どうも!KENT(@kentworld2 )です!
本記事ではファミリーコンピュータの歴史を振り返っていきます。
日本のコンシューマーゲーム市場を作り上げたと言っても過言ではないファミリーコンピュータ。
一体、当時はどんな歴史を積み重ねて来たのでしょうか?
目次
ファミリーコンピュータとは?
ファミリーコンピュータ(以下、ファミコン)とは、1983年に任天堂が発売した家庭用ゲーム機になります。
特徴的なのが、カセット交換式であること。
任天堂はファミコン以前にもカラーテレビゲーム、ゲーム&ウオッチなどのゲーム機を発売していました。
しかし、これらのゲーム機は一体型で、ゲームハードとゲームソフトが一緒になっていたんです。
一体型だからこそ実現した遊びはありましたが、内蔵されているゲームソフトに飽きてしまったら最後。それ以上話題になることはありませんでした。
一方、ファミコンの場合はゲームソフトが別売りになり、異なるカセットを挿入することで全く新しいゲームが楽しめるようになったんです!
それでいて価格は約15,000円と同時期のゲーム機よりも遥かに安く、大ヒットを記録しました。
ここからはファミコンの歴史を西暦順に語っていきます。
1983年:ドンキーコングが家で遊べるゲーム機としてアピール!
1983年7月15日、ファミコンは発売されます。
同日に発売されたのは以下の3タイトル。
・ドンキーコングJR.
・ポパイ
なんと3タイトル中2タイトルが「ドンキーコング」の関連作だったんです!
それもそのハズ。当初のファミコンは「ドンキーコング」を家でも楽しめることをウリにしていたからです。
1981年にアーケードで展開された「ドンキーコング」。
ゴリラにさらわれたお姫様を救う2Dアクションゲームですが、それまでのアーケードゲームにはなかった明確な目的を持たせたことで大ヒットを記録しました。
ゴリラにさらわれた姫を救うんだ!
そんな目標を持ちながら100円を何枚も注ぎ込むゲーマーを世界中で生み出すことに成功しました。
しかし、「ドンキーコング」は難易度が高く、1回のプレイで全ステージをクリアするのは至難の業です。
おまけに2周目以降の高難易度モードも用意されているので、そちらも極めようと思ったらいくらお金があっても足りません。
それだけにファミコンとゲームソフトを購入することで好きなだけ家で楽しめるのは大きな魅力でした。
1984年:サードパーティ市場を開拓!
サードパーティ
ハードメーカー以外のゲームメーカーを指す用語で、ゲーム機のソフトラインナップに多様性を持たせるうえでは欠かせない存在です。
が、1980年代初期の国内ゲーム市場ではどこのゲームハードもサードパーティを募ることはありませんでした。
そんな中、任天堂はファミコンで初のサードパーティを獲得することに成功します。
それがハドソンとナムコ!
ハドソンは1984年7月に「ナッツ&ミルク」「ロードランナー」を。
ナムコは1984年11月に「ゼビウス」を発売します。
すると、「ロードランナー」と「ゼビウス」が揃ってミリオンセラーとなったんです!
当時のファミコンは130万台程度の売上だったので、驚異的な装着率でした。
大ヒットの背景としてオリジナルのパソコン版、アーケード版が絶大な人気を誇っていたというのもありますが、それにしても凄い・・・。
これ以降、タイトー、コナミ、カプコン、ジャレコなどがファミコン市場に参入。
今も続く日本のコンシューマーゲームの土台を作り出すことに成功します。
しかし、任天堂はサードパーティ各社に年間発売タイトル数を制限することにしました。
何故かと言うと粗製濫造を恐れていたからです。
1982年当時、アメリカではアタリ社が開発した家庭用ゲーム機が大ヒットを記録していました。
が、サードパーティの品質管理を怠ったことで質の低いゲームが大量に投入され、あっという間に市場が衰退してしまったんです。
この現象はアタリショックと名付けられ、今もなお語り継がれています。
アタリショックならぬファミコンショックは起こしたくない!
そんな強い思いから任天堂はサードパーティ各社に制限を設けることにしたんです。
しかし、あまりにも厳しい制限にサードパーティからの不満が日に日に強くなるのでした・・・。
1985年:ファミコンが社会現象に!?
順調に市場を拡大していくファミリーコンピュータ。
この時点でそれまでの家庭用ゲーム機を上回る販売台数を記録していましたが、1985年9月にとんでもないタイトルを生み出します。
それがスーパーマリオブラザーズ!
