永遠の2番手ゲーム機!セガサターン(SS)の歴史を振り返る!

どうも!KENT(@kentworld2 )です!

ゲーム機の一生を振り返る歴代ゲーム機ヒストリー。

今回は永遠の二番手ハード!セガサターンの歴史を振り返っていきます。

セガサターンと言えば負けハード代表として語られがちですが、実は国内だけで550万台以上も売れたんです。

何故、セガサターンは負けハード代表として語られがちなのか?

本記事ではその辺りについても振り返っていきます。

セガサターンとは?

セガサターンとは、セガが1994年に発売した据え置き型ゲーム機です。

特徴的なのが、2D描画機能が優れていること。

その水準は当時のアーケードゲームや競合機と比較しても劣らないレベルでした。

加えて供給媒体がCD-ROMになり、32bitのCPUを2つ搭載していることも特徴となっています。

1994年:セガサターン誕生!

1994年11月22日。セガサターンは発売されました。

同日に発売されたのは以下の全5タイトル。

  • バーチャファイター
  • ワンチャイコネクション
  • MYST
  • TAMA
  • 麻雀悟空 天竺

プレイステーション(以下、PS1)と比べるとタイトル数は少なめですが、ハードメーカーであるセガは積極的にタイトルを発売していきます。

なんと、1年間で30タイトル以上を発売するという気合の入れようを見せて来たんです!

何故、ここまで短期間にゲームソフトを発売出来たのでしょうか?

それは、セガがアーケードゲームメーカーでもあったからです。

セガはアーケードでヒットしたゲームをセガサターンに次々と移植し、最強のアーケード移植機として売り出していきます。

中でも注目なのが3D格闘ゲームの「バーチャファイター」。

本作の人気もあってセガサターンはスタートダッシュを決めることに成功します。

1995年:バーチャ人気で早くも絶頂期に!

バーチャファイター2の大ヒットでPS1をややリード!?

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セガサターンの歴史を語るうえで避けられないのが、同時期に発売されたPS1との激しいシェア争いです。

セガが「ありがとう100万台」という広告を打ったのかと思いきやSIEは「いくぜ100万台」なんて広告を打ったり。

セガ自らが「セガール VS アンソニー」というPS1よりセガサターンの方が優れていると捉えられる旨のTVCMを流すなど、当時は誰の目から見ても張り合っていました。

今となってはどちらが勝ったのかは明白ですが、実は1995年当時はセガサターンがややリードしていたんです。

大きな要因となったのが「バーチャファイター2」の大ヒット。

なんと、セガ初となるミリオンセラーとなったんです。

ここまで大ヒットした大きな要因となったのが移植度の高さでした。

前述の通りセガサターンは2Dの描写能力が優れている一方、3Dの描写能力は弱かったんです。

にも関わらず3D格闘ゲームの「バーチャファイター1」を本体と同日に発売するという無茶をしていました。

それ故に移植度は低かったようなんですが、続編の「2」は驚異的な移植度を実現したんです!

今では考えられませんが、当時のゲーム業界はまだまだアーケードゲームが最先端の時代でした。

そのためコンシューマーゲーム機にどれだけ劣化せずに移植できるのかが大きなステータスになっていたんですが、「バーチャファイター2」は極めて高い移植度だったんです。

注目したいのが、セガサターンは3D描写能力を苦手としているにも関わらず謎技術で高い移植度を実現したこと。

この事実はマニアであればあるほど感涙モノで、セガの高い技術力が評価されます。

高い移植度が発売前から知れ渡ったのか「バーチャファイター2」は初週に50万本以上。累計で140万本以上を売り上げることに成功。

セガサターン最大のヒット作となりました。

マルチタイトルも続々と発売!

1990年代中盤。この頃になるとゲームソフトの開発環境が大きく変わりました。

「C言語」というコンピュータ言語が採用されたことで複数のゲーム機に同じタイトルを発売しやすくなったんです!

セガサターンもこの恩恵を大きく受けるようになり、PS1とのマルチタイトルが目立ち始めます。

おかげで発売タイトル数はメガドライブと比べても大幅に増し、1995年には144タイトルが。1996年に至っては319タイトルも発売されたんです!

