どうも!KENT(@kentworld2 )です!
ゲーム機の一生を振り返る歴代ゲーム機ヒストリー。
今回は30周年を迎えるゲームボーイの歴史を振り返っていきたいと思います!
目次
ゲームボーイとは?
ゲームボーイとは、1989年に任天堂が発売した携帯ゲーム機です。
前身となる「ゲーム&ウオッチ」との大きな違いは、ソフト交換式であること。
ゲーム&ウオッチはゲームソフト内蔵型である一方、ゲームボーイはソフトを交換することで同一ハードで様々なゲームを楽しむことが出来たんです。
また、時代の流れに合わせてゲームソフトのボリュームも大幅にアップ。
ゲーム&ウオッチソフトはミニゲームレベルのボリュームでした。
一方、ゲームボーイソフトはファミリーコンピュータ(以下、ファミコン)ソフトと同等かそれ以上のボリュームを実現していたんです!
液晶はモノクロ4段調のものを採用。
ファミコンソフトのように色鮮やかなゲームを作ることは出来ませんでしたが、駆動時間は長く、単三電池4個で35時間も持ちました。
2010年代前半に発売されたニンテンドー3DSやプレイステーションヴィータの駆動時間がいずれも5時間前後であることを考えたらどれだけ長持ちするのかよく分かることでしょう。
1989年:いきなり大ブレイク!?
手軽に遊べる携帯機として華々しくデビュー!
1989年に発売された初代ゲームボーイ。
同日に発売されたのは以下の4タイトルでした。
・アレイウエイ
・ベースボール
・役満
人気のマリオにブロック崩し、野球、麻雀と定番揃いのラインナップですよね?
当時はキーチェーンゲームが存在しなかったので、これらのゲームがどこでも楽しめたのは非常に魅力的だったと思います。
特に注目だったのが「スーパーマリオランド」。
1989年と言えば「スーパーマリオブラザーズ」シリーズの熱がまだまだ高かった時代です。
そんな時代にあのマリオがいつでもどこでも楽しめるインパクトは非常に大きかったようで、同作品は国内だけで400万本以上を売り上げる大ヒットとなります。
テトリスが空前のブームに!
大本命だと思われていた「スーパーマリオランド」。
しかし、僅か2ヵ月後にそれ以上のヒット作が現れたんです。
それがテトリス!
落ちてくるブロックを一列に揃えていく落ち物パズルゲームの携帯機版になりますが、通信対戦機能の搭載によって空前のブームになります。
元々「テトリス」自体は任天堂のゲームではなく、ロシアの科学者が教育用ソフトウェアとして生み出したパソコンソフトでした。
それをゲームボーイソフトとして移植し、通信対戦機能を加えることで国内だけで424万本以上を売り上げる爆発的なヒットになったんです。
ポイントなのが、通信対戦中は相手の画面が見えないこと。
おかげで緊張感が生まれ、携帯機ならではの楽しさを実現していました。
スクウェア初のミリオンセラーが誕生!
1989年12月。スクウェアから初のミリオンセラーが誕生しました!
それが魔界塔士Sa・Ga!
本作は当時のゲームボーイ市場では珍しかったRPGで、ゲームとしての手応えを求める層から人気を集めました。
その結果、「ファイナルファンタジー」シリーズよりも先にミリオンセラーとなったんです(同シリーズがミリオンセラーとなったのは1990年発売の「III」から)。
本作のヒットを受け、「魔界塔士Sa・Ga」はシリーズ化。
3年連続でゲームボーイの年末商戦向けタイトルとして発売された後は舞台をスーパーファミコンに移します。
1990年:ゲームボーイのライバルが登場!?
1990年10月にはセガから携帯ゲーム機のゲームギアが発売。
ゲームボーイを遥かに凌ぐスペックを持っていて、なんと4096色中32色を表現することが出来たんです!
しかし、ゲームギアには致命的な欠点がありました。
それは駆動時間になります。
なんと、単3アルカリ乾電池を6本も使用しながら3~4時間程度しか持たなかったんです!
これは携帯ゲーム機としては致命的な欠点でした。
加えてゲームボーイほど訴求力のあるタイトルを発売出来ず、国内での累計販売台数は178万台に留まりました。
これはゲームボーイシリーズの3,247万台を大きく下回ります。
1991年:スクウェアから新たなシリーズが誕生!?
