3世代に渡って第一線で活躍し続けた長寿ゲーム機!ゲームボーイ(GB)の歴史を振り返る!

どうも!KENT(@kentworld2 )です!

ゲーム機の一生を振り返る歴代ゲーム機ヒストリー。

今回は30周年を迎えるゲームボーイの歴史を振り返っていきたいと思います!

ゲームボーイとは?

ゲームボーイとは、1989年に任天堂が発売した携帯ゲーム機です。

前身となる「ゲーム&ウオッチ」との大きな違いは、ソフト交換式であること。

ゲーム&ウオッチはゲームソフト内蔵型である一方、ゲームボーイはソフトを交換することで同一ハードで様々なゲームを楽しむことが出来たんです。

また、時代の流れに合わせてゲームソフトのボリュームも大幅にアップ。

ゲーム&ウオッチソフトはミニゲームレベルのボリュームでした。

一方、ゲームボーイソフトはファミリーコンピュータ(以下、ファミコン)ソフトと同等かそれ以上のボリュームを実現していたんです!

液晶はモノクロ4段調のものを採用。

ファミコンソフトのように色鮮やかなゲームを作ることは出来ませんでしたが、駆動時間は長く、単三電池4個で35時間も持ちました。

2010年代前半に発売されたニンテンドー3DSやプレイステーションヴィータの駆動時間がいずれも5時間前後であることを考えたらどれだけ長持ちするのかよく分かることでしょう。

1989年:いきなり大ブレイク!?

手軽に遊べる携帯機として華々しくデビュー!

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1989年に発売された初代ゲームボーイ。

同日に発売されたのは以下の4タイトルでした。

・スーパーマリオランド
・アレイウエイ
・ベースボール
・役満

人気のマリオにブロック崩し、野球、麻雀と定番揃いのラインナップですよね?

当時はキーチェーンゲームが存在しなかったので、これらのゲームがどこでも楽しめたのは非常に魅力的だったと思います。

特に注目だったのが「スーパーマリオランド」

1989年と言えば「スーパーマリオブラザーズ」シリーズの熱がまだまだ高かった時代です。

そんな時代にあのマリオがいつでもどこでも楽しめるインパクトは非常に大きかったようで、同作品は国内だけで400万本以上を売り上げる大ヒットとなります。

テトリスが空前のブームに!

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大本命だと思われていた「スーパーマリオランド」。

しかし、僅か2ヵ月後にそれ以上のヒット作が現れたんです。

それがテトリス!

落ちてくるブロックを一列に揃えていく落ち物パズルゲームの携帯機版になりますが、通信対戦機能の搭載によって空前のブームになります。

元々「テトリス」自体は任天堂のゲームではなく、ロシアの科学者が教育用ソフトウェアとして生み出したパソコンソフトでした。

それをゲームボーイソフトとして移植し、通信対戦機能を加えることで国内だけで424万本以上を売り上げる爆発的なヒットになったんです。

ポイントなのが、通信対戦中は相手の画面が見えないこと。

おかげで緊張感が生まれ、携帯機ならではの楽しさを実現していました。

スクウェア初のミリオンセラーが誕生!

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1989年12月。スクウェアから初のミリオンセラーが誕生しました!

それが魔界塔士Sa・Ga!

本作は当時のゲームボーイ市場では珍しかったRPGで、ゲームとしての手応えを求める層から人気を集めました。

その結果、「ファイナルファンタジー」シリーズよりも先にミリオンセラーとなったんです(同シリーズがミリオンセラーとなったのは1990年発売の「III」から)。

本作のヒットを受け、「魔界塔士Sa・Ga」はシリーズ化。

3年連続でゲームボーイの年末商戦向けタイトルとして発売された後は舞台をスーパーファミコンに移します。

1990年:ゲームボーイのライバルが登場!?

1990年10月にはセガから携帯ゲーム機のゲームギアが発売。

ゲームボーイを遥かに凌ぐスペックを持っていて、なんと4096色中32色を表現することが出来たんです!

しかし、ゲームギアには致命的な欠点がありました。

それは駆動時間になります。

なんと、単3アルカリ乾電池を6本も使用しながら3~4時間程度しか持たなかったんです!

これは携帯ゲーム機としては致命的な欠点でした。

加えてゲームボーイほど訴求力のあるタイトルを発売出来ず、国内での累計販売台数は178万台に留まりました。

これはゲームボーイシリーズの3,247万台を大きく下回ります。

1991年:スクウェアから新たなシリーズが誕生!?

「魔界塔士Sa・Ga」をヒットさせたスクウェア。

1991年にはゲームボーイ向けに新たな大作を発売します。

それが聖剣伝説!

「ファイナルファンタジー」の外伝作として発売された本作は「ゼルダの伝説」ライクなアクションRPGで、ゲームボーイソフトとは思えないほどのボリュームを実現していました。

加えてBGMやイメージイラストが秀逸で、モノクロのグラフィックからは想像もできないほど魅力的な世界観を構築。

国内での売上は45万本とそこまで大きなヒットにはなりませんでしたが、続編のスーパーファミコンソフトはミリオンセラーを達成。

「ファイナルファンタジー」「魔界塔士Sa・Ga」に続くスクウェアの人気タイトルとして1990年代黄金期を支えるのでした。

1992~1993年:名作が続々と誕生!