興味深いのが、セガサターン版とPS1版との差異。

セガサターンは2D描写能力が優れたゲーム機である一方、PS1は3D描写に特化したゲーム機でした。

それぞれ方向性が全く異なるゲーム機なので、タイトルによってはそっくりそのまま作ることが困難になります。

有名なのが、「闘神伝」というタカラから発売された3D格闘ゲーム。

セガサターン向けにはPS1版から10ヵ月遅れて発売されましたが、美少女キャラクターが着ている衣装の半透明部分を表現できないなど明らかな違いがあったんです。

一方、2Dゲームに関してはセガサターン版の方が高い完成度であることが多く、一概にどちらが劣っているとは言えない状況でした。

あまりにも白熱していたので、もし、今のようにインターネットのゲームコミュニティが活発だったら各地で大論争が巻き起こっていたでしょうw

1996年:まだまだ続くPS1との激しいシェア争い!

マニア向けハードとして根強い人気に!

セガサターンのヒット作は「バーチャファイター2」だけではありません。

それ以外にも個性的なタイトルが続々とヒットします。

特徴的なのが、2D描写能力を活かした美少女ゲーム。

「野々村病院の人々」「下級生」「同級生 ~if~」「この世の果てで恋を唄う少女 YU-NO」など、30万本前後を売り上げた美少女ゲームが続出したんです。

さらに初期は18禁ソフトが許可されていたので、その手のタイトルもいくつか発売されました。

もちろん、美少女ゲーム以外のヒット作もいくつかあります。

当時大ブームだったアニメを題材にしたゲームの「新世紀エヴァンゲリオン」。

一時はソニックシリーズに並ぶ人気を博した「ナイツ」。

プレイステーションのイベントで対応ハードをセガサターンに変更したことで騒動になった「エネミー・ゼロ」。

実質開発期間が60日と言われるコラボレーションソフト「ファイターズメガミックス」。

巨大ロボットを操縦する対戦アクションゲーム「電脳戦機バーチャロン」。

そして、1996年ゲーム大賞を受賞した「サクラ大戦」。

このように1996年だけでも名作やヒット作と呼ばれるタイトルが数多く発売されています。

PS1との激しい値下げ合戦によって消耗戦に!?

しかし、セガサターンの優位性は長くは持ちません。

PS1もPS1で様々な施策を打っていきます。

セガにとって打撃となったのが、値下げ合戦に巻き込まれてしまったことです。

以下、セガサターンとプレイステーションの激しい値下げ合戦を表にまとめてみました。

SSの価格 PS1の価格
1994年11月22日 44,800円 39,800円
1995年7月15日 34,800円(-10,000) 39,800円
1995年7月22日 34,800円 29,800円(-10,000)
1996年3月22日 20,000円(-14,800) 29,800円
1996年3月28日 20,000円 24,800円(-5,000)
1996年6月22日 20,000円 19,800円(-5,000)

 
セガサターンが値下げをしたのかと思ったら直後にPS1も値下げしているのが分かりますよね?

しかし、PS1はコスト削減がしやすい構造だったのに対してセガサターンはコスト削減が難しかったようで、原価割れを引き起こしてしまいます。

PS1は1996年6月22日に3度目の値下げとして24,800円から19,800円に価格改定しましたが、セガサターンはこれ以上安くするのは難しかったようで対抗しませんでした。

ちなみに1996年6月22日はN64が発売される1日前。

次世代機戦争がさらに激化しようとする時期でした。

スーパー32Xと共倒れに!?

セガの戦略ミスはまだまだ続きます。

セガと言えば「ソニック・ザ・ヘッジホッグ」が有名ですが、セガサターン向けにはほとんど展開することが出来なかったんです。

大きな要因となったのが「スーパー32X」とのバッティングでした。

スーパー32Xとはメガドライブ用の周辺機器になります。

メガドライブに接続することで16bit機から32bit機にパワーアップして3D表現も可能になりました。

しかし、本機器が発売されたのは1994年12月3日とセガサターン発売2週間後だったんです。

何故、消費者が混乱を招くような製品をセガサターンとほぼ同時に発売するのでしょうか?

