どうも!KENT(@kentworld2 )です!
本日はワンダースワンが発売されてから20年になります!
1999年当時、携帯ゲーム機市場はゲームボーイ一強でした。
そんな中で発売されたワンダースワンは比較的善戦し、それなりにヒットしたものです。
本記事ではワンダースワンの歴史を振り返っていきたいと思います。
目次
ワンダースワンとは?
ワンダースワンとは、バンダイが1999年に発売した携帯ゲーム機です。
最大の特徴が、単三電池一個で30時間も駆動できるパフォーマンスの良さ。
さらに発売時の価格は4,800円と非常に安く、同時期に発売されたゲームボーイカラーの8,900円を大きく下回っていました。
また、ゲーム機に搭載されているボタンの配置上、横持ちはもちろん縦持ちもできる設計になっています。
その関係で縦持ちを前提にしたゲームも発売され、携帯ゲーム機ソフトの新たなアプローチを見せてくれました。
1996年:独立からの開発
実は任天堂社員が作ったゲーム機!
ワンダースワンはバンダイのゲーム機!
確かにそれは間違いありませんが、実は元任天堂社員が生み親なんです。
その人物とは横井軍平氏!
彼は任天堂のゲームクリエイターとしては宮本茂氏と双璧を成す存在で、「ゲームボーイ」「バーチャルボーイ」などを手掛けた人物として知られます。
彼が手掛ける製品の大きな特徴が、既に広く使われている技術を組み合わせて新しい形の製品にしていることです。
例えば1966年に発売された「ウルトラハンド」。
この製品はマジックハンドにボールと台を同梱して800円という安さで販売されました。
そのため「伸び縮みするマジックハンドを使って台に乗ったボールを掴む」というゲーム性を生み出すことに成功し、140万個以上の大ヒットとなったんです!
既に広く使われている技術を組み合わせて新しい形の製品にする。
彼はそんな哲学を「枯れた技術の水平思考」と呼んでいました。
独立後に開発!
50歳を過ぎたら好きなことをしたい。
横井軍平氏はそう言い残し、1996年に任天堂を退職します。
その後は株式会社コトを成立。
ワンダースワンの開発にアドバイザーとして参加します。
実際、ワンダースワンにはヨコイズムが詰まっていました。
例えば液晶。
なんと、1999年に発売された携帯ゲーム機にも関わらずモノクロ液晶を採用しているんです!
その代わり4,800円という携帯ゲーム機としては安価な価格設定を実現し、単三電池一個で30時間も駆動できるパフォーマンスの良さを見せてくれました。
加えて「へのへの」というゲームソフトも監修。
本作はライン付きのパネルを上下に入れ替えて左右の壁に繋いでいくパズルゲームです。
線さえ表示出来れば実現できる関係上、モノクロ液晶でも問題なく楽しむことが出来ました。
そういう意味でもヨコイズムが詰まった作品と言えるでしょう。
1997年:思わぬ悲劇が!?
横井軍平氏が任天堂を退職してから1年。
思わぬ悲劇が発生します。
横井軍平氏は不幸にも交通事故という形でこの世を去ってしまったんです・・・。
当時の横井軍平氏はまだ56歳。これからが期待できる年齢でした。
結果的に「ワンダースワン」「へのへの」は彼の遺作となります。
1999年:巧みな戦略によって大ヒット!
ついに発売!
横井軍平氏が亡くなってから約1年半後。
1999年3月4日にワンダースワンは発売されます。
当時のキャッチコピーは「みんな、本気になってくる。」。
若者をメインターゲット層にしたスタイリッシュな広告を展開していきます。
この広告展開は当時としては絶妙でした。
何故なら当時の携帯ゲーム機は子供とマニアで二極化していたからです。
低年齢層の間ではゲームボーイカラーが。マニア層の間ではネオジオポケットカラーが強く、中間層がポッカリ空いていました。
それでいて本体価格は4,800円と非常に安く、電池の持ちも非常に良いので売れる条件が揃っていたんです。
強力なサードパーティが参入!
しかし、ゲーム機はコンテンツあってのものです。
バンダイは魅力的なキャラクターIPを数多く持っていますが、一社だけでゲーム機を引っ張るのは無理があります。
そんなバンダイにとって大きな追い風となったのがスクウェアの参入です。
何故、スクウェアがバンダイのゲーム機に参入したのでしょうか?