ピンクの人気者が誕生!

1992年には任天堂の新たなマスコットキャラクターが誕生します。

それが星のカービィ!

当時の2Dアクションゲームは高難易度であることが多かったんですが、本作はゲーム初心者でも楽しめるよう間口を広げて発売されました。

それが功を奏したのか国内だけで170万本以上を売り上げる大ヒットを記録。

その後はゲームボーイを中心に関連作が続々と発売されていきます。

そんな「星のカービィ」ですが、実は「大乱闘スマッシュブラザーズ」を生み出した桜井政博さんのデビュー作でもあるんです。

当時、彼の年齢はなんと19歳!

まだ少年と言える年齢だったんです!

19歳にしてミリオンセラーを生み出すとは・・・歌手だったらともかく、ゲームクリエイターでこれを実現出来た人はほとんどいないでしょう。

カルト的な人気を博す名作が誕生!

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1992年9月には「カエルの為に鐘は鳴る」が発売。

大ヒットこそしませんでしたが、今も語り継がれる任天堂の名作として知られています。

特徴的なのが、アドベンチャーとRPGの融合。

一見するとRPGのように見えますが、実はほぼ一本道でストーリー主導のアドベンチャーゲームなんです。

今までにないストーリー表現がウケたのか「カエルの為に鐘は鳴る」はプレイしたユーザーの心に響く作品として語り継がれるようになります。

舞台をゲームボーイに移しても良作を連発!

同時期には「メトロイド」「ゼルダの伝説」のゲームボーイ版も発売(メトロイドIIとゼルダの伝説 夢をみる島)。

いずれも任天堂のコアユーザー向けタイトルですが、ゲームボーイ版も負けず劣らずの良作として高く評価されます。

再現度が低かった「スーパーマリオランド」にしても同時期には待望の「2」が発売。

前作から3年経っての発売だけあってクオリティが大幅にアップしていました。

このように1992~1993年は任天堂が本気を出して作ったゲームボーイソフトが続々と発売された印象です。

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1994年:ゲームボーイの可能性が広がる!?

ゲームボーイソフトがテレビでも楽しめるように!?

1994年6月にはスーパーゲームボーイが発売。

スーパーファミコン用の周辺機器となりますが、これを使用することでテレビでもゲームボーイソフトが楽しめるようになったんです!

ゲームボーイと言えばいつでもどこでも楽しめるお手軽性がウリなので、一見するとメリットを潰しているように見えるかも知れません。

が、初代ゲームボーイは残像が激しい関係で目に悪く、一部の親御さんからは評判が悪かったんです。

そのためスーパーゲームボーイは子供の視力低下を防止する役割も果たしました。

加えてフレーム機能やお絵かき機能などのおまけ要素を搭載。

任天堂ならではの遊びココロが詰まった周辺機器でした。

ゲームボーイのカラーバリエーションが登場!

一方では携帯機ならではのファッション性を重視した新製品を発売します。

それがゲームボーイブロス!

ゲームボーイ初となるカラーバリエーションで、ホワイト、スケルトン、レッド、イエロー、グリーン、ブラックが発売されました。

これを受けて携帯機にもファッション性が求められるようになり、自分に合った色を選ぶ楽しさが生まれます。

TVCMにはあの木村拓哉さんを起用。

当時の木村拓哉さんは人気上昇中だったので大きな話題となります。

1995年:CD-ROM機の煽りを食らう!?

ゲームボーイが発売されてから6年目となる1995年。

当時はプレイステーションやセガサターンといったCD-ROM機が人気を博していました。

人々はメディアがロムカセットからCD-ROMに変わったことで実現出来た派手な映像に魅了され、ゲームボーイソフトは必然的に地味な物に見えていったんです。

そのため年間の発売タイトル数は1994年の93タイトルから58タイトルに激減。

年末でさえも6タイトル程度しか発売されず、終焉ムードが漂ってしまいました。

1996年:終焉間近かと思いきや奇跡が起きる!?

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そんなゲームボーイ市場に奇跡が起こります。

1996年2月に発売されたポケットモンスター 赤・緑が空前のブームになったんです!

発売当初の売上は10万本程度だったんですが、「収集」「通信」「交換」「育成」要素によってジワジワと人気が広がっていきます。

火付け役となったのがコロコロコミック

同誌ではブレイク前からコミカライズ化が行われ、ゲームソフトの特集も毎月のように組まれました。

加えて幻のポケモン「ミュウ」のプレゼントやバージョン違いとなる「青」の限定販売など、当時としては異例となる企画を次々と実施。

その度に話題となり、「ポケットモンスター 赤・緑」はジワジワと売れ続けてミリオンセラーとなります。

1997年:ポケモンで息を吹き返す!

ポケモンが空前のブームに!?

年が明けて1997年。

同年の4月から「ポケットモンスター」のTVアニメがスタートします。

それを受けてただでさえジワジワと売れ続けていたゲームソフトの売上がさらに爆発!

