いよいよ発売されるニンテンドークラシックミニ スーパーファミコン。
本ハードの発売に合わせてスーパーファミコンの歴史を本記事では振り返っていきたいと思います!
目次
1990~1991年:延期に次ぐ延期で発売された待望のファミコン後継機!
日本のコンシューマーゲーム市場を作り上げたゲーム機、ファミリーコンピュータ(通称:ファミコン)。
スーパーファミコンはファミコンの後継機にあたり、同ハードを大きく上回る性能や拡大、縮小機能が特徴となっていましたが、延期に次ぐ延期で発売はだいぶ遅くなりました。
スーパーファミコンが発売された1990年11月当時は既にPCエンジン、メガドライブといった16ビット機が登場し始めていて、8ビットのファミコンは性能的に時代遅れだったんですね。
アーケードゲームでは3Dポリゴンの時代が到来しつつあっただけに、スーパーファミコンは1周遅れの発売になりつつありました。
このように少し不利な状況での発売でしたが、さすが王者ファミコンの後継機!
発売直後から圧倒的な売上を見せ、同時発売の「スーパーマリオワールド」は最終的には350万本もの大ヒットを記録!
1990年内に発売されタイトルは9本。翌年も47本と初期はあまり多くのタイトルが集まりませんでしたが、国内ではPCエンジン、メガドライブといったライバル機の販売台数をあっという間に追い越しました。
1991年に発売されたタイトルで代表的なのが、「ファイナルファンタジーIV」と「ゼルダの伝説 神々のトライフォース」。
「ファイナルファンタジーIV」はスクウェア初となるスーパーファミコンソフトで、前作から映像が綺麗になった他、ファミコンでは実現できなかった拡大縮小機能によって演出効果が大幅に向上してより映画的な作品となりました。
それがウケたのか「ファイナルファンタジー」シリーズはこの頃から人気がさらに増し、続編の「V」「VI」は250万本前後の売上を記録しています。
「ゼルダの伝説 神々のトライフォース」は開発に3年を費やした「スーパーマリオワールド」と並ぶ任天堂の超大作!
セールスこそは国内110万本程度と飛び抜けて高くはありませんが、週刊ファミ通のクロスレビューでは史上初の39点を獲得するなど歴史的な高評価を獲得し、スーパーファミコン初期の名作として名を残しました。
1992~1993年:サードパーティからメガヒットが連発して黄金期に突入!
時は流れて1992年。この頃になると発売タイトル数が加速度的に増してサードパーティからメガヒットタイトルが続々と誕生します。
まず、生まれたのが「ストリートファイターII」。
当時、アーケードで大ヒットを記録していた作品の家庭用移植作で、格闘ゲームというジャンルを定着させるほどのメガヒットを記録しました。
その人気は社会現象レベルで、次から次へとバージョンアップ版が発売され、アニメ映画にもなった程です。
続いて生まれたのが「ドラゴンクエストV 天空の花嫁」。
シリーズ初となるスーパーファミコンソフトで、親子3代に渡るストーリーや結婚イベントが話題となり、ハードが切り替わっても280万本以上のメガヒットを記録しました!
任天堂からはレースゲーム、「スーパーマリオカート」が発売。
「スーパーマリオ」シリーズの番外編となる作品ですが、アイテムを駆使したパーティゲーム色が強い内容が幅広い層に受け入れられ、なんと、本編以上のメガヒットを記録しました!
最終的にはスーパーファミコンソフトでは最も高い382万本を売り上げ、今では本編と並ぶ人気シリーズとなったんですね。
翌年になるとスーパーファミコンの人気はさらに加速!
発売タイトル数は269本にも膨れ上がり、1年間の国内出荷台数は443万台にも登りました!
ヒット作も非常に多く、スクウェアからは「ファイナルファンタジー」シリーズ以外にも「聖剣伝説2」「ロマンシング・サガ2」が。
エニックスからは「ドラゴンクエスト I・II」が。カプコンからは「ストリートファイターIIターボ HYPER FIGHTING」「ロックマンX」が。
ハドソンからは「スーパーボンバーマン」「新桃太郎伝説」が。コナミからは「がんばれゴエモン2 奇天烈将軍マッギネス」が。
バンダイからは「ドラゴンボールZ 超武闘伝2」が大ヒットを記録し、任天堂だけではなく、サードパーティからのヒット作が大量に発売されました!
