どうも!KENT(@kentworld2 )です!
ゲーム機の一生を振り返る歴代ゲーム機ヒストリー。
今回は永遠の二番手ハード!セガサターンの歴史を振り返っていきます。
セガサターンと言えば負けハード代表として語られがちですが、実は国内だけで550万台以上も売れたんです。
何故、セガサターンは負けハード代表として語られがちなのか?
本記事ではその辺りについても振り返っていきます。
目次
セガサターンとは?
セガサターンとは、セガが1994年に発売した据え置き型ゲーム機です。
特徴的なのが、2D描画機能が優れていること。
その水準は当時のアーケードゲームや競合機と比較しても劣らないレベルでした。
加えて供給媒体がCD-ROMになり、32bitのCPUを2つ搭載していることも特徴となっています。
1994年:セガサターン誕生!
1994年11月22日。セガサターンは発売されました。
同日に発売されたのは以下の全5タイトル。
- バーチャファイター
- ワンチャイコネクション
- MYST
- TAMA
- 麻雀悟空 天竺
プレイステーション(以下、PS1)と比べるとタイトル数は少なめですが、ハードメーカーであるセガは積極的にタイトルを発売していきます。
なんと、1年間で30タイトル以上を発売するという気合の入れようを見せて来たんです!
何故、ここまで短期間にゲームソフトを発売出来たのでしょうか?
それは、セガがアーケードゲームメーカーでもあったからです。
セガはアーケードでヒットしたゲームをセガサターンに次々と移植し、最強のアーケード移植機として売り出していきます。
中でも注目なのが3D格闘ゲームの「バーチャファイター」。
本作の人気もあってセガサターンはスタートダッシュを決めることに成功します。
1995年:バーチャ人気で早くも絶頂期に!
バーチャファイター2の大ヒットでPS1をややリード!?
セガサターンの歴史を語るうえで避けられないのが、同時期に発売されたPS1との激しいシェア争いです。
セガが「ありがとう100万台」という広告を打ったのかと思いきやSIEは「いくぜ100万台」なんて広告を打ったり。
セガ自らが「セガール VS アンソニー」というPS1よりセガサターンの方が優れていると捉えられる旨のTVCMを流すなど、当時は誰の目から見ても張り合っていました。
今となってはどちらが勝ったのかは明白ですが、実は1995年当時はセガサターンがややリードしていたんです。
大きな要因となったのが「バーチャファイター2」の大ヒット。
なんと、セガ初となるミリオンセラーとなったんです。
ここまで大ヒットした大きな要因となったのが移植度の高さでした。
前述の通りセガサターンは2Dの描写能力が優れている一方、3Dの描写能力は弱かったんです。
にも関わらず3D格闘ゲームの「バーチャファイター1」を本体と同日に発売するという無茶をしていました。
それ故に移植度は低かったようなんですが、続編の「2」は驚異的な移植度を実現したんです!
今では考えられませんが、当時のゲーム業界はまだまだアーケードゲームが最先端の時代でした。
そのためコンシューマーゲーム機にどれだけ劣化せずに移植できるのかが大きなステータスになっていたんですが、「バーチャファイター2」は極めて高い移植度だったんです。
注目したいのが、セガサターンは3D描写能力を苦手としているにも関わらず謎技術で高い移植度を実現したこと。
この事実はマニアであればあるほど感涙モノで、セガの高い技術力が評価されます。
高い移植度が発売前から知れ渡ったのか「バーチャファイター2」は初週に50万本以上。累計で140万本以上を売り上げることに成功。
セガサターン最大のヒット作となりました。
マルチタイトルも続々と発売!
1990年代中盤。この頃になるとゲームソフトの開発環境が大きく変わりました。
「C言語」というコンピュータ言語が採用されたことで複数のゲーム機に同じタイトルを発売しやすくなったんです!
セガサターンもこの恩恵を大きく受けるようになり、PS1とのマルチタイトルが目立ち始めます。
おかげで発売タイトル数はメガドライブと比べても大幅に増し、1995年には144タイトルが。1996年に至っては319タイトルも発売されたんです!