そこにはセガ・オブ・アメリカとの食い違いが存在しました。

1994年当時、北米ではメガドライブ(ジェネシス)が大人気だったんです。

その人気はスーパーファミコンに匹敵するほどで、激しいシェア争いを繰り広げていました。

そんな中、メガドライブ延命策としてセガ・オブ・アメリカが率先してスーパー32Xを投入することにしたんです。

「ソニック・ザ・ヘッジホッグ」の関連作はそちらで発売されることになり、セガサターンへの移行が遅れてしまうことになります。

結果的にはスーパー32Xとの共倒れが起きてしまい、セガサターンは国内での好調さに反して北米では大苦戦してしまったんです。

セガの売上は北米での依存度が高かっただけにこれは大打撃でした。

1997年:スクウェアのPS参入で決着が付く

セガサターンとPS1の激しいシェア争いは1997年には完全に決着が付きます。

大きな要因となったのが、スクウェアのPS1参入です。

スクウェアはPS1向けに「ファイナルファンタジーVII」を投入し、歴史的な大ヒットを記録します。

それが大きなきっかけとなり、PS1はセガサターンを大きく上回るペースで売れるようになりました。

何故、スクウェアはセガサターンではなくPS1を選んだのでしょうか?

大きな要因としては、セガサターンは3Dの描写能力が劣っていたというものがあります。

元々、セガサターンは究極の2D表現ができるゲーム機というコンセプトで開発が進められていました。

それが「バーチャファイター」の大ヒットで軌道修正して擬似的な3Dポリゴン表現を可能にしたようなんですが、あくまでも擬似的な表現に過ぎません。

一方、PS1は3Dに特化したゲーム機のうえに開発機材も安価。スクウェアがPS1を選ぶのは明白でした。

1998年:ドリームキャストとバトンタッチ

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時は流れて1998年。

この年、セガは思い切った決断を取ります。

なんと、セガサターン市場の拡販を切り上げることにしたんです!

セガサターンはPS1と比べたら劣勢を強いられていましたが、N64よりは売れていました。

しかし、PS1との値下げ合戦に巻き込まれてしまったことで大赤字を計上してしまいます。

加えて北米ではスタートダッシュで躓いてしまい、全く売れていませんでした。

なので、セガサターンを切り捨てて次世代機を他社に先行して売り出す戦略に出たんです。

セガらしいと思ったのが、自虐的なフレーズが印象的なTVCM。

セガなんてだっせーよな

プレステのほうが面白いよな

なんと、このような台詞が流れるシーンを収めたTVCMをセガ自らが流したんです(しかもプレステの使用をSIEから許可を貰うという手の込みようw)。

セガは負けを認め、ドリームキャストでリベンジを図ることにしました。

その結果、セガサターン市場は1998年以降急速に縮小。

発売タイトルが激減し、2000年にソフト供給を終えました。

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全体のまとめ

以上!セガサターンの歴史を振り返ってみました!

「バーチャファイター2」の大ヒットや美少女ゲーム市場の開拓などで善戦したのにセガの戦略ミスで短命に終わってしまうとは・・・。

国内での販売台数は556万台と同世代のN64よりも売れており、悪くはありません。

しかし、時代を読み間違えたハード設計やセガ・オブ・アメリカとの食い違い、安易な値下げなど、致命的なミスが目立っています。

今となっては「愛すべきバカ」と片付けられますが、本ハードがセガに与えたダメージはとても大きなものでしょう・・・。

歴代ゲーム機ヒストリー記事のリンク一覧
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37件のコメント

当時は多感な年頃だったという事もあり、この頃のゲーム機は深く印象に残っているものが多いです。

自分は格ゲーやレースゲームが苦手だったので当時人気だったアーケードタイトルの移植作品にはあまり触れなかったですが、グランディア、AZEL、デビルサマナーソウルハッカーズといった名作RPGが心に残っています。

