どうも!KENT(@kentworld2 )です!
本記事ではニンテンドーゲームキューブの歴史を振り返っていきます。
近年再評価されたニンテンドーゲームキューブですが、どんな歴史を辿ってきたのでしょうか?
目次
ゲームキューブとは?
ニンテンドーゲームキューブ(以下、GC)とは、N64に続く任天堂の4代目となる据え置き機になります。
N64からCPU速度が10倍。グラフィック処理速度は100倍になり、マシンパワーは大幅に向上。
それでいてN64と比べてもソフト開発がしやすく、開発者にとっても優しいゲーム機となりました。
コントローラはスーパーファミコンやプレイステーションに近い形状に変化。
新たにCスティックと言う2本目のアナログスティックが追加され、L・Rボタンはトリガー式になりました。
さらにN64の弱点だった3Dスティックの脆さは改善。グリップも握りやすくなり、コントローラの完成度も大幅に向上しています。
メディアはロムカセットから光ディスクに変更。
任天堂ハードで光ディスクをメディアとして採用したのはこれが初で、ついに任天堂もプレイステーションと同じ土俵へ上がったということになります。
しかし、そこはテンポを重要視する任天堂。
8cmの光ディスクを採用したことで同メディアの弱点であるハズのロード時間を短縮することに成功します。
すべてのゲームでロード時間が短いという訳ではありませんが、N64時代と比べても遜色ないレベルのテンポを実現したんです!
一方、N64以前のゲーム機では珍しかったボイスやプリレンダリングムービーを大量に収録できるようになりました。
本体は立方体に近い斬新な形状を採用。
メインカラーもバイオレットというそれまでのゲーム機では見られなかったカラーを採用し、21世紀のゲーム機であることを強調します。
大幅にパワーアップした性能、開発者に優しい開発環境、完成度が増したコントローラ、光ディスクにしては短いロード時間、オシャレな本体デザイン。
このようにゲームキューブはN64の弱点を徹底的に潰したスキの少ないマシン設計で一部の開発者には高く評価されていました。
しかし、みなさんご存知の通りゲームキューブはN64をさらに下回る販売台数となってしまったんです。
何故、ゲームキューブはN64に続いて失敗してしまったのか?
ここからは西暦順でゲームキューブの歴史を振り返っていきます。
1999年:PS2に対抗して発表!
時は遡ること1999年3月。
当時はプレイステーション1(以下、PS1)が市場規模の大半を占めており、任天堂は敗者の立場でした。
そんな中で発表されたのが次世代プレイステーション。
PS1を遥かに上回るマシンパワーであることがアナウンスされ、ゲーム業界に衝撃を与えます。
それを受けて任天堂はN64の後継機(コードネーム:ドルフィン)を発表。
当時はN64を拡張する64DD本体が発売直前を迎えていたので批判が殺到しました。
しかし、この段階で発表しておかなければライバルへの牽制が出来なかったのでしょう。
2000年:ついにお披露目!
それから1年半後の2000年8月。
コードネーム:ドルフィンの正式名称がゲームキューブ(以下、GC)であることが判明し、本体デザインも大々的にお披露目されます。
印象的だったのが、オシャレ感を強調していたこと。
当時の任天堂は子供向けのイメージが強く、広告でも子供を起用することが多くありました。
しかし、GCの初お披露目会では黒い服をまとったお姉さんが本体を見せつけるパフォーマンスを取ったんです!
さらに「ゼルダの伝説 時のオカリナ」を大幅にクオリティアップさせたような「ゼルダの伝説」シリーズの美麗デモ映像を公開。
明らかにN64よりも上の層を意識した広告展開を取るようになります。しかし・・・
2001年
出遅れていたPS2が本格始動!