こうしてスーパーファミコンになっても任天堂は圧倒的な地位を獲得するのですが・・・
1994年:CD-ROM機の台頭によって徐々に奪われるシェア
1993年頃になると、ゲーム業界に新たな波が生まれました。
まずは3Dポリゴン。三角形の集合体で、これが組み合わさる事で擬似的な立体映像の作成が可能になり、ゲームは3Dの時代へと突入します。
アーケードゲームではいち早く3Dポリゴンを使用したゲームが登場し始め、特に格闘ゲームの「バーチャファイター」と3Dレースゲームの「リッジレーサー」に人気が集まっていました。
任天堂も「スターフォックス」で対抗に出るものの、スーパーファミコンの性能では限界があるようであまり話題にならず。
そして1994年。各社から続々と32ビットのCD-ROM機が発売される事になります。
ソニー初となるゲーム機、プレイステーション。最強のアーケードゲーム移植機を目指して作られたセガサターン。
マルチメディア機、3DO REAL。PCエンジンの後継機として生まれたPC-FXと、1994年だけでこれだけのゲーム機が発売されたんです!
特にプレイステーションとセガサターンの人気は圧倒的でした。
プレイステーションは「リッジレーサー」。セガサターンは「バーチャファイター」で人気を獲得し、累計販売台数は瞬く間に100万台を突破。
大容量の光ディスクによってスーパーファミコンでは到底不可能な映像美を実現し、頻繁に値下げもして急速に普及をさせようとします。
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余談ですが、当初プレイステーションはスーパーファミコン向けCD-ROMドライブでした。
任天堂とソニーの提携で発売される予定でしたが、両者の方針にズレが生まれたことで交渉が決裂。その後、ソニーが単独でプレイステーションを発売するようになります。
自社のゲーム機向けに展開されるハズだったCD-ROM機がまさかライバル化するとは、任天堂も当初は思いもよらなかったでしょうね。
1995年:スーパーファミコンの対抗が始まる!
プレイステーションやセガサターンが人気を集めても、1995年の時点でスーパーファミコンの累計出荷台数は約1,450万台!
既に圧倒的なシェア率だったため多少のシェアは奪われても人気はまだまだ続きます。
1995年には360ものタイトルが発売されました。
この中には「クロノ・トリガー」など数多くの名作RPGが含まれており、スーパーファミコン市場はプレイステーションやセガサターンと比べて地味ではあるものの成熟していきます。
しかし、どうしようもない問題が生まれました。それは、ソフト価格の高騰です。
1995年になるとソフトの大作化が進んでロムカセットの容量がどんどん高まり、それに比例して価格が上がって行ったんですね。
ゲームソフトの価格は10,000円超えがザラで、中には12,000円もするタイトルが現れました。
一方、プレイステーションやセガサターンソフトは光ディスクを採用する事によってソフトの価格を抑える事が出来て、5,800円が主流だったんですね。
スーパーファミコンと比べて映像が派手なうえにゲームソフトの価格も安い。
これでは対抗するのも難しく、スーパーファミコンの人気は徐々にではあるものの下がっていきます。
苦渋の策として一部のゲームソフトにはスーパーファミコンが4,000円安くなるクーポン券を封入するものの、あまり効果はありませんでした。
↑別の形でのテコ入れとしては、スーパーゲームボーイという周辺機器の発売があります。
こちらはゲームボーイソフトをテレビで遊べるようにするための端末で、スーパーファミコンのマシンパワーを活かして擬似的なカラー表示を可能にしたり、フレーム機能、落書き機能などのおまけ要素も搭載していました。
当時のゲームボーイは残像が激しく、目に悪いとよく言われていたので、テレビ画面で遊べるスーパーゲームボーイは重宝されたものです(当時はポケモンが空前の大ヒットを記録していましたし)。
1996年:N64が不発になり、スーパーファミコン頼みの状況が続く!