週間ゲームソフト売上ランキングでは発売から1年以上が経っているのにも関わらず首位になる週も出てくるほどの人気を博しました。

その人気は1998年になっても続くほどで、最終的な累計売上は「赤・緑」だけで822万本を記録。

合計した売上はFC「スーパーマリオブラザーズ」の681万本を上回り、日本最高記録を更新します。

たまごっちブームの恩恵も受ける!?

ポケモンがブームとなっていた頃、たまごっちもブームになっていました!

ブームになった「たまごっち」はゲームボーイソフトとしても発売。

1作目となる「ゲームで発見!!たまごっち」は145万本の大ヒットを記録します。

当時のゲームボーイ市場はポケモンが人気だったとは言え、全体的なタイトル数は激減していました。

それだけに本作の大ヒットは目立っていた印象です。

しかし、たまごっちブームはあっと言う間に沈静化。

ゲームボーイ向けの「たまごっち」の関連作は翌年には100円以下で叩き売りされるようになります(2005年以降に何度か再ブームとなりますが)。

1998年:再び第一線へ!

ポケモンフォロワーが続出!?

年が明けて1998年。

この頃になると「ポケットモンスター」の人気は社会現象となり、街ではポケモンを楽しむ子供たちで溢れかえります。

そんなポケモン人気に便乗したかったのでしょうか?

この頃からポケモンフォロワーがゲームボーイ市場で続々と発売されるようになったんです。

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代表的なのが「ドラゴンクエストモンスターズ テリーのワンダーランド」

「ドラゴンクエスト」シリーズの派生作品になりますが、本編とは違って育成や通信要素に力を入れていました。

同作品は「ドラゴンクエスト」のブランド力も相まって235万本以上の大ヒットを記録。

ナンバリングタイトルと並ぶ人気シリーズとして定着していきます。

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ポケモンフォロワーとしてはそれ以外にも以下のようなタイトルが生まれました。

・メダロット カブトバージョン/クワガタバージョン
・ロボットポンコッツ SUNバージョン/STARバージョン
・携帯電獣テレファング スピードバージョン/パワーバージョン
・真・女神転生 デビルチルドレン 黒の書/赤の書
・サンリオタイムネット 過去編/未来編

いずれもポケモンほどのヒットにはなりませんでしたが、まずまずのヒットを記録。

特に「メダロット」シリーズはイマジニアの看板タイトルになるほどの成長を遂げて20年以上も続く長寿シリーズとなりました。

任天堂もゲームボーイの延命策を取るように!?

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ポケモンブームで息を吹き返したゲームボーイ市場。

さすがに任天堂もこの状況を放っておけなかったようで延命策が図られるようになります。

以下、1998年に任天堂が図ったゲームボーイの延命策一覧です。

・通信機能を加えた「スーパーゲームボーイ2」
・ゲームボーイがカメラになる「ポケットカメラ」
・ゲームボーイがプリンタになる「ポケットプリンタ」
・画面にバックライトを搭載した「ゲームボーイライト」
・N64ソフトと連動する「64GBパック」
・画面がフルカラー化した「ゲームボーイカラー」

特に大きな延命策となったのがゲームボーイカラー

それまでモノクロの液晶を貫いていたゲームボーイですが、ついにカラー液晶を採用したんです!

懸念されていた駆動時間も技術の進歩によって単3乾電池2個で平均20時間稼働させることが可能になり、それでいて価格はたったの9,800円(当時)。

ゲームボーイはソフトだけではなく本体も再び売れるようになります。

ゲームボーイの可能性を追求する任天堂

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それ以外にゲームボーイの延命策で印象だったのが、遊びの幅を広げようとする努力です。

例えば「ポケットカメラ」「ポケットプリンタ」では電化製品とゲームを融合させようとしていました。

同時期には様々な対応ソフトが発売され、カメラやプリンタを”おもちゃ”に変換していたものです。

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忘れてはいけないのが「64GBパック」

N64の周辺機器になりますが、これを使用することでN64ソフトとデータ交換ができるようになったんです!

代表的なのが「ポケットモンスター 赤・緑」と「ポケモンスタジアム」。

「ポケットモンスター 赤・緑」で育てたポケモンがN64の迫力ある映像によって大化けしたので当時の子供たちを釘付けにしました。

それ以外にも以下のようにGB/N64のデータ連動を実現したソフトはいくつもあります。

N64「実況パワフルプロ野球6」 ⇔ GB「パワプロクンポケット」
N64「マリオゴルフ64」 ⇔ GB「マリオゴルフGB」
N64「スーパーロボット大戦64」 ⇔ GB「スーパーロボット大戦リンクバトラー」
N64「ポケモンスタジアム 金・銀」 ⇔ GB「ポケットモンスタークリスタル」

当時のゲームボーイ市場は2つのバージョンを発売して通信交換を楽しむゲームが主流でした。

が、それに加えてGB/N64向けに2本のゲームを発売してデータ連動を楽しむスタイルも定着していたんです。

1999~2000年:第二の黄金期を迎える!