国内だけで累計681万本を売り上げる空前の大ヒットを記録し、社会現象と言えるほどの大ブームを巻き起こします。
大きな特徴だったのが、横スクロール方式を取り入れたこと。
それまでのゲームは1画面固定式で、画面の端に行ったら反対側へループするようになっていました。
ところが「スーパーマリオブラザーズ」の場合、画面の端に行こうとすると画面がスクロールして様々なギミックや敵が現れるんです!
さらに地下通路や雲の上といった隠しエリアも満載で、従来のゲームとは比べ物にならないくらいステージが入り組んでいました。
それがプレイヤーの探究心を掻き立て、子供を中心に爆発的な人気を記録するきっかけとなったんです!
かくいうぼくも「スーパーマリオブラザーズ」を初めてプレイした時はワクワクの連続でした。
確かに難易度は高いんですが、1ステージの中に沢山の要素が隠されているからめげずに続けたくなったんですよ。
下からブロックを叩くことで出てくるキノコ。
秘密の地下通路に繋がる土管。
天井裏に隠されたワープ土管。
隠し要素を挙げだしたらキリがなく、単にステージをクリアするだけではなく、各地を探索することに楽しさを見出していました。
本作の発売以降、横スクロールアクションゲームは怒涛の勢いで発展を遂げていきます。
フォロワータイトルを挙げだすとキリがなく、様々な形で派生していきました。
1986年:ファミコンバブルが到来!
ディスクシステムで広がるゲームの可能性
「スーパーマリオブラザーズ」が社会現象となった1980年代中盤。
ファミコンは容量不足という問題に直面していました。
ファミコンはROMカセットを供給媒体にしていたんですが、容量を増やすとコストが嵩むという問題が付きまとっていたんです。
そこで誕生したのがディスクシステム。
ファミコンの下にドッキングする外付けゲーム機で、ディスクカードを供給媒体にすることで大容量化を実現しました。
目玉タイトルとなったのが「ゼルダの伝説」。
本作はトップビューで展開されるアクションアドベンチャーゲームになります。
特徴的なのが、8×16マスで構成された広大なフィールドと8種類のダンジョンを自由に攻略できるゲームデザイン。
従来のファミコンソフトでここまで大規模なゲームデザインは実現出来なかっただけに、当時としては衝撃的でした。
さらにディスクシステムは書き換え機能を実現。
販売店に設置されていたディスクライターという自動販売機にディスクカードを挿入することで異なるゲームを安価で書き換えることが出来たんです。
これによって囲い込み戦略も成功します。
しかし、ディスクシステムは長続きしませんでした。
大きな要因となったのが、ROMカセットのコストダウン&大容量化。
ディスクシステム発売当時の容量はROMカセットと比べて3倍以上も上回っていました。
が、僅か半年後には2メガビットのROMカセットを採用したFC「がんばれゴエモン!からくり道中」が発売されたんです。
ディスクカードの容量は両面で112キロバイトである一方、「がんばれゴエモン!からくり道中」は250キロバイトなので、早くもダブルスコアが付いてしまいましたw
その後も大容量のROMカセットを採用したファミコンソフトが続々と発売され、ディスクシステムはあっという間に役目を終えてしまいます。
コンシューマーゲーム市場の歴史を変えた伝説の名作が誕生!
任天堂がディスクシステムへと移行する中、エニックスから伝説の名作が誕生します。
それがドラゴンクエスト!
本作は家庭用ゲーム機では初となるRPG(ロールプレイングゲーム)になります。
特徴的なのが、敵キャラクターであるモンスターを倒すことで経験値とお金が蓄積され、レベルが上ってステータスがアップすること。
ステータスがアップするとそれまで苦戦していたモンスターも簡単に倒せるので、プレイヤースキルに依存することなくストーリーを進められるようになりました。
それまでのゲームはプレイヤースキルありきだったので、これは当時としては画期的なことだったんです。
「ドラゴンクエスト」は1作目にして150万本以上を売り上げる大ヒットを記録します。
ファミコンバブルによって大ヒット作が連発!
「スーパーマリオブラザーズ」によって社会現象にとなったファミコン。
1986年頃には「スーパーマリオブラザーズ」の次を求められるようになり、発売されるタイトルの多くが大ヒットを記録します。
人気アニメを題材にした「忍者ハットリくん」「ドラえもん」「ゲゲゲの鬼太郎 妖怪大魔境」「北斗の拳」「ドラゴンボール 神龍の謎」。
オリジナルシューティングゲームの「スターソルジャー」。
後に定番化した野球ゲームの「ファミリースタジアム」。
高橋名人が主人公の「高橋名人の冒険島」。
ハードな2Dアクションゲームの「光神話 パルテナの鏡」「メトロイド」「スーパーマリオブラザーズ2」。
前述の「ゼルダの伝説」「ドラゴンクエスト」。
ザッと挙げてみましたが、なんと、ここで挙げたすべてのタイトルが1986年に発売され、いずれも100万本以上を売り上げているんです!