2000年3月4日に発売された次世代プレイステーションのプレイステーション2(以下、PS2)。
発売直後から爆発的な売上を記録していましたが、肝心のソフトは伸び悩んでいました。
が、2001年上半期からはミリオンセラーが続出。本体だけではなくソフトも本格的に売れ始めます。
一方、任天堂は2001年上半期になってもGCを発売出来ていませんでした。
同時期に発売されたゲームボーイアドバンス(以下、GBA)との兼ね合いもあったとは思いますが、当初の予定だった2001年7月から発売予定日を延期してしまいます。
サードパーティから有力タイトルが続々と発表!
PS2がシェアを拡大しながらも中々発売出来なかったGCですが、水面下では着々と新企画が進行していました。
特に印象的だったのが、N64では馴染みが薄かったサードパーティへのソフト勧誘。
カプコン、ナムコ、フロム・ソフトウェア etc…
これらのゲームメーカーは大手でありながらもN64向けにはほとんどソフト供給をしていませんでした。
が、任天堂のソフト勧誘によってGC向けには積極的にソフト展開をするようになったんです。
カプコン「バイオハザード」シリーズ、ゲームキューブで独占供給 三上真司氏ディレクターに復帰。任天堂の宮本茂氏も現わる!! (GAME Watch)
衝撃的だったのが、カプコンの「バイオハザード独占供給」。
2001年9月13日、カプコンは今後の「バイオハザード」本編はGCに独占供給すると発表しました。
ナンバリングタイトルとしては最新となる「4」はもちろん、シリーズ1作目のフルリメイク版や前日譚となる「0」も発表。
さらに「2」「3」「コード:ベロニカ」をGC向けに移植することも発表します。
「バイオハザード」と言えばPS1でミリオンヒットを連発していたシリーズです。
そんな超人気シリーズをGC向けに独占供給するとは衝撃を受けました。
さらに敬遠の仲だったハズのセガ、スクウェアもGCに参入。
特にセガの場合、GC本体と同時に「スーパーモンキーボール」を発売するというフットワークの軽さを見せつけましたw
セガと言えば2001年1月にハード事業を撤退し、ソフトメーカーになったばかりです。
それから僅か8ヵ月後に発売された新型ゲーム機に(アーケードの移植作とは言え)ソフト供給するとは恐れ入りました。
9月14日、ようやく発売
2001年9月14日、ついにGCが発売されます。
が、同日には以下の3タイトルしか発売することが出来ませんでした。
- ルイージマンション
- ウェーブレース ブルーストーム
- スーパーモンキーボール
そのうえ目玉タイトルとなるのは「ルイージマンション」。
それまで影が薄かったルイージが主人公のゲームになりますが、兄のマリオに代わってロンチの目玉タイトルとして売り出すのは荷が重すぎます。
案の定、GCは発売2日間で13万台程度しか売れませんでした。
ピクミン(のCMソング)が社会現象に!?
それから1ヵ月間。GC向けに新作が供給されず、早くも販売が止まりかけてしまいます。
そんな中で発売されたのが任天堂の新規タイトルとなる「ピクミン」。
最大100匹のピクミンに命令をして作業をこなすAIアクションゲームになりますが、本作のCMソング「愛のうた」が社会現象になります。
あまりの反響にソフト発売の1ヵ月後にはCDも発売。
すると、発売直後から爆発的な売上を記録したんです!
オリコンウィークリーランキングでは最高2位。2002年度の年間ランキングでは8位に入るほどの爆発的な人気を見せました!
それに釣られてゲームソフトも売上を伸ばすことに成功。新規タイトルでありながらも50万本以上の売上を記録しました。
ついに真打ちが登場!
「ピクミン」の発売で販売台数がやや上向いたGC。
2001年11月、ついに最大のキラータイトルが発売されます。
それが大乱闘スマッシュブラザーズDX!
本作はN64でロングヒットを記録した「ニンテンドウオールスター!大乱闘スマッシュブラザーズ」の続編になります。
前作から大幅にボリュームアップした内容はファンを中心に大きな話題となり、とんでもない記録を打ち立てました。
なんと、発売週の売上が本体の累計販売台数を上回ってきたんです!
