人と出身地は近いですね。まぁ、区は遠いですけどw