「魔界塔士Sa・Ga」をヒットさせたスクウェア。
1991年にはゲームボーイ向けに新たな大作を発売します。
それが聖剣伝説!
「ファイナルファンタジー」の外伝作として発売された本作は「ゼルダの伝説」ライクなアクションRPGで、ゲームボーイソフトとは思えないほどのボリュームを実現していました。
加えてBGMやイメージイラストが秀逸で、モノクロのグラフィックからは想像もできないほど魅力的な世界観を構築。
国内での売上は45万本とそこまで大きなヒットにはなりませんでしたが、続編のスーパーファミコンソフトはミリオンセラーを達成。
「ファイナルファンタジー」「魔界塔士Sa・Ga」に続くスクウェアの人気タイトルとして1990年代黄金期を支えるのでした。
1992~1993年:名作が続々と誕生!
ピンクの人気者が誕生!
1992年には任天堂の新たなマスコットキャラクターが誕生します。
それが星のカービィ!
当時の2Dアクションゲームは高難易度であることが多かったんですが、本作はゲーム初心者でも楽しめるよう間口を広げて発売されました。
それが功を奏したのか国内だけで170万本以上を売り上げる大ヒットを記録。
その後はゲームボーイを中心に関連作が続々と発売されていきます。
そんな「星のカービィ」ですが、実は「大乱闘スマッシュブラザーズ」を生み出した桜井政博さんのデビュー作でもあるんです。
当時、彼の年齢はなんと19歳!
まだ少年と言える年齢だったんです!
19歳にしてミリオンセラーを生み出すとは・・・歌手だったらともかく、ゲームクリエイターでこれを実現出来た人はほとんどいないでしょう。
【桜井政博】大ヒット連発!初心者から上級者まで楽しめる桜井ゲーを大特集!【リスクとリターン】
カルト的な人気を博す名作が誕生!
1992年9月には「カエルの為に鐘は鳴る」が発売。
大ヒットこそしませんでしたが、今も語り継がれる任天堂の名作として知られています。
特徴的なのが、アドベンチャーとRPGの融合。
一見するとRPGのように見えますが、実はほぼ一本道でストーリー主導のアドベンチャーゲームなんです。
今までにないストーリー表現がウケたのか「カエルの為に鐘は鳴る」はプレイしたユーザーの心に響く作品として語り継がれるようになります。
舞台をゲームボーイに移しても良作を連発!
同時期には「メトロイド」「ゼルダの伝説」のゲームボーイ版も発売(メトロイドIIとゼルダの伝説 夢をみる島)。
いずれも任天堂のコアユーザー向けタイトルですが、ゲームボーイ版も負けず劣らずの良作として高く評価されます。
再現度が低かった「スーパーマリオランド」にしても同時期には待望の「2」が発売。
前作から3年経っての発売だけあってクオリティが大幅にアップしていました。
このように1992~1993年は任天堂が本気を出して作ったゲームボーイソフトが続々と発売された印象です。
1994年:ゲームボーイの可能性が広がる!?
ゲームボーイソフトがテレビでも楽しめるように!?
1994年6月にはスーパーゲームボーイが発売。
スーパーファミコン用の周辺機器となりますが、これを使用することでテレビでもゲームボーイソフトが楽しめるようになったんです!
ゲームボーイと言えばいつでもどこでも楽しめるお手軽性がウリなので、一見するとメリットを潰しているように見えるかも知れません。
が、初代ゲームボーイは残像が激しい関係で目に悪く、一部の親御さんからは評判が悪かったんです。
そのためスーパーゲームボーイは子供の視力低下を防止する役割も果たしました。
加えてフレーム機能やお絵かき機能などのおまけ要素を搭載。
任天堂ならではの遊びココロが詰まった周辺機器でした。
ゲームボーイのカラーバリエーションが登場!
一方では携帯機ならではのファッション性を重視した新製品を発売します。
それがゲームボーイブロス!
ゲームボーイ初となるカラーバリエーションで、ホワイト、スケルトン、レッド、イエロー、グリーン、ブラックが発売されました。
これを受けて携帯機にもファッション性が求められるようになり、自分に合った色を選ぶ楽しさが生まれます。
TVCMにはあの木村拓哉さんを起用。
当時の木村拓哉さんは人気上昇中だったので大きな話題となります。
1995年:CD-ROM機の煽りを食らう!?