ファミコンバブルだったのもありますが、1年間に10タイトル以上もミリオンセラーを生み出すとは恐るべし!
1987年:ファミコン最大のライバルが誕生!
ファミコン発売4年目となる1987年。
当時のゲーム市場は光の速さで技術が進歩していったので、この時点でファミコンは旧式化が進んでいました。
当時はアーケードゲームがまだまだ強く、「アーケードのゲームをいかに完全移植できるのか?」が大きなステータスだったんです。
そういう意味でファミコンの性能は厳しいもので、最先端のアーケードゲームを完全移植するのはほぼ不可能でした。
そんな中で発売されたのがPCエンジン。
本ハードはハドソンとNECホームエレクトロニクスの共同開発によって生まれたゲーム機になります。
ファミコンと比べてCPU・グラフィック・サウンドが大幅に強化されており、当時最先端だったアーケードゲームを移植しやすい作りになっていたんです。
加えてハードメーカーであるハドソンがファミコンで培った人気タイトルを続々と発売。
「ボンバーマン」「高橋名人の冒険島」などファミコンでお馴染みのタイトルはもちろん、「天外魔境II」「THE 功夫」などオリジナルタイトルも続々と生み出します。
結果、国内だけで750万台を販売。
ファミコンの半分以下ではありますが、2番手のゲーム機として健闘しました。
1988年:さらなるライバルが誕生するも真打ちがお出まし!
さらなるライバルが誕生!
1988年、ファミコンにさらなるライバルが誕生します。
それがメガドライブ!
セガが送り出す次世代ゲーム機で、16ビットのCPUが大きな特徴となっていました。
国内での販売台数は約350万台とPCエンジンの半分すらも売れませんでしたが、欧米では人気が爆発。
なんと、全世界累計売上は3,400万台を突破したんです!
その大きな要因となったのが1991年に発売された「ソニック・ザ・ヘッジホッグ」。
「スーパーマリオブラザーズ」のような横スクロールのアクションゲームですが、そのスピード感が欧米では絶大な支持を得ることになり、爆発的な売上を記録します。
ついにスーパーファミコンがお披露目!
PCエンジン、メガドライブ。
次から次へとポストファミコンが出現する中、任天堂から真打ちが発表されます。
それがスーパーファミコン!
ファミコンの後継機で、「スーパーマリオブラザーズ4」「ドラゴンクエストV」が発売されるとアナウンスされます。
当初の発売予定は1989年7月。
しかし、開発の遅れから1989年7月→1989年秋→1990年11月21日と延期を繰り返すことになります。
メガヒットタイトルが続々と誕生!
なかなか後継機を発売できない中、下火となるファミコン市場。
しかし、そんな中でメガヒットタイトルが続々と誕生したんです!
1つ目は「ドラゴンクエストIII そして伝説へ…」。
人気シリーズとなった「ドラゴンクエスト」シリーズのナンバリング3作目ですが、累計380万本以上を売り上げる爆ヒットとなります。
その人気ぶりは発売日前日に行列を作るほどでした。
ゲームとしても3作目にして完成形に達し、「ドラゴンクエスト」の基礎を完成させます。
そして、この頃からゲームにおけるストーリーとの向き合い方が変化していったんです。
それまでのコンシューマーゲームはアーケードスタイル型が主流で、コインを投入して短時間で楽しむゲームを家の中で好きなだけ楽しむのが基本形でした。
ところが「ドラゴンクエスト」シリーズの大ヒットによってゲームという媒体を通じて一本の長いストーリーを体験する方式が主流となったんです。
ストーリー性はゲーム機の性能が上がるにつれて高まっていき、ユーザーの価値観を変えていきましたが、これ以上語ると話が脱線するのでこんなところにしておきますw
2つめは「スーパーマリオブラザーズ3」。
前作はディスクシステムでの供給でしたが、今作はROMカセットでの供給となり、その影響で384本を売り上げてV回復を果たします。
ゲームとしての完成度も極めて高く、前作を大幅に上回るステージ数を実現しました。
ドラゴンクエストIII、スーパーマリオブラザーズ3。
いずれもシリーズの中で特に高い評価となっていますが、奇しくもファミコン後期となる1988年に発売されたんです。
1990年:スーパーファミコンがついに発売!
