どうも!KENT(@kentworld2 )です!
ゲーム機の歴史を振り返る歴代ゲーム機ヒストリー。
今回は初代プレイステーション(以下、PS1)の歴史を振り返っていきます。
長らく続いた任天堂王国の牙城を崩した伝説のゲーム機、PS1。
そこには数多くの逸話が隠されていました。
目次
PS1とは?
PS1とは、ソニー・インタラクティブエンタテインメント/SIE(当時:ソニー・コンピュータエンタテインメント/SCE)が発売した据え置き型ゲーム機です。
最大の特徴が、3Dの表現能力に特化していること。
従来のゲーム機は2Dの表現能力に特化していた一方、PS1は3Dに特化していたんです。
加えて専用のハードウェアを搭載し、供給媒体に大容量のCD-ROMを採用することで大量のムービーを収録することも可能になりました。
これらの特徴によって従来のゲーム機では考えられなかった派手な映像のゲームが大量に出回ります。
1991年:任天堂と喧嘩別れ
PS1は当初スーパーファミコン(以下、SFC)の周辺機器になる予定でした。
1990年代前半、各社から16bit機向けのCD-ROM機が続々と発売されます。
そんな中、任天堂はSONYとタッグを組んでSFC向けのCD-ROM機「プレイステーション」を発売する計画が持ち上がりました。
具体的に言うと以下のような感じです。
・CD-ROMドライブ一体型SFC互換機 → ソニーブランドとして家電流通で販売。
しかし、様々な紆余曲折を経て開発が中止してしまいます。
要因としては以下のような物がありました。
↓
任天堂「やっぱり蘭フィリップス社と提携しますわ」
↓
SONY「こっちはシカゴのイベントでCD-ROMドライブ一体型SFC互換機を展示したのに裏切られた!」
↓
任天堂「契約は生きているのでCD-ROMドライブ一体型SFC互換機は発売しても良いよ。うちはSFC向け外付けCD-ROMドライブの発売はしないけど」
↓
SONY「裏切り行為だ!」
↓
任天堂「っていうかSONYはソニーミュージックを通じてゲーム事業への参入を画策していただろう?」
任天堂がSONYに不信感を抱くようになり、その時に取った任天堂の行動がSONYにとっては裏切り行為に見えたんです。
こうして、SONYと任天堂は犬猿の仲になるのでした。
1992~1993年:SONY単独でゲーム事業に乗り出す!
立ち消えになったSFC向けCD-ROM機「プレイステーション」。
それから少し経った頃、SONY単独でゲーム事業に乗り出す計画が始動しました。
が、SONYがゲームを売ることでブランドに傷が付く恐れがあると判断し、子会社のソニー・コンピュータエンタテインメント(以下、SCE)を設立。
業務用のデジタルビデオエフェクタ「システムG」をベースにCD-ROM機の開発を始めます。
その名もプレイステーション!
なんと、立ち消えになったSFC向けCD-ROM機と同じ名称で売り出すことにしたんです。
全世界で商標登録をしていたことから採用したようですが、名称を引き継ぐことで任天堂への復讐を表明する形になりました。
ゲーム機は様々な会社から発売されるものですが、会社同士が直接恨み合うことは滅多にありません。
例えばハドソンは1980年代後半にNECとタッグを組んで「PCエンジン」というゲーム機を発売しました。
が、任天堂と喧嘩別れをした訳ではなく、あくまでも自社でもゲーム機を売り出していくだけだったんです。
そのため任天堂ハード向けのソフト供給も続けていました。
一方、SONYと任天堂は喧嘩別れをしたまま同じ土俵に上がってしまったので、因縁の対決が巻き起こることになったんです。
1994年:逆襲
PS1がついに発売!