初代の発売から10年が経過した1999年。

通常のゲーム機であればとっくに商品寿命を迎えていそうですが、ゲームボーイは第二の黄金期を迎えます。

代表格となる「ポケットモンスター 赤・緑」は引き続き売れ続け、「ドラゴンクエストモンスターズ」など新たな定番タイトルも誕生。

さらには「遊☆戯☆王」のブームにとって関連タイトルが続々とミリオンセラーとなります。

その結果、発売タイトル数は1997年の55タイトルから100タイトル(1998年)→147タイトル(1999年)→175タイトル(2000年)とうなぎ登りに増えていったんです!

そんなゲームボーイ第二次バブルの真っ最中に発売されたのがワンダースワン

奇しくも生み親はゲームボーイと同じ横井軍平氏になりますが、4,800円という安さやお手軽感によって350万台以上を販売します。

それでもゲームボーイには及びませんでしたが、同ハードにとって最大のライバルとなりました。

2001年:ゲームボーイアドバンスにバトンタッチ!

ゲームボーイが発売されてから12年目の2001年。

それまではマイナーチェンジを繰り返すだけでしたが、ついに後継機が発売されます。

それがゲームボーイアドバンス!

冠こそは引き継いでいますが、ゲームボーイの互換性があるだけで全く異なる携帯ゲーム機になります。

本ハードの発売を受けてゲームボーイ市場は一気に衰退。

2001年こそは112タイトルが発売されましたが、2002年には14タイトルまで激減し、2003年に2タイトルが発売されてからは歴史に幕を閉じます。

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全体のまとめ

以上!ゲームボーイの歴史を振り返ってみました!

実に1989年から2003年までの14年間、第一線を維持し続けるとは・・・。

これを据え置き機に当てはめてみると以下のようになります。

・1989年 → ファミコン時代末期
・1990~1994年 → スーパーファミコン/PCエンジン/メガドライブ時代
・1995~1998年 → プレイステーション/セガサターン/N64時代
・1999~2003年 → プレイステーション2/ドリームキャスト/ゲームキューブ/Xbox時代

据え置き機市場とは時の流れが異なっていたとは言え、実に3世代にも渡って現役を維持し続けたことになるじゃないですか!?

長寿ゲーム機は数あれど、ここまで長期的に第一線を貫いたケースは滅多にありません。

歴代ゲーム機ヒストリー記事のリンク一覧
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39件のコメント

GBは相当やってましたね。
でも自分はカラーから入ってたんで初期型やスーパーゲームボーイは実は未経験なんですよw

ポケモンは姉たちが赤とピカチュウ版、金銀クリスタルを遊んでたんで自分も便乗でやっていたくらいです。あまり当時理解できてなかったんで。ポケモンを本格的にやり始めたのはアドバンス時代からなんでw

GBで思い入れのある作品はカービィ初代と2、ワリオランドの3作品、マリオランドの2作品、ハム太郎2ですかね。他にも色々やってたけどいまいち覚えてないんですよw まだガキだったからなぁこのころwww

電池では基本やらず電源繋げて遊んでましたね。携帯してないw
基本ゲームは外で遊ばず家でやってたっていうのがあったんでwww
携帯ゲーム機の利点を活かさないスタイルwww

ぼくはポケットから入りましたが、今からだとキツイですねw スーパーゲームボーイなら行けそうですが。

ポケモンを本格的に始めたのはGBA版からなんですね。アクションゲームではないので確かに理解し難いかも。

こうしてタイトルを挙げられているのを見ると、y.crashさんにとってもGBは思い出深いハードになっていそうですね。

うちも主にスーパーゲームボーイでプレイしていたので、あまり乾電池を交換した記憶がありませんw

ゲームボーイのテトリスはお世話になりましたね。今でもBGMを口ずさむ程にははまっていましたし、うちの母がテトリスにはまっていたのが意外でした、何よりずっーとゲームは反対する人かと思っていたのでびっくりした記憶があります。
その後はSaGaとカエルの為に鐘は鳴るをやったくらいかなあ、基本はPCか据置派でしたので、それ程は使いこなせていいないかもしれません。

GB版テトリスのBGMは中毒性が高いですもんね!

お母様の話は何だか微笑ましい。でも、テトリスって高齢の方でも楽しめるゲームだと思います。

サガやカエルの為に鐘は鳴るもプレイされていましたか!?kiyoppyさんの意外な過去がわかって嬉しいw

ゲームボーイはゲーム機市場で最も奇妙なライフサイクルのハードでしたよね。
ほんとに1996年の頃に終了してもおかしくなかったのですが、ポケモンという一つのキラーソフトによって息を吹き返しましたよね。
ゲーム機はよくキラーソフトがあって、成り立つと言われてますがこのゲームボーイが正にそれですwww

いや〜、でもポケモン人気がなかったら任天堂はもっと追い込まれていたでしょうね(^^;;
N64やゲームキューブ/GBAの2世代間はポケモンに支えられていたのが大きいと思います。