2001年11月当時のGCは累計30万台程度しか売れていなかったんですが、「大乱闘スマッシュブラザーズDX」は初週に36万本も売れました。
この数字を見ると如何に「大乱闘スマッシュブラザーズDX」が期待されていたのかが分かると思います。
それ以降も爆発的に売れ続け、GCソフトとしては唯一のミリオンセラーを記録。
本作の発売以降、「大乱闘スマッシュブラザーズ」シリーズは任天堂の新たなキラーコンテンツとなりました。
スピード移植のどうぶつの森+も大ヒット!
2001年12月には「どうぶつの森+」が発売。
本作はN64で人気を博した「どうぶつの森」のGC向け移植作になります。
単に移植するのではなく、解像度やフレームレートが向上。新要素もいくつか追加されました。
凄いのが、N64版から僅か8ヵ月で発売されたこと。
当時の任天堂はフットワークが重い印象だったのでこのスピード移植には驚きました(それだけGCはソフト開発がしやすかったのでしょうか?)。
このようなスピード移植が功を奏して「どうぶつの森+」は大ヒットを記録。
N64版の売上は30万本程度でしたが、「どうぶつの森+」は国内だけで60万本以上も売れました。
早くも100万台を突破!
ルイージマンション、ピクミン、大乱闘スマッシュブラザーズDX、どうぶつの森+ etc…
2001年9月から12月にかけて畳みかけるようなソフト展開によってGCは売上を急激に伸ばしていきます。
その結果、発売3ヵ月で100万台を突破。
年末商戦の特需があったとは言え2001年内にかけては好調な販売を記録しました。
もちろん、PS2やGBAの方が売れていましたが、GCも悪くない数字だったんです。
2002年
思うように話題作を発売出来ず他機種に話題が流れてしまった上半期
順調なスタートを切ったと思われたGC。
しかし、年始からは思うようにソフトを発売出来ず、失速が始まってしまいます。
2002年上半期に発売出来た主な注目作はせいぜい「バイオハザード」のリメイク作くらい。
毎月のように話題作を供給出来た任天堂も2002年上半期には「動物番長」「巨人のドシン」くらいしか発売出来ていません。
テコ入れとして6月には本体価格を25,000円から19,800円に値下げするもほとんど販売が伸びません。
何故、半年程度の空白期間が出来ただけで市場が冷え込んでしまったのでしょうか?
最大の要因としてはPS2の躍進というものがありました。
同時期のPS2はGC以上に注目作が発売されていたんです。
スクウェアとディズニーがコラボした「キングダム ハーツ」、大ヒット和風アクションゲームシリーズの2作目となる「鬼武者2」。
ワールドカップと重なって大ヒットした「ウイニングイレブン6」、ファミリーに人気を博した音ゲーの「太鼓の達人」。
シリーズ最大のヒットとなった作品の続編となる「テイルズ オブ デスティニー2」。
ここで挙げたタイトルはいずれも50万本以上を売り上げています。
GCのように2~3ヵ月ペースではなく1~2週間ペースでこれだけのヒット作を量産しているのですから太刀打ちできる訳がありません。
さらにこの頃には「ドラゴンクエスト」シリーズのナンバリングタイトル最新作が引き続きプレイステーションハードで発売されることが発表。
任天堂はまたしても「ドラゴンクエスト」「ファイナルファンタジー」シリーズのナンバリングタイトルを自社の据え置き機に持って行くことが出来ませんでした。
ただ、任天堂とスクウェアの関係性は同時期に修復を果たし、少しずつ任天堂ハード向けにも有力タイトルを供給するようになります。
同時期(2002年2月22日)には初代Xboxも発売。
国内では空気でしたが、怒涛の広告展開によって一定の関心を掴むことに成功します。
特に「デッド オア アライブ」「NINJA GAIDEN」といったテクモのタイトルに人気が集中しました。
しかし、本体の大きさや初期不良が響いたことで数ヵ月後には失速。マイナーゲーム機の域から脱することは出来ませんでした。
一方、母国の北米では大ヒットを記録。世界売上はGCを上回りました。
真打ちのマリオが登場するも・・・
2002年7月、販売が伸び悩んでいたGCに救世主がやってきます。
それがスーパーマリオ サンシャイン!