サターン後期は丁度異性への興味がどんどん増していた時期だったので、当時サターンで多く出ていたお色気ゲーには興味深々でしたよw
金を貯めて買ったり借りたりして夜中に親にばれないようにこっそりプレイしていたのも今となっては良い思い出です。
その中でもYU-NOは特に思い出深い作品です。

実は、サターン発の名作RPGもいくつかあるんですよね。個人的には天外魔境第四の黙示録が印象的でした。

友達の家で触った時はあのゲームのためだけに本体を買おうか考えたくらいなので。

ふふふっ、この頃からお色気ゲーには興味津々でしたか。こっそりプレイしていたとは微笑ましいw

父親もゲームをやっていたので、ばれないようにお色気ゲー専用のパワーメモリーを買ったりしていましたw
ただ、今となって考えてみると普通にばれていたような気もしますがw

データが消え易かったり接触不良等で悪名高いパワーメモリーですが、ウチにあったサターンとパワーメモリーはわりと大丈夫でしたね。

あはは、バレていたかも知れないんですか。その場合、両親は対応が大人だなぁって思います。

パワーメモリーの消えやすさは当時幼かったぼくも周りでも有名でしたが、青雲スカイさんの家庭では丈夫でしたか。それはラッキーですね!

あれ、32Xでソニックなんて出てましたっけ?
SATURNは名前からして天下とれそうな気配は微塵もありませんでしたがw良いハードでしたね
MDファイティングパッド6B譲りのコントローラーがまず秀逸で、拡張端子にもなるカートリッジスロットがまた良かった
その分コストがかさんで赤字になりましたけど
ソフトでは2D格闘が圧倒的に強くて名作が多数出ましたし、RPGではグランディア、ADVては街や慟哭という他に類を見ない圧倒的な名作も生まれました
脱衣麻雀をはじめギャルゲーも大量に発売されましたし、本当楽しませてもらいましたね
メガドラ時代の名作はSSに乗り換えが上手くいかずに次のDCまででないこともあったので、その辺は相変わらず下手でしたけれど
SEGAはホント、ソフトとハードの息があってませんでしたねw

32Xのソニックは関連作ということでカオティクスも含めています。まあ、商品の特性や移行が遅れた経緯からして水面下では作っていそうですけどね。

サターンはゲーム好きであればあるほど唸るようなコンテンツや機能が満載だったように感じます。

メガドライブの資産を活かせなかったのが惜しいところでしたね・・・

関連作と言うところから32Xはカオティクス、メガドライブではないがゲームギアでの作品辺りのことではないかと。

カオティクス!ありましたねー
あれは主人公ナックルズですし本編ではなくスピンオフでは
スピンオフで良いならSSでもソニックRはかなり良くできてました

セガサターンはPSに比べると2D格闘ゲームの移植度が非常に高かったらしいから、格闘ゲームに後5年ぐらい早くハマっていたらセガ派になっていたかもしれませんね。

確かにシロマさんが好きになりそうなゲーム機ですw

シロマさんが格闘ゲームにハマっていた頃にはセガはハード事業から撤退していましたもんね・・・

セガサターン、持ってましたよ!
大学で一人暮らしをしている時は、テレビの前にサターンとPS1が並んでいました。
最初に買ったのはサクラ大戦でした。ついに新作が動き出しましたが、当時の初代も王道の熱い展開や話の間に入る次回予告など引き込まれるようにプレイしていました。サクラ大戦2も予約して買いました。
本体を買ったきっかけは、好きだったスパロボの新作が出る事なんです。まあ、結果的にPSに移植されましたけど‥。
同じく移植されましたが、グランディアが出た時は、「サターンも凄いRPG出るじゃん!」と興奮ましたね。すごく冒険している感じがあるRPGでした。あー、また遊びたくなってきます。
サカつくや慟哭といったソフトもハマりました。個人的にはアクション下手なので、代名詞的なバーチャとかは遊んでいませんでしたが、PSとはまた毛色の違うゲームが楽しめて、大満足だったハードです。

テレビの前にサターンとPS1!良いですね~!当時、家に遊びに行ったら「ゲーマーの部屋だ!?」なんて驚いていそうです。

当時の思い出をありがとうございます!