ポケモンの発売からブレイクまでのストーリーは歴史に残るものだと思います。

今後もゲームボーイと共に逸話として語り継がれていくでしょうね~。

本当にポケモンがブレイクしていなかったらどうなっていたことか。アフターストーリーを描きたくなります。

うわーまさに小学生ど真ん中世代の30代男性です(笑)応募しましたよミュウ!わずか20名の当選枠に7万通ハガキが来たのは今でも伝説として語り継がれてますね…!当時9歳だったかな?コロコロを毎月買ってビーダマンで遊んで、紙上通販の青版を買ってワールドホビーフェアに行きたがるという当時のテンプレの様な子供でしたw
色々ゲームボーイの思い出はあるんですが、やはりポケモンですね!通信ケーブルを持っていたのでヒーローでしたw自分はGBポケットの方だったので単四電池なのは困りましたね。家に新品の電池が無い場合、リモコンとかおもちゃとか別の所から電池を引っ張ってくるのはあるあるだと思うんですがw大体が単三なのでその手法が使えないんですよねぇ…なのでだいぶ後になってスーパーゲームボーイ買いましたよ。(結果あんま使わなかったw)

ゲームボーイが発売から10年経って2度目の黄金期を迎えられたのは、やはりGBカラーの発売が相当大きかったと思います。発売10年後にカラー版を出す携帯ゲーム機なんて普通ありえないですからね…もうみんな待ってた!って感じで飛びつきましたもん。ポケモンカードGBとか、ポケモンピンボールとか、派生作品も含めて本当にあの時のポケモンにはもうどっぷりだったというか…
未だに初代サイコー!初代要素だヤッター!とか言っちゃうポケモン老害勢なのはこの頃の思い出補正が強すぎるせいもありますw初期の151匹が自分にとってのゲームボーイそのものみたいになっちゃってるんですよねぇ。

あはは、ど真ん中世代でしたか!?

ミュウの応募、倍率が高すぎますw 当選した人は宝くじに当たったようなものなんじゃないでしょうか。きっと、自慢しまくっていたでしょうね~。

おお!いかにも1990年代後半の少年っぽい!その時代を堪能出来たのではないでしょうか?

単4電池あまり活用しませんもんね。乾電池と言えば単3乾電池のイメージが強いです。

GBカラーは当時、物凄い人気でしたね。ぼくもすぐに購入した記憶です。

ポケモンの派生作品は半年くらいでドドドッと発売されましたね。特にポケモンカードGBにはハマりました!ぼくも初代の思い出補正が強すぎてなかなか金銀以降がしっくり来ないから困っていますw

初代ゲームボーイとほぼ同時期にゲームギアというカラーの携帯ゲーム機が存在した事実に驚いてしまいました。試しにYouTubeでゲーム画像を見てみましたが凄く綺麗ですね。セガはいつも時代を先取りしていたイメージです

ぼくの友だちもセガっ子でゲームギアを絶賛していましたよw 今考えるとあの時代にあれを出せたのはすげぇよなぁって。

ゲームボーイは歴代の任天堂の中でも64と並んで思い出深いハードですね。
初期のテトリスブームから、全然流行らなかったですがモバイルアダプタまで色々楽しかったです。
ゲームボーイライトを買わなかったのは、惜しかったな〜。

ゲームボーイで特に好きなのは夢をみる島で、今度のリメイクは期待と不安は半分半分です。出来れば風のタクトの様な良リメイクだと嬉しいですね。ボリュームはそのままなのかとか気になるところがいっぱいです。
当時はゲームボーイながら大作の様な気がして、それでも飽きずに繰り返しプレイしてましたけど、実際のボリュームは忘れてしまいました。
いま発表されているSwitchのタイトルでは一番期待しています。

ぼくもN64/GBはセットで楽しんでいました♪

モバイルアダプタGB懐かしい!マリオゴルフの流れでモバイルゴルフが気になっていたけど手を出せなかったなぁ。

夢を見る島は同感です。見たところオリジナル版を忠実に再現していそうですが、今となってはあのボリューム感で通用するのか気になっています。おそらく追加要素もあると思いますが・・・

こんにちは。
ゲームボーイは確か発売して半年くらい経って手に入れましたね~
テトリスブームで品薄状態だったので、
近所のオモチャ屋に頼んで2-3週間待ったような記憶があります(笑)
ポケモンが発売された頃は、私のゲーム熱が一時的に冷めていた時で、
その頃は良く知らないんですよね(笑)
バーチャルボーイのほうに関心が行ってたかも(笑)
「X」みたいな実験的なゲームも好きでしたね~

2~3週間待ちって凄いですね!それだけ品薄だったのを実感させられる話です。

ポケモンの頃はバーチャルボーイに関心が言っていましたか。でも、ヨコイズムを求めていたらそうなるのも無理はありませんw

僕はポケモン青をコロコロの通販で買ってもらいました!
赤緑とは違うグラフィックで周りの友達に自慢しまくっていました笑
めちゃくちゃハマって、お気に入りのカメックスを自力で97レベルまで上げたのに、出来心から当時流行っていた裏技で、レベルを100まで上げてしまい、それによってステータスがガタッと落ち、えらくショックを受けたのを今でも鮮明に覚えています笑

あの時に僕は、ズルをせず自分の力でやり遂げるという教訓を、身を持って叩き込まれました笑

おお!青バージョン良いですね!初代では唯一持っていないバージョンでしたが、3DSバーチャルコンソール版で買いました!

レベル100の裏技はよく使っていました。でも、レベル97で使用するのは勿体なかったですねw

でも、読んでいて微笑ましかったですよ~!