1994年当時、コンシューマーゲーム市場の主導権は任天堂が握っていました。
ヒットするゲームはSFC向けの大作ばかり。
しかし、後継機となるN64の開発が遅れており、決して順風満帆ではなかったんです。
そこに付け込む形で同時期に各社からCD-ROM機が続々と発売されます。
プレイステーションもその中の1つでしたが、決定的な違いがありました。
それは、参入障壁の低さです。
開発機材を150万円という当時としては格安の価格で提供し、「デジタル・エンタテインメント・プログラム」「ゲームやろうぜ!」といったクリエイター発掘オーディションを開催。
その結果、多数のクリエイターを集めることに成功し、PS1ソフトは僅か1年で150タイトル近くが発売されます。
ナムコが市場を牽引
売れないソフトを作っている圧倒的多数のソフトメーカーが参加すると言って、それが100 社になろうと、500社になろうと、それは何なのですか。そんなものは絶対にユーザーを説得できない。 by 山内溥
このような名言が存在するように、いくら発売タイトルが多くても訴求力がなければ意味がありません。
が、PS1には心強い味方が居たんです。
それがナムコ!
当時のナムコはアーケードでヒット作を連発していました。
派手なドリフト走行が特徴的なレースゲームの「リッジレーサー」。
ナムコ初の3D格闘ゲーム「鉄拳」。
フライトシューティングゲーム「エースコンバット」。
これらのタイトルがPS1初期に続けて発売されたことが功を奏して販売台数を伸ばしていきます。
それにしても、何故ナムコはPS1への供給に積極的だったのでしょうか?
そこにはナムコの任天堂に対する不信感がありました。
ナムコと言えば任天堂ハードでも様々なヒット作を生み出していましたが、ある時、任天堂とのライセンス契約更新でこじれがあったんです。
それを受けてナムコは任天堂ハード向けに供給がやや消極的になり、他機種へ力を入れるようになります。
PS1の場合は任天堂と因縁の関係であるSONYグループのゲーム機ですから、力を入れない訳がありません。
ナムコはPS1で次から次へとヒット作を生み出し、ついには「鉄拳2」で初のミリオンセラーを生み出すことに成功します。
1996年:続々と流れる追い風
任天堂不信によってPS1への参入が加速!
SCEが参入障壁を低くしていた一方、任天堂は逆に高くしていきました。
なんと、「社内の評価機関で80点以下のゲームは発売しない」という少数精鋭戦略を掲げたんです。
加えて1996年に発売されたN64のソフト開発は非常に難しく、供給媒体はCD-ROMではなくロムカセットを採用。
これらの戦略が裏目に出てしまい、ソフトメーカーはPS1に流れ始めます。
その結果、PS1ソフトの発売タイトル数は132本(1995年)→415本(1996年)と爆発的に増えていったんです!
スクウェアもPS1に参入!
PS1にとって特に頼もしかったのが、スクウェアの参入です。
当時のスクウェアはSFC向けに大量の大ヒット作を生み出していました。
ファイナルファンタジーVI、ロマンシングサガ、聖剣伝説2、クロノトリガーetc…
しかし、スクウェアもまた任天堂の考えに賛同出来ず、決別をしてPS1に移籍を果たします。
自社で製造ラインを持っている強みを活かす!
SONYは自社で製造ラインを持っているため他社よりも大量・短期・安価で製造することが出来ました。
SCEはSONYグループであるメリットを活かし、ゲームソフトの希望小売価格を5,800円まで引き下げます。
これは当時としてはあまりにも安い価格設定でした。
同時期のSFCソフトはロムカセットのコスト高騰によって定価10,000円超えが珍しくありませんでしたからね。
さらに発売から期間が過ぎて売上が止まったタイトルに至っては2,800円の廉価版として発売するシステム(PlayStation the Bestなど)を採用。
CDアルバム並みの価格まで引き下げることでそれまで様子見していたユーザーを引き込むことに成功し、中には通常版よりも売上を伸ばすケースも見られました。
1997年:大ブレイク
ファイナルファンタジーVIIが決め手に!