サクラ大戦、今見ても2D絵が綺麗ですね。当時から綺麗な絵のゲームだなぁと思っていましたが。

この頃から移植などでユーザーが振り回されていたんですよね(^_^;)

グランディアはサターンの大作RPGとして話題になっていたのを覚えています。

こうして見るとサターンはRPGやアドベンチャーも充実しているのが分かりますね。

お疲れ様です。永遠の2番手何故か心地良い響き。レイフォースが
プレイしたい為PSよりSSを購入しましたね。今も本体、ソフト(
スナッチャー、ポリスノーツ、
レイノス2、蒼穹紅蓮隊、ストゼロ、ソニックジャム、サクラ大戦123.グラディウスパック、ダライアス外伝、ワールドアドバンスウォー)は手元にある。レトロゲーム好きの私はPSより2D表現力の高いSSが断然ご贔屓ですよ。PSのポリゴンは作品によって今は厳しいですね。ケントさん他の方々の思い出が伺いたいですね。

永遠の二番手はマリオのルイージから取ったものなんですが、サターンにもピッタリかなと思って使ってみました笑

不動尊さんもかなり愛用されているようですね。2Dゲーム好きだったらサターン派になるのも分かります。

PSの3Dポリゴンは当時としては凄かったと思いますが、今となってはキツイです。でも、サターンの2Dグラフィックは今も色あせていません。

サターンは友達の家に集まって頻繁に大バーチャ2大会催していたんですけど、僕はバーチャが苦手だったので、良いイメージがないかな。
それと、友達のサクラ大戦の猛プッシュですね(笑)。
ゲームをしていた昔の友達とも年一で忘年会をしますが、話すのは家族と病気の話しばかりですね(泣)。

バーチャファイター2の大会ですか。練習しないと厳しそうだなぁ(^_^;)

今でも昔の友人と交流があるって素晴らしいことだと思います。会話の内容が広がればさらに良いと思いますが・・・

セガサターンは国内市場ではセガハードとしては最も覇権を握れたかもしれないハードでほんとにいろいろと惜しいゲーム機でしたね。
FFVIIがセガサターンに移行したら時代が変わっただろうなと思ってましたが、当時のトレンドは3Dゲームなのでそこが弱いセガサターンはそもそも選択肢にならなかったのね。(もし2DでFFVIIが出てたら、現に出てる作品ほど色あせなかったかもしれないけどねw)
セガサターンの時になんで看板キャラのソニックを封印してたんだろ?って思ってましたけど、アメリカ支部ともめてたのが原因なのね。
確かにジェネシスは向こうで強かったと言われてますので、そんな中で互換性もないセガサターンという新製品出してなんのつもり?って向こうのスタッフは思うでしょうねwww
でもやっぱり看板キャラ不在でやっていくのは辛いものがあります(^_^;)
僕だったら任天堂の最新ハードでマリオの新作がまったく出してくれなかったら困りますよ!?

セガサターンは日本では最も成功したセガのゲーム機ですからね。1995年あたりを振り返ってみると本当に惜しく感じます。

FFVIIは今となってはローポリゴンで厳しいけど、影響力は計り知れないのでそういう意味ではPS1で出すのが正解だったでしょうね。

ぼくも当時は何故ソニックをもっとプッシュしないのか不思議でした。看板キャラなのに妙に影が薄い気がしましたので。

その後、ドリームキャストではしっかりと復活を果たしたので良かった!