歴代任天堂ハードの主役を飾ったマリオの本編で、発売当時は大々的な広告を打っていました。
が、そんな任天堂の期待も虚しくマリオの本編ながらも国内での累計売上は100万本を割ってしまいます。
何故、無敵であるハズのマリオが100万本を割ってしまったのでしょうか?
大きな要因としては取っ付きにくさと言うものがあります。
「スーパーマリオ サンシャイン」には新たにポンプというアイテムが追加されました。
ステージをクリアするにはポンプを使いこなさなければならないんですが、例えば指定の方向へ噴射する場合はCスティックを上手く操らないといけないんです。
ただでさえ3D空間のアスレチックをこなさないといけないのにアクションシューティング的な要素が加わったのであればライトユーザーには厳しいのでしょう。
かと言ってコアユーザーの期待に応えられる内容なのかと言うとそうでもありませんでした。
確かにポンプを使ったアクションは慣れると楽しいんですが、肝心のコンテンツが「スーパーマリオ64」と比べても不足していたんです。
それ故に口コミでの人気拡大はさほど起きませんでした。
「スーパーマリオ」シリーズは年単位で売上を伸ばすロングセラー商品でしたが、「スーパーマリオ サンシャイン」の場合は数ヵ月で売上が伸び悩んでしまいます。
N64を救った「ゼルダの伝説」最新作が発売されるも・・・
2002年12月には「ゼルダの伝説 風のタクト」が発売。
本作はN64で人気を博した「ゼルダの伝説」シリーズのGC向け最新作になります。
「『ゼルダの伝説 時のオカリナ』でN64市場は巻き返したんだから今作もその再来巻き起こるハズ!」
なんて淡い期待を寄せるも国内での累計売上は残念ながら70万本程度で頭打ちとなってしまいました。
大きな要因となったのが、「時のオカリナ」から大幅に変わったキャラクターデザイン。
「時のオカリナ」は比較的フォトリアルなデザインだったんですが、「風のタクト」は一転してアニメ調のデザインになっていました。
それも流行りのアニメ風ではなく、レトロなアニメ映画風だったんです!
そのうえ主人公のリンクは猫目になり、発表当時はファンの間で大激論となりました。
問題を大きくしていたのが、2000年のGCお披露目会で公開されたリアル調のデモムービー。
デモムービーとは言え、このような映像を見せられたらGCで「ゼルダの伝説 時のオカリナ」を正当進化させたグラフィックのゼルダが楽しめるものだと思うものでしょう。
にも関わらず翌年のE3では猫目リンクのゼルダを発表したので多くのファンが落胆してしまったんです。
そんな初動の躓きをカバーしたのが予約特典の「ゼルダの伝説 時のオカリナGC」。
本作は「ゼルダの伝説 時のオカリナ」をGC向けに移植した他、お蔵入りになっていた裏ゼルダを収録したファンにはたまらない予約特典でした。
このような豪華予約特典によって「風のタクト」は発売週に28万本を売り上げます。
それ以降もある程度の売上を伸ばしましたが、「時のオカリナ」の再来にはなりませんでした。
というのも「風のタクト」は納期優先が目立つ作りだったからです。
「風のタクト」は表面的な面白さは「時のオカリナ」を上回るレベルでした。
しかし、「スーパーマリオ サンシャイン」と同じくコンテンツが不足しており、未完成のまま世に送り出されてしまったんです。
特に終盤のたらいホース集めはユーザーの間では語り草になるほどの水増し具合で、本作の評価を大きく下げる要因となっています。
パーティゲーム機として人気を博す!?