興味深いのが、セガサターン版とPS1版との差異。
セガサターンは2D描写能力が優れたゲーム機である一方、PS1は3D描写に特化したゲーム機でした。
それぞれ方向性が全く異なるゲーム機なので、タイトルによってはそっくりそのまま作ることが困難になります。
有名なのが、「闘神伝」というタカラから発売された3D格闘ゲーム。
セガサターン向けにはPS1版から10ヵ月遅れて発売されましたが、美少女キャラクターが着ている衣装の半透明部分を表現できないなど明らかな違いがあったんです。
一方、2Dゲームに関してはセガサターン版の方が高い完成度であることが多く、一概にどちらが劣っているとは言えない状況でした。
あまりにも白熱していたので、もし、今のようにインターネットのゲームコミュニティが活発だったら各地で大論争が巻き起こっていたでしょうw
1996年:まだまだ続くPS1との激しいシェア争い!
マニア向けハードとして根強い人気に!
セガサターンのヒット作は「バーチャファイター2」だけではありません。
それ以外にも個性的なタイトルが続々とヒットします。
特徴的なのが、2D描写能力を活かした美少女ゲーム。
「野々村病院の人々」「下級生」「同級生 ~if~」「この世の果てで恋を唄う少女 YU-NO」など、30万本前後を売り上げた美少女ゲームが続出したんです。
さらに初期は18禁ソフトが許可されていたので、その手のタイトルもいくつか発売されました。
もちろん、美少女ゲーム以外のヒット作もいくつかあります。
当時大ブームだったアニメを題材にしたゲームの「新世紀エヴァンゲリオン」。
一時はソニックシリーズに並ぶ人気を博した「ナイツ」。
プレイステーションのイベントで対応ハードをセガサターンに変更したことで騒動になった「エネミー・ゼロ」。
実質開発期間が60日と言われるコラボレーションソフト「ファイターズメガミックス」。
巨大ロボットを操縦する対戦アクションゲーム「電脳戦機バーチャロン」。
そして、1996年ゲーム大賞を受賞した「サクラ大戦」。
このように1996年だけでも名作やヒット作と呼ばれるタイトルが数多く発売されています。
PS1との激しい値下げ合戦によって消耗戦に!?
しかし、セガサターンの優位性は長くは持ちません。
PS1もPS1で様々な施策を打っていきます。
セガにとって打撃となったのが、値下げ合戦に巻き込まれてしまったことです。
以下、セガサターンとプレイステーションの激しい値下げ合戦を表にまとめてみました。
SSの価格 | PS1の価格 | |
1994年11月22日 | 44,800円 | 39,800円 |
1995年7月15日 | 34,800円(-10,000) | 39,800円 |
1995年7月22日 | 34,800円 | 29,800円(-10,000) |
1996年3月22日 | 20,000円(-14,800) | 29,800円 |
1996年3月28日 | 20,000円 | 24,800円(-5,000) |
1996年6月22日 | 20,000円 | 19,800円(-5,000) |
セガサターンが値下げをしたのかと思ったら直後にPS1も値下げしているのが分かりますよね?
しかし、PS1はコスト削減がしやすい構造だったのに対してセガサターンはコスト削減が難しかったようで、原価割れを引き起こしてしまいます。
PS1は1996年6月22日に3度目の値下げとして24,800円から19,800円に価格改定しましたが、セガサターンはこれ以上安くするのは難しかったようで対抗しませんでした。
ちなみに1996年6月22日はN64が発売される1日前。
次世代機戦争がさらに激化しようとする時期でした。
スーパー32Xと共倒れに!?
セガの戦略ミスはまだまだ続きます。
セガと言えば「ソニック・ザ・ヘッジホッグ」が有名ですが、セガサターン向けにはほとんど展開することが出来なかったんです。
大きな要因となったのが「スーパー32X」とのバッティングでした。
スーパー32Xとはメガドライブ用の周辺機器になります。
メガドライブに接続することで16bit機から32bit機にパワーアップして3D表現も可能になりました。
しかし、本機器が発売されたのは1994年12月3日とセガサターン発売2週間後だったんです。
何故、消費者が混乱を招くような製品をセガサターンとほぼ同時に発売するのでしょうか?