そこには任天堂との関係性が影響していました。
当時の任天堂とスクウェアはN64からPS1への移籍などによって関係性が非常に悪く、絶縁状態だったんです。
そのためスクウェアは人気のゲームボーイカラー向けにゲームソフトを供給出来ず、携帯機市場への展開が手薄でした。
そんな中で若者向けに売り出そうとしていたワンダースワンが発売されたので、スクウェアにとっては良い避難所になったんです。
スクウェアはワンダースワンのロンチタイトルとして「チョコボの不思議なダンジョン」を展開します(販売はバンダイ)。
その後も「ファイナルファンタジー」「魔界塔士Sa・Ga」「ロマンシング サ・ガ」「半熟英雄 ああ、世界よ半熟なれ…!!」などの有力タイトルを展開。
多くは過去に発売された作品の移植&リメイクでしたが、ブランド力の強さによってヒットします。
定番パズルゲームが誕生!
バンダイからも定番タイトルが誕生しました。
それがGUNPEY(グンペイ)!
前述の「へのへの」とほぼ同一の内容なんですが、横井軍平氏の遺作になったことで彼の名前にちなんだタイトルとして売り出すことにしたんです。
時代が時代なので初代ゲームボーイで大ヒットした「テトリス」のような空前のヒットにはなりませんでしたが、それでも新規タイトルとしては多めの10万本以上を販売。
ワンダースワン市場の活性化に貢献しました。
「GUNPEY」はその後もシリーズ化を果たし、ワンダースワン向けには「たれぱんだのぐんぺい」「GUNPEY EX」が発売されます。
それにしても、元任天堂社員が手掛けた作品がライバルハードのキラータイトルになるとは。
会社というものは常に人材が入れ替わるものですが、不思議な感じですw
強力なキャラクターIPを使ったタイトルが続々誕生!
前述の通りバンダイは強力なキャラクターIPを多数持っています。
特に強力だったのが、「デジタルモンスター」。
「デジタルモンスター」は1990年代後半に発売された電子ゲーム機で、男の子版「たまごっち」と位置付けられていました。
そんな「デジタルモンスター」ですが、1999年にはTVアニメが展開され、一定の人気を博します。
ワンダースワン向けには実に10タイトル以上の関連作が発売され、特に「デジモンアドベンチャー アノードテイマー」は20万本以上を売り上げました。
このようにバンダイは自社のキャラクターIPを活かしたタイトルをワンダースワン向けに多数展開した一方、任天堂ハード向けには全くソフト供給しなくなります。
特に仲違いをしたいという話は聞いていませんが、GB「名探偵コナン 疑惑の豪華列車」(1998)以降しばらく任天堂ハード向けにはソフト供給しなくなりました。
おそらく、携帯機向けの開発・販売ラインをすべてワンダースワン向けに回したかったんでしょう。
2000年:市場の流れには逆らえずカラーバージョンを発売!
ワンダースワンが発売されてから2年近くが経った2000年末。
さすがにモノクロ液晶では派手さに欠けるため存在感が薄れつつありました。
そんな中で発売されたのがワンダースワンカラー!
その名の通りカラー液晶になり、4096色中241色を同時表示ができるようになりました。
それでいて価格は6,800円と安く、旧ワンダースワンとの互換にも対応しています(電池の持ちは30時間→20時間になりましたが)。
同日には「ファイナルファンタジー」の「I」が発売。
同作品が携帯機向けに発売されるのは初の出来事だったので、30万本以上の大ヒットを記録しました!
この売上はワンダースワン史上最も多く、同ハードの代表作となります。
2001年:ゲームボーイアドバンスの発売でまたしても存在感が薄れる!?