Kent氏は闘神伝とSはプレイしているのだろうか。
グラフィック以外の面も別物なのだが。
ちなみにSの仕様も実は嫌いではないがね。

永遠の2番手は任天堂と並んでずっとそうだったな。
マイナーだからこそ生まれてくるハード&ソフトもあっただろうし必要な存在ではある。
メガドライブとの互換を切らないで発売していれば世界的に見れば売れていた可能性があったやも知れんな。
ただ所得格差の大きい世界を見てみると何時までもメガドライブ程度が財布に優しいままだった可能性も捨てきれない。
この辺りはWii時代頃のPS2とPS3の関係もそうだな。
PS2を切り捨てるのが早かったらPS3その物を忘れられる可能性もあったが、PS2を長く売ることで将来的にPS3にすれば良いと言う宣伝レールを敷いておけた。
そう言う意味でのSuper32Xは良い商品だったと思うがね。
まあ日本ではPSに対抗するためにSuper64Xと言う別の合体や、32Xを2連で64X化とか平気でやってきそうな気もしないではない。
何しろサターンでツイン32bitCPUを64bit級と作ってきたぐらいだしな。

>グラフィック以外の面も別物なのだが。

そこは「など」と表記しているのでなんの間違えもないと思っていますが・・・。

何に対しても「リスペクト」は大切です。ミスを指摘してくださるのは有り難いのですし、AVC-M370さんの博識な面も尊敬していますが、重箱の隅をつつくようでは話が変わってきます。

近々コラム記事にしますが、ゲームに対しても読者に対しても誠意を持って接していきたいです。

そのためにはお互いがそういう気持ちを持つようにしていなくてはいけません。

※この記事を書くのに3時間以上も執筆に時間をかけていると書けば伝わるかなと思います。

今回の内容で、32Xの発売の謎が解りました?

そうか、最高の2Dグラフィックを目指してたのか!勉強になりました?

当時は3Dポリゴンがもてはやされてましたもんね。当時、PS1で発売されたファイアープロレスがポリゴン描写でファンから避難浴びてて、2Dグラフィックの6人タッグ可能なファイアープロレスがサターンで発売されて、正月に遊びまくった思い出が。

でも2DグラフィックのRPG作品がPS1で売れてたのも考えさせられますね。幻想水滸伝やポポロクロイス等々。

ミニメガドライブが売れたら、ミニサターンも期待出来ますかね?発売されたら、美少女系やギャル系が多そうですけど。(笑)

この記事で色々と知れたようでしたら嬉しいです♪

今では考えられませんが、当時は3Dポリゴンを使っているだけで価値がありましたもんね。

サターンにとっては厳しい状況だったと思います。

しかし、そんな状況を作り出したのがバーチャファイターなんですから面白いですねw

サターン/PS1共に苦手分野にもあえて挑んだような作品が出ているから興味深いです。

ミニサターン、需要ありそうですが、そもそもサターンの構造からしてエミュレータが難しいかもw

言及されていないこととして、サターンはセガ一社のハードではありませんでした。ご存知の通り、ビクターのVサターンと日立のHiサターンというふたつの兄弟ハードがありました。日立はCPU、ビクターはCD-ROMやビデオCDなどの供給元だったからでもありますが、それには大きな理由がありました。

当時、アメリカのゴア副大統領が「情報スーパーハイウェイ構想」なるものを発表したんです。全米の家庭のテレビをネットワークで繋ぎ、双方向性のあるマルチメディア機器に進化させるというもので、当時はまだ研究者の間だけのものだったインターネットやパソコン通信のような限られた人たちのものではないビッグビジネスになると期待されたんですね。

当時「次世代機」と呼ばれた主に32ビットのゲーム機が山ほど出たのは、日米欧の大企業が我先にこれに乗っかろうとした結果なんです。中でもアメリカの代表が3DOであり、日本の代表がサターンだったんです。当時のセガのボスである中山さんは野心家としてゆうめいで、ただのゲーム屋で終わるつもりはさらさらなかったでしょうしね。

要するにサターンはただのゲーム機ではなかった。でもゲーム屋としてジェネシス(メガドライブ)で成功したSOA(セガ・オブ・アメリカ)からすると、何おかしな事やってんの?という話になる。日本でサターンは最初からバーゲンプライスでしたけど、海外では日本円にして70000円台でしたから。3DOと同じく完全にトランプ家のようなお金持ちの家向けのハードで、ジェネシスとは狙っている市場がはなっから違った。だからアメリカやフィリピンで、ポータブルCDプレーヤーにジェネシス(メガドライブ)やセガ(メガ)CDの機能を組み込んだCDX(マルチメガ)という中間的なハードが出たりしたんです。これが日本でのサターンと同じくらいの値段だった。32XのアメリカでのCMに出演しているモデルさんが黒人さんなのにもマーケットの違いを感じますね。