そこにはセガ・オブ・アメリカとの食い違いが存在しました。
1994年当時、北米ではメガドライブ(ジェネシス)が大人気だったんです。
その人気はスーパーファミコンに匹敵するほどで、激しいシェア争いを繰り広げていました。
そんな中、メガドライブ延命策としてセガ・オブ・アメリカが率先してスーパー32Xを投入することにしたんです。
「ソニック・ザ・ヘッジホッグ」の関連作はそちらで発売されることになり、セガサターンへの移行が遅れてしまうことになります。
結果的にはスーパー32Xとの共倒れが起きてしまい、セガサターンは国内での好調さに反して北米では大苦戦してしまったんです。
セガの売上は北米での依存度が高かっただけにこれは大打撃でした。
1997年:スクウェアのPS参入で決着が付く
セガサターンとPS1の激しいシェア争いは1997年には完全に決着が付きます。
大きな要因となったのが、スクウェアのPS1参入です。
スクウェアはPS1向けに「ファイナルファンタジーVII」を投入し、歴史的な大ヒットを記録します。
それが大きなきっかけとなり、PS1はセガサターンを大きく上回るペースで売れるようになりました。
何故、スクウェアはセガサターンではなくPS1を選んだのでしょうか?
大きな要因としては、セガサターンは3Dの描写能力が劣っていたというものがあります。
元々、セガサターンは究極の2D表現ができるゲーム機というコンセプトで開発が進められていました。
それが「バーチャファイター」の大ヒットで軌道修正して擬似的な3Dポリゴン表現を可能にしたようなんですが、あくまでも擬似的な表現に過ぎません。
一方、PS1は3Dに特化したゲーム機のうえに開発機材も安価。スクウェアがPS1を選ぶのは明白でした。
1998年:ドリームキャストとバトンタッチ
時は流れて1998年。
この年、セガは思い切った決断を取ります。
なんと、セガサターン市場の拡販を切り上げることにしたんです!
セガサターンはPS1と比べたら劣勢を強いられていましたが、N64よりは売れていました。
しかし、PS1との値下げ合戦に巻き込まれてしまったことで大赤字を計上してしまいます。
加えて北米ではスタートダッシュで躓いてしまい、全く売れていませんでした。
なので、セガサターンを切り捨てて次世代機を他社に先行して売り出す戦略に出たんです。
セガらしいと思ったのが、自虐的なフレーズが印象的なTVCM。
セガなんてだっせーよな
プレステのほうが面白いよな
なんと、このような台詞が流れるシーンを収めたTVCMをセガ自らが流したんです(しかもプレステの使用をSIEから許可を貰うという手の込みようw)。
セガは負けを認め、ドリームキャストでリベンジを図ることにしました。
その結果、セガサターン市場は1998年以降急速に縮小。
発売タイトルが激減し、2000年にソフト供給を終えました。
全体のまとめ
以上!セガサターンの歴史を振り返ってみました!
「バーチャファイター2」の大ヒットや美少女ゲーム市場の開拓などで善戦したのにセガの戦略ミスで短命に終わってしまうとは・・・。
国内での販売台数は556万台と同世代のN64よりも売れており、悪くはありません。
しかし、時代を読み間違えたハード設計やセガ・オブ・アメリカとの食い違い、安易な値下げなど、致命的なミスが目立っています。
今となっては「愛すべきバカ」と片付けられますが、本ハードがセガに与えたダメージはとても大きなものでしょう・・・。
FC | SFC | N64 |
GC | Wii | Wii U |
Switch | GB | GBA |
DS | 3DS | 64DD |
PS1 | PS2 | PS3 |
PS4 | PSP | PSVITA |
MD | SS | DC |
Xbox | Xbox 360 | Xbox One |
PCE | WS |
当時は多感な年頃だったという事もあり、この頃のゲーム機は深く印象に残っているものが多いです。
自分は格ゲーやレースゲームが苦手だったので当時人気だったアーケードタイトルの移植作品にはあまり触れなかったですが、グランディア、AZEL、デビルサマナーソウルハッカーズといった名作RPGが心に残っています。
サターン後期は丁度異性への興味がどんどん増していた時期だったので、当時サターンで多く出ていたお色気ゲーには興味深々でしたよw
金を貯めて買ったり借りたりして夜中に親にばれないようにこっそりプレイしていたのも今となっては良い思い出です。
その中でもYU-NOは特に思い出深い作品です。