スーパーマリオ、ゼルダの伝説
任天堂が持つ2大キラータイトルが揃って撃沈した中、それ以上のヒットを記録したGCソフトが現れます。
それがマリオパーティ4!
本作は2002年11月に発売されたマリオファミリーが主人公のパーティゲームになりますが、国内だけで累計90万本以上を売り上げたんです!
「マリオパーティ」シリーズはそれ以降も4年連続でGC向けに発売。
作品を重ねる毎に売上を落としてしまいましたが、いずれも大ヒットを記録します。
この時、GCはパーティゲーム機であることが確信に変わりました。
2003年
サードパーティから注目作が続々登場!
2003年、GCは最大の収穫期を迎えます。
任天堂は初期の頃にサードパーティ勧誘を行っていたんですが、その時の種がこの頃から続々と芽生えたんです!


その筆頭となるのが、「テイルズ オブ シンフォニア」と「ファイナルファンタジー クリスタルクロニクル」。
いずれも30万本を超える中ヒットを記録してまずまずの結果を残しました。
意外なところでは「NARUTO ナルト 激闘忍者大戦!」シリーズも人気を博します。
本シリーズは当時人気だった漫画・アニメ「NARUTO」を題材にした対戦アクションゲームになりますが、当時のキャラゲーとしてはなかなかの出来だったんです。
その影響からか年末に発売された「2」「3」は国内だけで40万本を超える中ヒットを記録。
なんと、GC向けのサードパーティ製タイトルでは最大のヒット作となりました。
任天堂からも話題作が続々と発売!
このようにサードパーティ向けのヒット作が増えてきたGCですが、任天堂も負けてはいません。
マリオカート ダブルダッシュ!!、マリオパーティ5、ポケモンコロシアム、カービィのエアライド、あつまれ!メイドインワリオ、F-ZERO GX
2003年下半期にはこれだけの話題作を発売していきました。
いずれもミリオンセラーにはなりませんでしたが、いくつかのタイトルはハーフミリオンを突破します。
さらに2003年6月はGBAソフトをテレビで楽しめるゲームボーイプレイヤーを発売。
GBAソフトとの連携も楽しめるGBAケーブル対応ソフトも続々と発売され、同ハードの勢いに頼ったソフト展開を行うようになります。
代表的なのが「ポケモンボックス ルビー&サファイア」。
本作は累計500万本超の特大ヒットとなったGBA「ポケットモンスター ルビーサファイア」のツールソフトになります。
N64の「ポケモンスタジアム」シリーズとは違ってテレビ画面でポケモンバトルを楽しむことは出来ませんでしたが、メモリーカード59を付けながらも約3,000円という破格値で販売しました。
話題作を続々と発売するもジリ貧に
このように2003年にはGC向けの話題作が続々と発売になりますが、PS2に大きく水を開けられてしまいます。
そのPS2にしてもPS1時代と比べたらソフト売上の低下が目立っていました(特にSIE系ソフト)。
前作と比べて細かい部分の作り込みが甘いといったコアユーザー目線から見た問題点もあったとは思います。
ですが、それ以上の問題としてゲームの複雑化というものがあったんです。
グラフィックは綺麗になり、操作性やストーリーは複雑になり・・・。
そんな流れがゲーム業界全体に蔓延していたことが問題だと任天堂は考えるようになり始めます。
同時期、任天堂はゲーム人口の拡大を掲げ、異質な商品を開発中であることを発表しました。
2004年
タイトルが尽きて息切れ!そして悲劇も…
1年に100タイトル近くが発売された2003年のGC市場。
残念ながらピークを過ぎてしまったようで2004年からは発売タイトルが一気に減ってしまいます。
ヒット作も一気に減ってしまい、ミリオンセラーどころかハーフミリオンすらもほとんど生まれませんでした。
マリオパーティ6、ピクミン2、ペーパーマリオRPG、マリオテニスGC、NARUTO ナルト 激闘忍者大戦!3
ヒットしたと言える水準に達したのは上記のタイトルくらい。GCのピークは完全に過ぎてしまいました。