結局、野心から生まれてその野心のために破れたのがサターンというハードだった気がします。ゲーム機がここまで速いスピードで進化したのはハイテク業界の鉄砲玉としての役割を負ったからですが、それとゲーム屋としての本質的な部分との摩擦が生まれるのもまた必然。それが大っぴらに表面化したのが任天堂のソニーへの決別であり、内部で表面化したのがサターンと32Xなんじゃないでしょうか。

かくしてサターンはアメリカで大惨敗に終わり、セガは世代交代に失敗します。中山さんもとっくに去り、もう新しい家庭用ハードは出せないなという流れに一度はなったそうですが、そこに「何を言う!」と村上ショージの如く現れたのが…という感じでドリームキャスト編に続くのかな。ソフトについてはまた改めて…。

補足、ありがとうございますm(_ _)m

本当はもっと色々と書きたいことがあったのですが、お時間の関係もあって少しシンプルにまとめてしまったかな?それでもかなりの時間を費やしてしまいましたが・・・。

32Xとサターンは価格帯で棲み分けをしようとしていたのは聞いていましたが、僅か半年でそんな思惑が崩れ去るとは・・・。

この頃はマルチメディアがもてはやされていた時代ですもんね。ぼくも当時はゲーム機でゲーム以外の機能が付くことにワクワクしていましたよ。

新旧のハードを棲み分けさせるのは難しいですよね。ハードはただ並売するだけですけど、ソフトを開発する側の手がそこまで回らない。まして今みたいなゲームエンジンとかがなかった時代ですから、CPUが2つあるサターンを使いこなすのは大変だったらしいです。ましてメガCDに32Xをつけると、CPUが4つだったか5つになるんじゃなかったかな。逆に言えば腕のあるプログラマーだと相当いろんな事ができたらしいですね。その辺がまた、セガ人のハートを魅了してやまないのでしょう。

ゲーム機は発売して「はいおしまい」じゃないですからねぇ。発売後もソフト供給をして面倒を見ないといけません。セガも無茶しますねw でも、仰る通りそういうところがセガっぽいw

というわけでソフトについて。

サターンには看板キャラが不在だったという意見がありますが、実はいたんです。ペパルーチョ。覚えてますか?やっぱりサターンが狙っていたアメリカの裕福な家庭の親御さんを納得させるには、ソニックのようなちょっとワルなイメージのキャラクターでは問題があったんだろうと思います。セガ本社とSOAの摩擦もあったんでしょうが、それ以前に路線のまったく違うハードだったということです。それにアーケード向けに「ソニック・ザ・ファイターズ」を出したり、後々「ソニックR」を出したりと、サターンの時代にソニック自体が不在だった印象はありません。

とは言うものの、はっきり言って「ペパルーチョの大冒険」は不発でした。で、代わりにソニックの開発チームがサターンへ送り出したのが「ナイツ」。子供たちにとって昼間は学校や部活などの時間ですから、ゲームを遊ぶ時間は自然と夜になる。そんな「夜の冒険」にはぴったりのソフトでした。これと「七ツ風の島物語」はサターンを語るには外せないファンタジックな2本だと思います。その一方で「出動!!ミニスカポリス」のような、まさに技術と資源のムダ使いのようなソフトもあるのが素敵なんですが。

セガラリーも外せませんね。PSで「グランツーリスモ」が出たのはこのソフトに触発されたからでしょうし、自動車雑誌のTV版である「カーグラフィックTV」で取り上げられた初めてのレースゲームだと思います。