1996年になると特にプレイステーションの勢力が増していきましたが、任天堂も黙って見ていません。
最終兵器としてスーパーファミコン後継機、N64を発売しました。
本ハードはプレイステーションやセガサターンをさらに上回る性能の64ビット機で、3Dポリゴン描写を得意とします。
同時発売タイトルとしては「スーパーマリオ64」を発売。当時としては珍しい本格的な3Dアクションゲームで、歴史的な名作として名を残しました。
しかし、ソフト開発の難しさによってN64には全くと言って良いほど新作が発売されず、本体売上はあっという間に鈍化。
N64ソフトが揃うまではスーパーファミコン頼みの状況が続くようになります。
関連記事:祝!N64発売20周年!王者からの転落。復調。盗用と壮絶な人生を歩んだN64の一生を振り返る!
そんな中でスーパーファミコンソフトとして大ヒットしたのが「スーパーマリオRPG」「星のカービィ スーパーデラックス」「ドラゴンクエストIII そして伝説へ…」「スーパードンキーコング3 謎のクレミス島」。
いずれも100万本以上を売り上げ、プレイステーションに押されながらもスーパーファミコンでも続々とヒット作を生み出していきます。
同時期には「スターオーシャン」「テイルズ オブ ファンタジア」「牧場物語」シリーズの1作目がスーパーファミコン向けに発売。
当時の人気は控えめでしたが、これらのシリーズは次の世代で人気に火が付き、人気シリーズとして定着していきます。
1997年:スーパーファミコンの延命策が始まる!
時は流れて1997年。思うように売上を伸ばせないN64の穴を埋めるべく、スーパーファミコン向けの新たなテコ入れが始まろうとします。
それがニンテンドウパワー!
ローソン各店舗へ設置されたマルチメディア端末機Loppiで供給されるサービスの1つとして運営され、ロムカセットに内蔵されているゲームを書き換える事が出来ました。
書き換えをする事でゲームソフトのデータが上書きされてしまいますが、低価格(新作は3,000円:旧作は1,000円)で新しいゲームを購入する事が可能なのが魅力的だったんですね。
当時の時点でスーパーファミコンの人気は下火だったので爆発的な売上ではありませんでしたが、「ファイアーエムブレム トラキア776」などニンテンドウパワー専用の新作ソフトも発売され、延命策としては一定の成功を収めました。
2000年:静かに幕を閉じる
ニンテンドウパワーのおかげもあってスーパーファミコンはN64が発売されて4年以上が経過されてもソフト供給が続いていました。
が、2000年末。ついにソフト供給が途絶えようとします。
最後に発売されたのが「メタルスレイダーグローリー ディレクターズカット」でした。
本作が発売されたのは2000年11月29日。スーパーファミコンが発売されたのは1990年11月21日なので、実に10年もの間、ソフト供給が続いたんですね。
本作の発売以降、スーパーファミコンは静かに息を引き取りました。
しかし、それ以降も入門機として根強い人気を誇り、2000年代に入っても低年齢層の間ではN64やゲームキューブに負けないくらいの人気を獲得します。
そのためスーパーファミコンが発売された1990年の時点では物心が付いていなかった世代にも広く知れ渡り、そのポテンシャルは歴代ゲーム機の中でもトップクラスだと思われます。
全体のまとめ
という訳でスーパーファミコンの歴史を振り返ってみました!
人気の根強さから圧倒的な王者と思われがちですが、前半はPCエンジンやメガドライブ(※)。
後半やプレイステーションやセガサターンと激しいシェア争いを繰り広げて完全勝利とまでは言えなかったんですね。
しかし、名作が数多く発売されて、多くの人の心に刻み込まれました。
ベストゲーム機総選挙なんて企画を行ったら、高確率で上位入りを果たすでしょうね。
※メガドライブは日本ではそれほど人気は高くないものの、北米ではスーパーファミコンと互角の売上を見せていた。
▼各ゲーム機の生涯をまとめた歴代ゲーム機ヒストリー記事のリンク一覧
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SFCは未だに愛されてるゲーム機の一つですからね。
根強い理由もよく分かりますね。
スーパーゲームボーイって初期型にちょっとした不具合としてゲームボーイのソフトの再生速度が1.2倍だったかな?たしか通常より早くなっちゃって音程が高くなるうえにゲーム動作も早くなっちゃうって問題があったので、スーパーゲームボーイ2で改善したって聞いたことがあります。どっちも持ってなかったので自分は分からないですがw
94年がゲーム機革命期ってことですかね?
メタルスレイダーはFC版とSFC版がありましたね。
確か開発はHAL研でしたっけ?