1994年末から始まった次世代機戦争ですが、1997年に入ってから完全な決着が付きました。
最大の決め手となったのがスクウェアの「ファイナルファンタジーVII」。
本作はPS1のマシンパワーをフルに活かし、SFCで発売された前作から表現面が飛躍的に向上しました。
キャラクターは3Dで描かれるようになり、当時としては異次元の美しさだった3DCGムービーも収録。
元々「ファイナルファンタジー」シリーズは映画のようなストーリー演出が特徴だったので、PS1との親和性は非常に高かったんです。
それが功を奏したのか「ファイナルファンタジーVII」の売上は前作を大幅に上回り、国内だけで370万本のメガヒットを記録します。
加えて量産効果によって本体の価格を39,800円→29,800円→24,800円→19,800円と段階的に値下げ。
これを受けてPS1の販売台数はさらに加速します。
1997年だけで500万台以上を売り上げ、累計販売台数はあっと言う間に1,000万台を突破。
最大のライバルと思われたN64を遥かに上回るペースで売れ続け、それまで互角だったセガサターンにも大差を付けていきます。
※ファミ通476号より。
↑こちらは1997年末のゲームソフトランキングTOP10。
上位をPS1ソフトで占めているのが分かりますよね?
年末というのもありますが、売上本数も凄いことになっています。
SCEからもヒット作が続出!
ここまでスクウェアやナムコなどのサードパーティばかりに触れてしまいましたが、ハードメーカーのSCEからもヒット作が続出しました。
グランツーリスモ、みんなのGOLF、パラッパラッパー、アークザラッド、クラッシュ・バンディクー、IQ。
これらのタイトルは1996~1998年に発売されましたが、いずれも国内だけで100万本以上の大ヒットを記録します。
特徴的なのが、ユーザー層の幅広さ。
1990年代前半のゲームと言えば子供が楽しむものでしたが、SCEのゲームは大人にもウケが良かったんです。
特に「グランツーリスモ」はそれまでゲームと無縁だった車好きを取り込むことに成功しました。
そういう意味で触れないといけないのがTVCM。
SCEのTVCMはゲームの枠から外れたユニークなものでした。
それまでゲームのTVCMはナレーション+ゲーム映像がメインだったんですが、SCEの場合は違ったんです。
「1、2、3」を連呼するだけの謎CMで視聴者に興味を惹かせたり、歌モノCMで視聴者に名前を認知してもらったり。
加えて以下のような戦略を取ることで「プレイステーション」の認知度を上げることに成功します。
・CMの最後では「プレイステーション」と呟くアイキャッチを挿入。
・スポンサー提供枠ではSCEではなく「プレイステーション」の表記を採用。
・「いくぜ100万台」などユニークなキャッチコピーを次々と導入。
これらの戦略はやがて他社も取り入れるようになります。
SCEは広告展開でもイノベーションを起こすことに成功しました。
1998~1999年:発売ソフト本数が過去最大の黄金期へ!
時は流れること1998~1999年。
この頃になると市場は完全にPS1一強となり、毎週のようにPS1向けのヒット作が発売されます。
ゲーム内容をシンプルにして価格を抑えた「SIMPLEシリーズ」。
音ゲーブームのきっかけとなった「ビートマニア」「ダンスダンスレボリューション」。
潜入ゲームの代表格となった「メタルギアソリッド」。
CDからモンスターが誕生する「モンスターファーム」。
周辺機器「ポケットステーション」を使ったコミュニケーションゲーム「どこでもいっしょ」。
1999年には史上最高となる年間627本ものゲームソフトがPS1向けに発売されます。
PS1のキャッチフレーズとして「すべてのゲームはここに集まる」というものが存在しますが、この頃はまさにそんな状況でした。
変なゲームも続々と発売!

タイトル数が多いということは、それだけ多様性が高いという意味でもあります。
中にはジャケットを見ただけで「なんじゃこりゃ!?」と言いたくなるようなゲームも沢山発売されました。
粗削りな作品も見られましたが、それがまた良かった。
PS1ソフトの売り場は玉石混淆で、その中から優れた宝石を発掘する楽しさがありました。
ゲームファンにとってはゲーム選択の時点ですでにゲームが始まっていたと言っても良いでしょう。
2000~2001年:PS2が発売されても衰えず!