1990年。ついにスーパーファミコンが発売になります。
1年以上の延期となりましたが、さすが王者任天堂の最新ゲーム機。
ファミコンとの互換性がないにも関わらず発売直後から爆発的な売上し、バトンタッチに成功します。
累計販売台数はファミコンには及びませんでしたが、ユーザーからの人気は根強く、当ブログで調査した人気ゲーム機ランキングでは首位となりました。
MGM読者が選ぶ好きなゲーム機ランキング!首位になったのはあの名機!
1991~1993年:入門機として人気を博す!
スーパーファミコンが発売され、役目を終えると思われていたファミコン。
しかし、国内だけで2,000万台近く普及したゲーム機ということでソフト供給はまだまだ続きます。
1991年には151タイトル。1992年には92タイトル。1993年には53タイトルも発売されました。
ハードメーカーである任天堂もスーパーファミコンと並行してソフト供給を続行。
「星のカービィ 夢の泉の物語」「ファイアーエムブレム外伝」などを発売した他、「ゼルダの伝説」などディスクシステムで展開されていたタイトルのROMカセット版を発売します。
さらに1993年12月にはニューファミコンというモデルチェンジ版を発売。
価格は7,000円とお求めやすいので、入門機として根強い人気を博しました。
なんと、2003年まで実に10年間も生産が続いていたんです!
2003年といえばゲームキューブやプレイステーション2全盛期なので、どれだけ時間が経っているのかよく分かることでしょう。
1994年:ファミコン最後のタイトルが発売!
スーパーファミコン発売から4年後の1994年。
それまでボソボソと続いていたファミコン市場が終焉の時を迎えます。
最後に発売されたのが「高橋名人の冒険島IV」。
さすがに1作目のようなミリオンセラーとはなりませんでしたが、ファミコン最後のタイトルとして名を残すことに成功します。
2004年~:ファミコンが再ブームに!?
2003年に生産終了したニューファミコン。
時代はゲームキューブやプレイステーション2へと移り変わり、ファミコンは過去の物となるハズでした。
ところがこの頃からファミコンを始めとするレトロゲームに人気が付き始めます。
第一点火となったのが2004年にゲームボーイアドバンスで展開された「ファミコンミニ」。
ファミコンソフトの移植タイトル群になりますが、当時のパッケージをモチーフにした箱などがレトロゲーマー心をくすぶり、「スーパーマリオブラザーズ」は100万本に売り上げます。
2006年にはWii向けにバーチャルコンソールが展開。
インターネットに接続することでファミコンソフトをダウンロードできるようになり、Wiiでレトロゲームを楽しめたんです。
その後、バーチャルコンソールは3DS/Wii U向けにも展開。
そちらでもファミコンソフトが人気を博します。
2016年には「ニンテンドークラシックミニ ファミコン」が発売。
こちらはファミコンのミニチュア版で、ゲーム機の中に30本のファミコンソフトが内蔵されていました。
インテリア家具的な側面も強かったことから大ヒットを記録します。
本ハードの人気を受けて翌年の2017年には「ニンテンドークラシックミニ スーパーファミコン」が発売。
さらに他社が追随してネオジオ ミニ(2018)、プレイステーション クラシック(2018)、メガドライブ ミニ(2019)、PCエンジン ミニ(2020)を発売。
発売から35年が経過したファミコンはミニチュアゲーム機ブームを巻き起こします。
2018年には「ファミリーコンピュータ Nintendo Switch Online」がSwitch向けに展開。
Switchのオンラインサービスに加入することで対象のファミコンソフトを好きなだけ楽しめるほか、フレンドとオンライン対戦・協力プレイができるようになりました。
大人になるとかつてのように友達を集めて家でファミコンソフトを遊ぶことは簡単には出来なくなります。
それがオンラインによって場所を選ばずに友達とファミコンソフトを遊べるようになったのだから良い時代になったもんです。
全体のまとめ
以上!ファミコンの歴史を振り返ってみました!
コンシューマーゲーム市場が今もなお続いているのは本ハードあってこそなので、とても偉大なゲーム機だと思います。
ぼく自身も本ハードで初めてゲームに触れたので、とても思い入れ深いゲーム機です。
現在は様々な形でファミコンソフトに触れられるので、気が向いた時に楽しみたいと思います。
僕はファミコンが大人気になる前に購入したので、比較的容易に手に入れることが出来ました。ゼビウスがテレビで出来る事が当時は胸熱で、ゼビウスの無敵モードが見つかった時はクラスで大騒ぎでした。
今回の記事にあるゲームは殆どプレイしています。スーファミの頃はPCゲーマーだったので、コンシューマー機では思い入れのある機種のひとつです。