あとは「天外魔境・第四の黙示録」とか「VIRUS」、ボス戦中になぜかオペレーターから告白されてしまう恋愛STG「バルクスラッシュ」といったハドソンの緒作、音楽をイアン・マクドナルドが担当!というだけで洋楽ファンはビビってしまう「バッケンローダー」、クインテットがなぜか出した恋愛レースゲーム「Code-R」、本当はPC-FXに移植されるはずだった「英雄志願」、「メタモルV」と同じ人の作品とは思えないハードな世界観の「マリカ~真実の世界」など、思い出深いソフトは尽きませんが、一本だけ挙げるならやはり「グランディア」でしょうね。どうしても任天堂を抜ききれなかったセガと、どうしてもスクウェアやエニックスの前に出られなかったゲームアーツという、永遠の2番手メーカー同士が手を組んだ結果世に送り出すことができた、ある意味DQやFFを超えた真の王道JRPG。これは本当に古典として残っていって欲しいですね。スクウェアがFFⅦをサターンで作ってたらやっぱりこんな感じになってたんだろうなー、とも思います。

ペパルーチョ、思い出しました!これは、マリオのポジションを狙っていそうな感じがします。でも、ナイツの方がまだ万人ウケしそうなデザインかなぁ。

ナイツに関しては楽しませていただきました。あの世界観は好みです♪ ゲーム的にも歯ごたえがあって良いですね!

セガラリーを見て思いましたが、それぞれに対抗馬的なポジションのタイトルがあって比較してみると面白い。当時はサターン派とPS1派での張り合いが凄かったんだろうなぁ。

他にもタイトルのピックアップをありがとうございます!グランディアはほにょさんにとってもマストバイですよね。

デビルサマナー1、ソウルハッカーズ、スパロボF、ヴァンパイアが発売される度に、幾度もハードを買いなおしたゲーム機です。(やるゲーム無いと売るから)
ヴァンパイアのデキはかなり良かったかと
ガーディアンヒーローズとか楽しかったなぁ(遠い目
ただ、メモリーカセットが読み込まないとかバグって地獄を見た記憶もあるなぁw

規制が緩くてB地区までイケたんでしたっけね、この頃は

個人的にサターンよりドリキャスの方が思い入れが深いです。

つぐみさんの売買伝説はこの時から始まっていたんですねw

そして、プレイされるゲームのチョイスもつぐみさんらしく硬派なものばかりです。

規制の緩さはゲーム史の中でも伝説なんじゃないでしょうか。ちょっと気になってきましたよw

ドリームキャストについてもいずれは特集したいです。

規制の緩さは、多分PC-FXと1,2を争ってたんじゃないかと(笑)
あの頃のpc-9801とかのゲームは、モザイク無しもありましたからなーユルユルでしたね(笑)
ps1が覇権を握ってからはエロゲ&ギャルゲ増えた印象です。

本体売って買っては確かにサターンからなのか、多分単価が高かったから、売値も高かったんで「使わないなら売るかー」ってなってましたわ

メジャーゲームの影に隠れてそんなことになっていたんですねw

美少女ゲーム全盛期はその頃になるのかなぁ。

セガサターンは「せがた三四郎」の印象が強いですね。
この世代はPSを選択したのでSSを購入したのはDC発売後になってからでした。

2D表示に関してはPS以上の性能なので2D格闘ゲームとかはPS以上の完成度だったと思います。
3D表示もバーチャファイターのように革新的なタイトルもあるので一概に苦手とは言えないのかもしれませんね。

個人的には本体メニュー画面がいかにもゲーム機っていう感じがして、そこはPSよりも好みでした。
ただボタン電池の交換やらパワーメモリーやらゴチャゴチャしていて個人的には本体の満足度はそこまで高くなかったです(;^_^A

サターンの2D格闘ゲームと言えばストリートファイターZEROは楽しみましたね。あれは友達と白熱しました!

3D表示は疑似ポリゴンを駆使して実現するって凄い。改めてじっくり眺めたくなりました。

本体メニュー画面は友だちも絶賛していましたね。パワーメモリーやらは当時何が何だか分かっていませんでしたw

SSとPSの時代は両方に面白いゲームがたくさんでていたので
PSとSS両方持ってましたね
むしろ片方しか持ってないのはもったいない時代だったなと思います

父親と叔父がサターンを持っていました。
はじめて触ったゲーム機がセガサターンでその後GBAを買ってもらった記憶があります。