ゲームボーイ…それはカルチャーブレーンの本気が見られる場所……。

…という謎のダイイングメッセージはともかく。

ゲームギアはアイドルの高橋由美子さんを起用したCMでバンバン宣伝していましたが、携帯ゲーム機と呼ぶには大きすぎましたね(アメリカにはアタリ・リンクスというさらなる強者もいましたが)。カラーの液晶画面は小さく、残像もひどかった。ゲームボーイもけして小さくはないんですけど、筐体を縦型にしたことで許容範囲内に納められたんだと思います。Huカードソフトがそのまま使えるPCエンジンGTも縦型でカラー画面でしたが厚さがとんでもなくてほぼ直方体。鈍器になる重さでした。でも別売のチューナーを付けると携帯テレビになったくらいなので、液晶の性能は良かったです。「21エモン」とか「ビーボール」とかよく遊んだな~。

湾岸戦争の前線で兵士が非番のときにゲームボーイのテトリスを遊んでいたことも話題になりましたよね。ボタンひとつで飛んでいくスカッドミサイルが飛び交う夜の戦場の様子がCNNなどで中継されて、ニンテンドー・ウォーとか言われたりして。

ゲームボーイの歴史のうち「ポケモン」以前を第一期、以降を第二期とすると、第一期は良くも悪くもその携帯性が全てで、ソフトも家庭用ゲーム機やアーケードゲームからのタイニー(ちっちゃい)な移植がメインだったと思います。もちろん挙げておられるようなゲームボーイ発のオリジナルソフトもあったんですけど、ほとんどはそんな感じだった。だから「ポケモン」というソフトを得てはじめて、ゲームボーイは据え置き機と並ぶ一人前のゲーム機になれたのかもしれません。

そんな僕自身は完全に第二期の人間ですね。ポケモンそのものは遊ばなかったんですけど、ロボットポンコッツはほんとやりましたし、ポケモンライクなソフトはたくさんありましたよね。大ドロボウJINGとかデビチルとか。で、最初のコメントに戻るんですけど、ゲームボーイで最も洗練された格ゲーを出していたのが実はカルチャーブレーンだったと思うんです。そして何より、グランディア・パラレルトリッパーズは本家に匹敵する名作だと思います。もちろんその一方でなんじゃこりゃ!と言いたくなるソフトもあったんですけど、その玉石混淆ぶりがエンターテイメントとして面白かったなぁと。だからクロスレビューで酷評されていた「ブラックオニキス」のリメイクや「海底伝説トレジャーワールド」、そして「突撃!パッパラ隊」の「ごごごごー」も許せる。

でも、「さるパンチャー」の世間的な評価ってどうなんでしょう?もうちょっと高くてもいいような気がします。

カルチャーブレーンのゲームは雑誌でちょくちょく見かけました。確かにゲームボーイで色々出していましたね。

ゲームギアのTVは物心付いていなかったので動画でしか知りません。やはり、欠点も色々あったのですね。

兵士がゲームボーイをプレイしたのも逸話として覚えています。

ポケモンはゲームボーイだからこそ実現出来たゲームデザインでしたね。今思うとあの時代にあそこまで詰め込んだゲームを出せたことに驚きです。

ポケモンライクなゲームは結局ほとんどプレイしていませんでしたが、ロボットポンコッツはほにょさんが相当気に入られているのは覚えましたw

ゲームボーイもマイナーなゲームが色々出ましたが、どうしても小粒感があるからかあまり話を聞きませんね・・・

GBと言えばポケモンの印象です
GBはハードとして終わりかけていたのがポケモンの大ヒットで息を吹き返しました
当時は一本のソフトの力でハードを支えることが出来るのかと驚いたものです
ポケモンがなければ任天堂の携帯機路線は終わっていたかもしれません
PS1,2が大ヒットしていた時期に任天堂は携帯機で凌いでいました
GBとポケモンは任天堂にとって救世主的なものではないかと

そうですね、任天堂はポケモンやGBに救われたと思います。

任天堂は何度も危機に直面していますが、必ず救世主が付いてくるから凄いですね。最近もポケモンGOに救われましたし。

sagaとsaga2は名作だと思います。
しかし、ニンテンドーは周辺機器好きですよな
switchはラボに走ってるけど
ロボとかバズーカとか嫌いじゃないです。買わないんだけど

任天堂のビジネスはハードとソフトの一体型ですからね~。

周辺機器が多くなるのは体質のようですw

ゲームボーイはウィザードリィ外伝を死ぬほどやりましたね(他が思い出せないくらい)
アドバンスSPまでずっと使い続けてましたが良いハードでした
任天堂はあまりブランドにこだわらない(引っ張って2世代くらい)印象がありますがゲームボーイという冠だけは長いこと使い続けていましたね

ウィザードリィはそんなにハマっていましたか!?