ゲームボーイが発売されてから6年目となる1995年。
当時はプレイステーションやセガサターンといったCD-ROM機が人気を博していました。
人々はメディアがロムカセットからCD-ROMに変わったことで実現出来た派手な映像に魅了され、ゲームボーイソフトは必然的に地味な物に見えていったんです。
そのため年間の発売タイトル数は1994年の93タイトルから58タイトルに激減。
年末でさえも6タイトル程度しか発売されず、終焉ムードが漂ってしまいました。
1996年:終焉間近かと思いきや奇跡が起きる!?
そんなゲームボーイ市場に奇跡が起こります。
1996年2月に発売されたポケットモンスター 赤・緑が空前のブームになったんです!
発売当初の売上は10万本程度だったんですが、「収集」「通信」「交換」「育成」要素によってジワジワと人気が広がっていきます。
火付け役となったのがコロコロコミック。
同誌ではブレイク前からコミカライズ化が行われ、ゲームソフトの特集も毎月のように組まれました。
加えて幻のポケモン「ミュウ」のプレゼントやバージョン違いとなる「青」の限定販売など、当時としては異例となる企画を次々と実施。
その度に話題となり、「ポケットモンスター 赤・緑」はジワジワと売れ続けてミリオンセラーとなります。
1997年:ポケモンで息を吹き返す!
ポケモンが空前のブームに!?
年が明けて1997年。
同年の4月から「ポケットモンスター」のTVアニメがスタートします。
それを受けてただでさえジワジワと売れ続けていたゲームソフトの売上がさらに爆発!
週間ゲームソフト売上ランキングでは発売から1年以上が経っているのにも関わらず首位になる週も出てくるほどの人気を博しました。
その人気は1998年になっても続くほどで、最終的な累計売上は「赤・緑」だけで822万本を記録。
合計した売上はFC「スーパーマリオブラザーズ」の681万本を上回り、日本最高記録を更新します。
たまごっちブームの恩恵も受ける!?
ポケモンがブームとなっていた頃、たまごっちもブームになっていました!
ブームになった「たまごっち」はゲームボーイソフトとしても発売。
1作目となる「ゲームで発見!!たまごっち」は145万本の大ヒットを記録します。
当時のゲームボーイ市場はポケモンが人気だったとは言え、全体的なタイトル数は激減していました。
それだけに本作の大ヒットは目立っていた印象です。
しかし、たまごっちブームはあっと言う間に沈静化。
ゲームボーイ向けの「たまごっち」の関連作は翌年には100円以下で叩き売りされるようになります(2005年以降に何度か再ブームとなりますが)。
1998年:再び第一線へ!
ポケモンフォロワーが続出!?
年が明けて1998年。
この頃になると「ポケットモンスター」の人気は社会現象となり、街ではポケモンを楽しむ子供たちで溢れかえります。
そんなポケモン人気に便乗したかったのでしょうか?
この頃からポケモンフォロワーがゲームボーイ市場で続々と発売されるようになったんです。
代表的なのが「ドラゴンクエストモンスターズ テリーのワンダーランド」。
「ドラゴンクエスト」シリーズの派生作品になりますが、本編とは違って育成や通信要素に力を入れていました。
同作品は「ドラゴンクエスト」のブランド力も相まって235万本以上の大ヒットを記録。
ナンバリングタイトルと並ぶ人気シリーズとして定着していきます。
ポケモンフォロワーとしてはそれ以外にも以下のようなタイトルが生まれました。
・ロボットポンコッツ SUNバージョン/STARバージョン
・携帯電獣テレファング スピードバージョン/パワーバージョン
・真・女神転生 デビルチルドレン 黒の書/赤の書
・サンリオタイムネット 過去編/未来編
いずれもポケモンほどのヒットにはなりませんでしたが、まずまずのヒットを記録。
特に「メダロット」シリーズはイマジニアの看板タイトルになるほどの成長を遂げて20年以上も続く長寿シリーズとなりました。
任天堂もゲームボーイの延命策を取るように!?
ポケモンブームで息を吹き返したゲームボーイ市場。
さすがに任天堂もこの状況を放っておけなかったようで延命策が図られるようになります。
以下、1998年に任天堂が図ったゲームボーイの延命策一覧です。
・ゲームボーイがカメラになる「ポケットカメラ」
・ゲームボーイがプリンタになる「ポケットプリンタ」
・画面にバックライトを搭載した「ゲームボーイライト」
・N64ソフトと連動する「64GBパック」
・画面がフルカラー化した「ゲームボーイカラー」
特に大きな延命策となったのがゲームボーイカラー。
それまでモノクロの液晶を貫いていたゲームボーイですが、ついにカラー液晶を採用したんです!