そして、ここからGCにとって悲劇が連続で巻き起こります。
まず巻き起こったのが「テイルズ オブ シンフォニア」の完全版商法。
前年に発売されたGC「テイルズ オブ シンフォニア」がPS2向けに追加要素を追加して移植すると発表されたのです。
同作品はGCの主力タイトルとして本体同梱版を発売するほどの気合を見せていましたが、僅か8ヵ月経ってPS2への移植を発表。
それまではユーザーの間で絶大な信頼を寄せていた「テイルズオブ」シリーズですが、この頃から徐々に信頼を失っていきます。
悲劇の中で生まれた名作
さらにGCユーザーの追い打ちをかけたのが、「バイオハザード」GC独占供給の前言撤回。
「バイオハザード4」の発売が直前に控えた2004年秋。カプコンは同タイトルをPS2向けにも発売すると発表しました。
2001年9月に行ったあの発表会は何だったのでしょうか?
当時代表を務めていた三上真司氏は「他機種でバイオハザードの新作が発売されたら腹を切ります」と発言していたので、裏切り行為とも取れる行動に当時は批判が殺到しました。
インパクトの面では「エネミーゼロ」のPS1からセガサターンへの鞍替えの方があるかもしれませんが、こちらもかなりのひどい仕打ちです。
そんな物議を醸した「バイオハザード4」ですが、肝心のゲーム内容は素晴らしく、GCソフトの中でもトップクラスの評価を得ることになります。
海外でも大絶賛され、The Game Awards(当時Spike TV VGA Game of the Year)ではゲームオブザイヤーに輝きました。
同企画で国産タイトルがそれ以降に受賞したのは12年後のSwitch/Wii U「ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド」になるわけですから、如何に凄いことなのか分かるでしょう。
新機軸を打ち立て始める任天堂
ジリ貧のGC市場、サードパーティ各社の裏切り。
そんな厳しい状況の中、任天堂が前年から進めていたゲーム人口の拡大プロジェクトに芽が出始めます。
代表的なのがニンテンドーDS。
同ハードは2004年12月2日に発売され、「タッチスクリーン」「2画面」などそれまでのゲーム機では見られなかった機能をアピールしました。
そんな中、任天堂はGC向けにも新機軸のゲームを打ち立てようとします。
例えば「マリオパーティ6」ではマイクを使った新しい遊びを加えていましたし、「ドンキーコング ジャングルビート」ではタルコンガを使ったビートアクションをウリにしていました。
「今までにない遊びを盛り込んでゲームに興味のない人を振り向かせたい!」
この頃に任天堂が発売したタイトルを見ているとそんな想いが伝わってきます。
2005~2006年
ニンテンドーブームの波に乗れず
任天堂界隈が急速に移り変わる中、2005年に入っても任天堂からはGC向けのタイトルがチラホラ発売されます。
マリオパーティ7、ファイアーエムブレム 青炎の軌跡、スーパーマリオベースボール、スターフォックスアサルト、ポケモンXD 闇の旋風ダーク・ルギア etc…
しかし、ユーザーの関心がニンテンドーDSなどに流れてしまったのでしょうか?いずれも期待ほどのヒットにはなりませんでした。
さらにサードパーティ向けのタイトルもほとんど発売されなくなります。
発売されたとしても週刊少年ジャンプ原作のタイトルくらい。
カプコン、ナムコ、コナミなどGCを初期に支えたメーカーはPS2のみに注力を始めます。
そんな中、任天堂に転機が訪れました。
2004年に発売されたニンテンドーDSが新規層を取り込み、2005年末から社会現象になったんです。
2006年には「Newスーパーマリオブラザーズ」が発売され、「スーパーマリオブラザーズ」に匹敵するほどの爆発的なヒットを記録。世間は再び任天堂に注目するようになります。
この流れにGCも乗れたら良かったんですが、任天堂は同ハードに勝機は無いと思ったのでしょうか?