ゲームボーイはブランド力がありましたからねぇ。でも、今はニンテンドーやDSの方がブランド力があるかも。

自分は今でもテトリスと言えばゲームボーイのテトリスですね。
ゲームボーイ音源のコロブチカじゃないと「なんか違うんだよなあ」という違和感が(^_^;)

ゲームボーイで一番思い出深いのはドラゴンクエストモンスターズ2ですね。不思議なカギを使って異世界を探検し、モンスターを仲間にして配合を繰り返してより強いモンスターを手に入れるのが楽しくて、ポケモン以上に熱中してました。
特に不思議なカギを使ってまだ見ぬ世界へ旅立つという冒険を味わえるのが子供心に凄く響きました。今の自分がオープンワールドゲームを好むのも、DQM2の影響があるのかもしれないです。

あと印象的だったのが魔戒塔士サガですよ。大人になってからのプレイでしたが、多様な価値観のある現代でも生み出せるかどうかわからないほどとにかく突き抜けた世界観と台詞回しは衝撃的でした。
「てめぇのようなやつがいちばんむかつくんだよ」「きくまでもなかろうよ!」などのセリフは今でもインパクト絶大ですよ(笑
ちなみに本作のラスボスであるかみは、ただの暇つぶしのために世界を苦しめるという極悪人なのですが、チェーンソーのせいで完全なネタキャラ扱いされているんですよね…(笑

なるほど、ドラクエモンスターズ2がA・Tさんのオープンワールドゲーム好きの原点だったとは!?

何だか意外な一面が垣間見れた気がします。

サガシリーズはほとんどプレイ出来ていませんが、ゲームボーイ版から入るのも良さそうですね。

セリフはなかなか言い回しがキツイw

でも、ひらながで表記されていることから少しは和らいでいる気がします。

ラスボスのシュールさといい、時代を感じますね~

文字量が凄いな…!しかしここまで長いのにも関わらず、一ハードの歴史がスラスラと読めてしまうんだからKentさんは本当に凄いです!他の歴史系の記事は目を通せていないんですが、また後で見に行かないと…!

ゲームボーイかぁ…。自分は完全に世代からは外れていますが、ゲームなら少し触ったことがありますね。しかし、初めて出たカセット式携帯機なのに3世代、14年間生き抜くなんてかなり息の長いハードだったんだな…。後、多彩で豊富な周辺機器の数々にも驚かされますね。今まで違和感すら覚えませんでしたが、よく考えたら最初のカセット式携帯機なのに外付けカメラやテレビ出力に近い物まであるのは凄いぞ!

ソフトに関しては、やはり星のカービィのインパクトが凄いですね!一作目はノーマルモードをクリアしましたが、あの作品がデビュー作な上に、19歳の時点で作ったなんて桜井さんは本当に凄い!
そして末期から2度目の黄金期まで持っていくという初登場を果たしたポケモンも強烈ですね…!と言うか、今気付いたけど連動機能まであったのか!?本当に、色々ととんでもないハードだ…!

ありがとうございます!長文だと中だるみしてしまいがちですが、スラスラと読めましたか!?良かった♪

3世代も生き抜いたのは様々な大ヒット作があったからこそですが、汎用性の高さにも驚きましたね。

カメラやプリンター、テレビ出力も出来るって!?

今思うとゲームボーイの時点でスマホの片鱗が見えたってことになるんですね。

19歳で星のカービィを作れてしまうって凄い・・・ぼくが同じくらいの歳の頃を思うと信じられませんw

初代ポケモンの勢いは相当なものでした。あまりにもヒットしたので連動機能など様々な可能性を生み出していましたね。

いつの間にか、GAMEBOYの記事が!!
当時はゲームボーイだけしか出来なかったので、その分相当プレイしてきていると思います(^^)

一番好きなのはサガ2ですが、夢島とかカエルとかも、何回もやりましたね。

一番最初のデカイゲームボーイからやってますが、今思えば、よくあれでロックマンやがんばれゴエモン等のアクションができたなぁ、と思います。

はい!ゲームボーイの特集記事を過去最大規模で公開してみました!

マージさんのゲームボーイ愛は本当にすごいですねw

カエルの為に鐘は鳴るは改めて考えると凄い作品だと思うので、また記事にしたいと思います!

VCでロックマンやゴエモンなどもやってみたいですねー

いつ頃から所持していたかはわかりませんが少なくても90年代前半までには持っていました、当時は据え置き機メインだったせいか携帯機のゲームのボリュームが少なくて物足りなかったので携帯機はオマケ扱いでしたが夢を見る島がとても気に入って十何周するくらいやり込みました。

カービィのレビュー作はゲームボーイ(以下GB)なんですね、当時自分は未プレイでしたが初カービィはスパデラではなくて同じGBで出たピンボールになりましたのはここだけの話です、後にVCでカービィ第1作目をプレイしてエクストラモードもクリアしました。

90年代中盤は据え置き機市場は熱かったのに対して携帯機市場は氷河時代だったんでしたか、そしてポケモンで息を吹き返すのは奇跡としか言いようがありません、ポケモンのフォロワータイトルはこんなに出てたんですね、その大半は今ではもう見かけなくなりましたけど・・・。自分はポケモン未プレイでしたけど当時はポケモンの話題でいっぱいでした。