懸念されていた駆動時間も技術の進歩によって単3乾電池2個で平均20時間稼働させることが可能になり、それでいて価格はたったの9,800円(当時)。
ゲームボーイはソフトだけではなく本体も再び売れるようになります。
ゲームボーイの可能性を追求する任天堂
それ以外にゲームボーイの延命策で印象だったのが、遊びの幅を広げようとする努力です。
例えば「ポケットカメラ」「ポケットプリンタ」では電化製品とゲームを融合させようとしていました。
同時期には様々な対応ソフトが発売され、カメラやプリンタを”おもちゃ”に変換していたものです。
忘れてはいけないのが「64GBパック」。
N64の周辺機器になりますが、これを使用することでN64ソフトとデータ交換ができるようになったんです!
代表的なのが「ポケットモンスター 赤・緑」と「ポケモンスタジアム」。
「ポケットモンスター 赤・緑」で育てたポケモンがN64の迫力ある映像によって大化けしたので当時の子供たちを釘付けにしました。
それ以外にも以下のようにGB/N64のデータ連動を実現したソフトはいくつもあります。
N64「マリオゴルフ64」 ⇔ GB「マリオゴルフGB」
N64「スーパーロボット大戦64」 ⇔ GB「スーパーロボット大戦リンクバトラー」
N64「ポケモンスタジアム 金・銀」 ⇔ GB「ポケットモンスタークリスタル」
当時のゲームボーイ市場は2つのバージョンを発売して通信交換を楽しむゲームが主流でした。
が、それに加えてGB/N64向けに2本のゲームを発売してデータ連動を楽しむスタイルも定着していたんです。
1999~2000年:第二の黄金期を迎える!
初代の発売から10年が経過した1999年。
通常のゲーム機であればとっくに商品寿命を迎えていそうですが、ゲームボーイは第二の黄金期を迎えます。
代表格となる「ポケットモンスター 赤・緑」は引き続き売れ続け、「ドラゴンクエストモンスターズ」など新たな定番タイトルも誕生。
さらには「遊☆戯☆王」のブームにとって関連タイトルが続々とミリオンセラーとなります。
その結果、発売タイトル数は1997年の55タイトルから100タイトル(1998年)→147タイトル(1999年)→175タイトル(2000年)とうなぎ登りに増えていったんです!
そんなゲームボーイ第二次バブルの真っ最中に発売されたのがワンダースワン。
奇しくも生み親はゲームボーイと同じ横井軍平氏になりますが、4,800円という安さやお手軽感によって350万台以上を販売します。
それでもゲームボーイには及びませんでしたが、同ハードにとって最大のライバルとなりました。
2001年:ゲームボーイアドバンスにバトンタッチ!
ゲームボーイが発売されてから12年目の2001年。
それまではマイナーチェンジを繰り返すだけでしたが、ついに後継機が発売されます。
それがゲームボーイアドバンス!
冠こそは引き継いでいますが、ゲームボーイの互換性があるだけで全く異なる携帯ゲーム機になります。
本ハードの発売を受けてゲームボーイ市場は一気に衰退。
2001年こそは112タイトルが発売されましたが、2002年には14タイトルまで激減し、2003年に2タイトルが発売されてからは歴史に幕を閉じます。
ドカッと売れてサッと消えたゲームボーイアドバンス(GBA)の歴史を振り返る!
全体のまとめ
以上!ゲームボーイの歴史を振り返ってみました!
実に1989年から2003年までの14年間、第一線を維持し続けるとは・・・。
これを据え置き機に当てはめてみると以下のようになります。
・1990~1994年 → スーパーファミコン/PCエンジン/メガドライブ時代
・1995~1998年 → プレイステーション/セガサターン/N64時代
・1999~2003年 → プレイステーション2/ドリームキャスト/ゲームキューブ/Xbox時代
据え置き機市場とは時の流れが異なっていたとは言え、実に3世代にも渡って現役を維持し続けたことになるじゃないですか!?
長寿ゲーム機は数あれど、ここまで長期的に第一線を貫いたケースは滅多にありません。
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