2大RPGの頂上決戦が勃発!?
PS1が発売されてから6年目となる2000年。
この頃には後継機となるPS2が発売されますが、PS1の勢いはまだまだ続きます。
最大のトピックとなったのが、2000年夏に起きた2大RPGの頂上決戦。
なんと、「ファイナルファンタジーIX」「ドラゴンクエストVII」といった2大RPGが2ヵ月連続で発売されたんです!
気になる売上の方は「ファイナルファンタジーIX」が280万本で「ドラゴンクエストVII」が380万本でした。
「ドラゴンクエスト」に軍配が上がりましたが、いずれもメガヒットを記録したのは間違いありません。
小型モデルPS oneが発売!
同時期には小型化した新モデル「PS one」が発売。
別売の液晶モニタを接続することでノートパソコンのような感覚でゲームを楽しむことが出来ました。
発売されたのはPS2の後でしたが、入門機として重宝されます。
2002~2004年:さすがに寿命を迎える
時は流れること2002年。
さすがにこの頃になるPS2への移行が進み、猛威を奮っていたPS1も勢いが衰え始めてしまいます。
2002年に発売されたタイトルは226本でしたが、2003年には46本。2004年には2本と一気に発売タイトルが少なくなってしまいます。
ヒット作もこの頃にはほとんどありません。
せいぜい「From TV animation ONE PIECE グランドバトル!2」「ドラゴンクエストモンスターズ1・2 星降りの勇者と牧場の仲間たち」くらいでしょうか。
ただ、ハード普及が進んだことで低年齢化が進み、バンダイは「キッズステーション」というブランドで子供向けの知育ゲームをPS1向けに発売していきます。
ラインナップは「アンパンマン」「きかんしゃトーマス」「ドラえもん」「クレヨンしんちゃん」等など。
いずれも大ヒットはしませんでしたが、多様性が高かったPS1を象徴させるタイトル群でした。
2006年~:ゲームアーカイブスで復活!
PS1市場が終焉に向かってから記憶に新しい2006年末。
装いも新たにゲームアーカイブスとしてPS1は復活しました。
ゲームアーカイブスとは、PS1ソフトなどをダウンロードタイトルとして600円程度で購入できるサービスです。
しかし、開始当時はあまり話題になりませんでした。
大きな要因となっていたのが中古価格。
PS1ソフトはあまりにも出回りすぎた故、当時の中古市場では数十円程度で売られることが珍しくありませんでした。
加えて当時は高価だったPS3が無いとサービスを利用出来なかったため、あまり認知度が上がらなかったんです。
その後はPSPのみでサービスを利用できるようになり、2008年辺りから真価を発揮しました。
全タイトル配信されている訳ではありませんが、ゲームアーカイブスはPS1のゲームを振り返るには最適なサービスです。
全体のまとめ
以上!PS1の歴史を振り返ってみました!
2019年現在のコンシューマーゲーム市場はPS1のビジネスモデルが地盤となっているだけに、色々と偉大なハードだと思います。
もし、PS1がヒットしていなかったら今頃あらゆるものが変わっていたでしょう。
FC | SFC | N64 |
GC | Wii | Wii U |
Switch | GB | GBA |
DS | 3DS | 64DD |
PS1 | PS2 | PS3 |
PS4 | PSP | PSVITA |
MD | SS | DC |
Xbox | Xbox 360 | Xbox One |
PCE | WS |
>CMの冒頭でサウンドロゴを入れる手法を採用。
これは当時からうまいなぁと思ってましたねw
特徴的なSEを冒頭に持ってくることで、この音で振り向いて画面を見ちゃうんですよね。
今では色んなところが真似してSwitchのカチっていう音でうちの子供らもテレビの方見ちゃいますw