当初はGCソフトして発売予定だったタイトルを後継機となるWii向けに切り替えていきます。
2006年に発売予定だった「スーパーペーパーマリオ」「ドンキーコング たるジェットレース」は突如発売延期を発表。対応ハードをWiiに変更して2007年に発売します。
最後の大作としてアピールしていた「ゼルダの伝説 トワイライトプリンセス」も1年以上の延期を発表。
新たにWii版を発表してそちらをメインに売り出しました(GC版はオンライン通販のみでの販売)。
その結果、Wiiが発売されるまでの半年以上、任天堂の据え置き機市場では長い空白期間が生まれてしまったんです。
Wiiへバトンタッチ!
そして2006年12月2日。後継機のWiiが発売されます。
同ハードは性能こそはGCから大きく上がっていなかったんですが、新たにリモコン型のコントローラを採用。
「Wii Sport」など体感型のゲームを前面に打ち出してライトユーザーの取り込みに成功します。
すると、GCとは比べ物にならないくらいのスタートダッシュを記録!
同時期に発売されたPS3の累計販売台数を一瞬にして追い越し、任天堂は据え置き機市場でも再び主導権を握ることに成功します。
その一方でGCは静かに息を引き取り、5年3ヵ月の歴史に幕を下ろしました。
最後に発売されたのはオンライン通販のみでの販売された「ゼルダの伝説 トワイライトプリンセス」。
「風のタクト」とは打って変わってグラフィックはフォトリアルでシリアス調になり、「時のオカリナ」好きを意識した内容となっていました。
ファンとして嬉しかったのが、2000年に公開されたデモ映像に相当するゼルダをGCで楽しめるようになったこと。
当時の夢は6年経ってようやく実現したのでした。
2007年~
Wii効果でソフトがプレミア化!?
2006年に息を引き取ったGCですが、WiiではGCとの互換機能を持っています。
その影響でGCの中古市場は活発で、初期のソフト不足を埋める役割を果たしました。
その結果、一部のGCソフトはプレミア化。
代表的なところでは「カービィのエアライド」「ファイアーエムブレム 青炎の軌跡」「ガチャフォース」の相場が定価を上回るレベルにまで達したんです!
「ガチャフォース」に関してはその後再販され、メディアクリエイトのゲームソフトランキングに発売から4年近くが経ってTOP50圏内に再浮上しました。
4世代に渡って引き継がれたコントローラ
このようにWiiの発売によって再評価されたGCですが、実は最もされているのがコントローラだったりします。
大きな要因となったのが「大乱闘スマッシュブラザーズ」シリーズ。
ユーザーの間ではGC版の「大乱闘スマッシュブラザーズDX」をスタンダードとの見方が未だに根強く、その影響で後の作品はGCコントローラにも対応させたんです。
- 2008年 Wii「大乱闘スマッシュブラザーズX」
- 2014年 Wii U「大乱闘スマッシュブラザーズ for Wii U」
- 2018年 Switch「大乱闘スマッシュブラザーズSPECIAL」
その結果、GC発売から18年以上が経った今でもコントローラだけは生き続けていきます!w
任天堂公式からGCコントローラの接続タップが発売されたほか、他社からも同コントローラを模した周辺機器がWii U/Nintendo Switch(以下、Switch)向けに発売されました。
Switchと言えばGCよりも3世代先のゲーム機になります。
そんなゲーム機でGCコントローラが使用できるって異常じゃないですか!w
GC→Wii→Wii U→Switch
GCコントローラは実に4世代にも渡って引き継がれるのでした。
GC本体自体は短命に終わりましたが、コントローラに限っては10年選手となっています。
ゲームソフトの評価もWii発売後は良い方向に変わってきました。
現役時代は何かとN64ソフトと比べられてしまい、過小評価されていた作品が数多くあったんですよ。