カラー液晶の新モデルを発売したワンダースワン。
しかし、発売から僅か3ヵ月後にはゲームボーイの後継機となるゲームボーイアドバンスが発売されます。
ゲームボーイアドバンスはワンダースワンカラーを遥かに凌ぐ性能で、32768色を同時表示可能でした。
それでいて9,800円と安く、任天堂を始めとする大手ゲームメーカーから大量に対応ソフトが発売されます。
さすがにバンダイとスクウェアだけでは太刀打ち出来ず、再び窮地に追い込まれてしまいました。
さらにワンダースワンカラーには残像という致命的な欠点があったんです。
ワンダースワンカラーはSTNという液晶を使用しているんですが、非常に暗くて見づらかったんですね。
一方でゲームボーイシリーズは1998年に発売されたゲームボーイカラーの頃からTFTという液晶を採用し、残像問題を解決していたんです。
ただでさえスペックやソフトラインナップ的に不利なのに残像問題も生まれるとは・・・。
2002年:ワンダースワンの最終モデルを発売!
さすがに残像問題はマズイ!
という訳で2002年7月にはTFT影響を採用した新モデルのスワンクリスタルを発売します。
しかし、2002年7月頃にはゲームボーイアドバンスが既に普及していたため時すでに遅しでした。
スワンクリスタルは発売週に3~4万台規模を販売してからは失速してしまい、全く話題にならなくなります。
残念なのが、当初のコンセプトからややブレ始めたこと。
ワンダースワンは4,800円という安さのうえ単三電池1個で30時間駆動しました。
ところがスワンクリスタルの場合、7,800円に値上がりしたうえ単三電池1個で15時間しか持たなくなったんです。
同時期のゲームボーイアドバンスは8,800円で販売されており、駆動時間は単三電池2個で15時間でした。
これではパフォーマンスの面でもアドバンテージを発揮出来ず、太刀打ちできる訳がありません。
2003年:受注生産移行によって事実上の撤退へ!
スワンクリスタルが発売されてから半年後。
バンダイはスワンクリスタルを受注生産へ移行することを発表します。
対応ソフトも月に1本程度しか発売されなくなり、市場崩壊寸前の状況でした。
2004年:ワンダースワン終了へ。バンダイとスクウェアは任天堂ハードへ移行
最後のソフトが発売!
2004年5月31日。
「Dicing Knight.」を最後にワンダースワンソフトの発売は終了しました。
「ファイナルファンタジーIII」「聖剣伝説2」といった有力タイトルも予定されていましたが、ワンダースワンの販売不振によって中止になってしまいます。
でも、2004年と言えばニンテンドーDSやPSPが発売された年になるんですよ。
そう考えると世代交代にはピッタリな年だったと言えるでしょう。
バンダイが再び任天堂の携帯ゲーム機へ参入!
同時期、バンダイは任天堂の携帯ゲーム機へ再び参入を果たします。
まず発売されたのがGBA「SDガンダム Gジェネレーション ADVANCE」。
任天堂の携帯機向けとしてはGB「名探偵コナン 疑惑の豪華列車」以来実に5年ぶりの投入でした。
また、任天堂とは絶縁状態だったスクウェアも同時期に和解。
ゲームボーイアドバンス向けに「チョコボランド A Game Of Dice」を発売し、その後は「ファイナルファンタジー」シリーズ関連作を供給するようになります。
こうして携帯機市場は再び任天堂1強になるのでした(すぐにSIEが参入しますが)。
全体のまとめ
以上!ワンダースワンの歴史を振り返ってみました!
ワンダースワンはバンダイのゲーム機ですが、こうして振り返ってみると何かと任天堂との縁があります。
生み親が元任天堂社員(それも最重要人物)で、任天堂とスクウェア騒動にも絡むとはw
そういった巡り合わせや発売時の巧みなプロモーション展開によってある程度は善戦したんでしょう。
ワンダースワンシリーズの最終的な国内累計売上は約350万台でした。
これは任天堂以外の携帯ゲーム機としてはPSP、PSVITAに次ぐ史上3番目の売上になります。
ワンダースワンは実はさっぱり触ってないんですよね・・・実物も見たことなくて。
周りでも誰も持ってなくて、正直CMでしか見たことなかったんですよね。
っていうのも別に嫌いだったとかじゃなくて当時PS1にしかほぼ見向きしてないっていう状況だったんで。
ゲームって確かに二極化しちゃってる部分が多いですよね。
だからこそ中間部分への攻めっていうのは良い発想ですよね。
今更ながら、自分もったいないことしたかな・・・って思ってます。