当時の競合機を見ているとカラーの技術はあったけどコスト面でだけでなく稼働時間に問題があったからあえて白黒を採用したんですね、白黒だっただけではなくバックライトも無くて画面が暗かったから見づらいにもかかわらずよく夢中にプレイできたんだなと感心しました。
スーパーGBだとSFCがいるし携帯出来ないけど色が付いただけでは無くて大画面でかつ見やすくなっていたり電池による稼働時間の制約が無くなったりとただGBをテレビ出力するだけでもこんなにメリットがありました頃なんですね、あとゲームによっては専用のフレームもあって遊び心もあって良いと思いました。
GBがカラー化したのは発売からかなり先になりましたが技術の進歩の恩恵が受けられます、初代からカラーに乗り換えましたが白黒だったのが色が付いたごとに感動しました、カラー対応や専用ソフトもありましたが持っていた主要なタイトルはふしぎの木の実の両バージョンくらいであとはマイナータイトルを2,3本くらいでした、しかし自分にとってのGBはゼルダと関わり深いんだなと思いました。

一時期死にかけの時期があったとはいえ14年もの間ソフトが出てたからかなりの長寿ハードなんですね、ここまで世代を跨いでいたとはすごいと思いました、そう言えば今年でGB発売30周年になりますね、アドバンスを経てDSシリーズやswitch携帯モードへと発展していき今に至ることになりました、そう思うとGBは携帯機の系譜が本格化したゲーム機の礎だったんですね。
それとSFCばかり目が行きがちですがswitchオンラインのフリープレイでGBも追加されるのかな。

ぼくも当時の携帯機って据え置き機のおまけみたいなものだと思っていました。

夢を見る島を十何周もされるとは・・・相当気に入っていたのですね。

カービィのピンボールがシリーズのデビュー作でしたか。そう言えばバーチャルコンソール版を買っていたのに積んでいたw

1990年代中盤はCD-ROM機で賑わっていた頃で、携帯機は全くでしたね。ポケモンが大ブレイクしなかったら携帯機の歴史はそこで終わっていたかも。

今となってはゲームボーイの液晶は見てられないでしょうね。初代GBAでさえも相当厳しいのでw

本当に当時はどうやって楽しんでいたのかと驚いています。

GBはもうすぐ30周年なので、何かしらの企画が動いていないか期待しています!4月21日は判明しないかな~♪ Switchオンラインのラインナップに加わったら最高ですね!

GBは発売時からして据え置きとは需要が違ったのだろうな。
ファミコンは当時一家に1台のテレビを占有してしまう為、親に嫌がられると言う傾向もあった。
テレビが焼き付くとか壊される等色々あったのだろう。
子ども達もプレイ時間が制限されやすい不満はあっただろう。
そんな中に専用画面で何処ででもプレイ出来る玩具ならばと選んだユーザーもあったのではないだろうか。

3世代とは言われるが単純にライバルが居なかったのが一番だろうな。
実質ポータビリティで重要なのを押さえたのは3世代でGBとWSしかない。
GGとPCEGTはカラーと言う選択を含め、同世代ではあるが別の方向性のハードであったと思って良い運用性だったからな。

テトリスにしてもポケモンにしてもヒットの要因は、GBの本来の運用性は、通信コミュニティーに置ける感染だったのだろうな。
通信はオマケで用意された機能だと、(スクウェアのヒットでファミコンの携帯を意識してしまい、更にSFCの人気もあり)活かさなかった事がポケモンまでの衰退に繋がっていたのではないかと。
同様の流れで登場しているPSPもモンハンの通信で再爆発しているしな。

ライバルが居るからこそサービスが強化されるところはありますからね。

ゲームボーイが長生きしたのは長年独占状態が続いたのも大きいと思います。

あとはポケモンが大ブレイクして市場が活性化したのも大きいのでしょうね。

当時の任天堂は据え置き機市場では苦戦していて別の活路を求める必要がありましたから。

通信コミュニティの感染は携帯機市場での課題でしたね。

PSPのモンハンもそうですし、DSのドラクエIXもすれ違い通信が話題になりましたから。

DSは落ち目の起死回生はなかった様に思うがね。
全盛でドラクエのすれ違い通信が良かったからとハードウェアで搭載した3DSでは市場がDS程広がらなかった為、効果的に活かせなかったと言うか。
プレイヤー履歴としては面白かったがね。

失礼しました、起死回生にスポットを当てた話でしたね。でも、3DSですれちがい通信を強化したのはドラクエIXの影響が大きそうです。まあ、3DSのすれちがい通信は大流行ってほどはしませんでしたが。

まさにゲーム機の寿命を左右するのはハード性能ではなくソフト人気次第!!ですね!

さて今回こちらにお邪魔したのは・・・

初代「ポケットモンスター」のテレビCMがまさか“あんなん”だったとはなぁ。“ユチブ”動画で確認できたんだけど、とある昼下がり。公園でくつろいでいるおじさんたちにいきなり声をかけるロリータ風コスプレ(?)をしたオバ、いやオネエサン!

『あたくしと勝負しない?』

・・・これ“イロモン”CMじゃないのか?!最後まで見ないとこれがゲームのCM、しかもあの「ポケモン」の初CMだってわからないかも?!「赤」と「緑」の二種類あることはしっかり紹介してた!2バージョンに分けて発売する戦略はこのゲーム、このCMから始まっていたんだな。
次の最新作「剣&盾」はどんなテレビCMかな?