ところがWii時代中期に入ると当時GCを楽しんでいた子供ユーザーが大人になったのかネット上では良ハードという声が増えていきます。
GCはN64と同じくユーザー層が偏っている故に世代ごとの評価が異なるのかもしれません。
全体のまとめ
以上、ゲームキューブの歴史を振り返ってみました。
こうして振り返ってみると任天堂の移り変わる思惑が垣間見えてきます。
N64時代の反省を活かしてGCを開発するもジリ貧状態が続き、追い詰められた後期になると新機軸を打ち出してDSで大成功を収めると。
GC自体はN64をさらに下回る販売台数となってしまい、埋もれがちではあります。
ですが、GC時代の反省があったからこそDSやWiiの初期はあれだけテンポ良くソフト供給が出来た訳で、GCの存在は無駄ではありません。
ゲームソフトにしても本ハードをきっかけに様々な名作が生まれました。
CMソングが社会現象となった「ピクミン」、後の大ブレイクに繋げた「どうぶつの森+」。
シリーズのスタンダードを打ち立てた「大乱闘スマッシュブラザーズDX」、2005年のGOTYに輝いた「バイオハザード4」。
シリーズの中でも特に高く評価された「テイルズ オブ シンフォニア」、隠れた名作として名高い「ガチャフォース」。
看板タイトルの多くは納期優先で作られてしまい、N64時代と比べて劣っている部分も見受けられましたが、それでも本ハードから生まれた名作は数多く存在します。
おまけ:GCこぼれ話
実はPS2よりも高性能!
GCはPS2よりも高性能だったりします。
その証拠にマルチタイトルの多くはPS2版よりもGC版の出来が良かったりしますから。
「バイオハザード4」もGCからPS2への移植は大変だったようで、敵キャラやオブジェクトの表示数が少なくなっています。
PS2から遅れて1年半後に発売されたので当たり前ではありますが、GCは任天堂にとって最後のハイエンドマシンでした。
ハードメーカーの看板キャラが集結!
GCは様々な偶然が重なって各ハードメーカーの看板キャラが主役を務めたゲームが集結しました。
任天堂(マリオ)はもちろん、SIE(クラッシュバンディクー)、セガ(ソニック)の本編が発売された唯一のゲーム機だったりします。
ゲームボーイアドバンスでもクラッシュやソニックのゲームは出ていますが、本編縛りをするとGCが唯一です。
・・・と言いたいところですが、Switchでも同じように集結しました。
スーパーマリオ オデッセイ、ソニックフォース、クラッシュ・バンディクー ブッとび3段もり。
これらのタイトルをすべてプレイできるのはSwitchのみになります。
岩田新体制に移行!
GC発売から約9ヵ月後、かの有名な故・岩田聡氏が任天堂の社長に就任しました。
それまでの任天堂は故・山内溥氏による手堅い経営体制だったんですが、岩田新体制になってからはより柔軟性を増していきます。
100ページに迫る小冊子の無料配布、複数のゲームタイトルをアピールしたTVCM、各社とのコラボレーション。
こんな販売戦略、山内体制の頃は考えられませんでした。
DVDとGCの融合機「Q」
GCはPS2とは違ってDVD再生機能を持っていません。
その代わり松下電器産業からDVDとGCの融合機「Q」が発売され、そちらではDVD再生が可能でした。
しかし、認知度が低く、存在すらも知らない人が多く感じます。
第6世代機では世界最下位ハード
GCの全世界累計販売台数は2,174万台。これは、PS2(1億5,500万台)どころかXbox(2400万台)すらも下回る数字です。
国内ではXboxが大苦戦したため2番手となっていますが、全世界累計になると最下位になります。
かつてトップシェアだった任天堂にとっては屈辱だったことでしょう。
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